19人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
新品同様のカセットテープが一つ、置き去りにされていた。
半日ぶりに外に出ると、墨を水で薄めたみたいな空は、星ひとつ見えない。
夜半過ぎのオフィス街は窓明かりがポツポツと点在して、昼間の賑やかさはコンクリートの地面下に奪われている。
赤と橙色で聳えるタワーの上で、月が控えめに隠れている。
夜空から見下ろせば、東京の街は上空に負けないほどの星空に見えるだろう。
深夜マークのついたタクシーが行き交う大通りへと、俺は会社から目的地へと早足に向かった。
国道246号線沿いの歩道に佇んでいる電話ボックスは、蛍光灯が頼りなくて、少しいじけて見えた。
イエローグリーンに塗られた四角い箱がぼんやりと鎮座する台座には、誰かが噛んだガムの屑がへばりついている。
新品だった頃がこの公衆電話にもあっただろう。けれど、アルコールの残り香や煙草の灰がそこかしこに染みついている。
東京の真ん中で出会う無機物は、どうしてこんなに沢山の人の匂いがするのだろう。
その公衆電話機の左側、フックにかけられた受話器の下にそれは隠れていた。カード型の透明ケースに収まる黒いプラスチックで、ラベルは何も貼られていない。
注意しなければ、誰も気づかないだろう。
ケースから取り出すと、人差し指ほどの穴が横に二つ空いて、左側の穴のほうにだけ茶色のリボンが何重にも巻き付いている。そのリボンの端は右側につながって、フィルムは透明だ。
まだ一度も再生されていない。
このカセットテープは、俺へのラブレターだと分かった。
最初のコメントを投稿しよう!