捕まえないで

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捕まえないで

金曜日の夜。会社終わり… 溜まった疲れと鬱憤を晴らすのには、やはり気の知れた同期と飲みに行くのが一番だ だが、今日にかぎって「恋人が…」「嫁が…」を理由に飲み仲間が全く捕まらない 結局「はい、いいですよ」の二つ返事で返してくれたのは、同じ部署で働いている戸花(とはな)だけだった それなりに長い付き合いなので、酒を交わしながら愚痴を聞いてもらうには丁度いい… 笹倉(ささくら)は戸花を引き連れ、行きつけの居酒屋に入り込んだ 大きなビールジョッキを片手に、グビグビと何杯目かを飲み干す… 笹倉は何回言ったか忘れた文句を、同じ口調と同じテンションで繰り返した 「んでさぁー、そのΩの子。まんまとその社長に気に入られて一気に玉の輿だぜ?ほんと腹立つよなぁ、好きに腰振ってα誘ってれば上流階級だ。世の中どうかしてるぜ…」 戸花は冴えない黒縁眼鏡を直しながら、テーブルの上に腕を組んでふわふわと笑っている …こちらも相当飲ましたせいで、すでに出来上がっていた 「ほぉーん…あの子美人さんだったかんなぁ…笹倉さんも可愛いって言ってたじゃないれすかぁ…」 「そりゃ言うだろ。俺だってαの端くれだからな、…くそっ俺のこと散々「好きっ」て言ってたくせに…金持ち優秀社長αが出てきた途端、この返しようだ……すみません!ビール!」 「笹倉さんΩ嫌いなくせに、どうしてΩの恋人作りたいんですか?」 「あ?…そりゃあ、Ωは可愛いくって美人揃いだしな…αなら綺麗なΩ捕まえて、知り合いのαに見せびらかしたいだろ…じゃねぇと馬鹿にされる」 「はぁ…俺にゃよく分かんねぇなぁ…」 …この戸花という男はマイペースな奴で、あまり世間体とか回りの評価とか気にしない、俺とは正反対のような男だ 仕事もそれなりに出来るのに、欲がないため出世もしない 持ち前のその緩い雰囲気で、周りからはマスコット扱いされている 「でも、まぁ…そのΩの子も、すげぇもんだと俺は思いますよ」 「あぁ?俺を振った尻軽女がか?」 「それは、ともかくとして…ガッツがありますわ。どこぞの社長と一緒になりてぇなんて…俺にゃ、面倒臭くって敵わねぇ。社長婦人になるってことだかんなぁ…息が詰まっちまう。自由に釣りも出来ねぇや…」 …変な話だ なぜこいつは、自分とΩを重ねて見ているんだ? 「お前には関係ないだろ、βなんだから。山にでも海にでも自由に行けばいい」 「はれ?笹倉さんに言ってませんでしたっけ?…俺ぁΩですよ。生まれてこのかたβになったことはねぇや」 「……は?」 あれ…?今、なんか…結構なことをカミングアウトされ… てかっ…えっ! こいつって…Ω!? 「は?えっ…お前って、おめ…」 「あははっ!笹倉さんビール髭になってますよ!おもしれぇほど綺麗に付きましたね」 戸花は何も気にしていないようで、笑いながらタオルを差し出した 笹倉は曖昧に頷きながらそれを受けとる… 「あぁー、…俺もう飲めませんわ。笹倉さんもそろそろシメいきません?駅の近くにある黄色い旗のラーメン屋、あそこなかなか旨いんすよ」 「あ、あぁ…あそこな、知ってる…」 「んじゃあ、決まりですね。ゆっくり行きましょ」 …完全に酔いが覚めてしまった 何故こいつはαの俺に、自分がΩだと教えたんだ? 振られたばかりで、欲求不満だらけのこの俺に… だいたいΩがαと差しで飲むか? 危ないだろ。いや、誘ったのは俺だけど…簡単に持ち帰りされちまうぞ …もしかして、戸花は俺が好きなのか? 散々考えてその答えが出たのは、シメのラーメンで腹を満たしている時だった。 そうだよな… じゃなきゃチョーカーも付けずにαと飲むΩなんていないだろ …これは、どうしよう 取り敢えずホテルに誘うべきか… Ωだったら男も女も関係ないし、ぶっちゃけ最近ご無沙汰で性欲もストレスも溜まっている 戸花は眼鏡を外せば以外と可愛い顔してるし…いや、いける。俺的にはありだ 取り敢えずΩを抱きたい 酒のせいでゆるゆるになっている理性は、何の疑問も抱かず本能に従った 「はぁー、旨かったわぁ…笹倉さん、ご馳走さまです。すんません、奢ってもらっちゃって」 「ん、気にすんな…俺の愚痴に付き合わせちまたしな」 店を出て、何となく横並びに歩いていく。 金曜の夜とあって、辺りは今だ人で賑わっている 「っと…」 騒いでいる集団とすれ違った際に、避けて段差で(つまず)いた戸花の肩を片手で抱き寄せた。 …確かに、今まで全く気にしたことがなかったが、戸花は小柄で女のような細い肩をしている 「…気を付けろよ、足元ふらついてるぞ」 「へへっ、流石に…飲みすぎました。んっ…体、あっちぃ…」 すでに外しているネクタイと、第2ボタンまで開けられたシャツの隙間から綺麗な肌が覗いていた 僅かに感じた戸花の汗と、Ω特有の甘い匂いに…背中がゾクッと震える …触りたい 「…戸花、少し…休んで行くか?一晩だけなら俺の時間…お前にやるよ」 さらに強く抱きしめ、肩から腕まで手を撫でるように滑らせた 見上げた戸花の丸い瞳に、蕩けるぐらい優しく微笑みかける この笑顔で、持ち帰れなかったΩはいない …しかし、スッ─と逃げるように戸花は視線を逸らすと、困ったように軽く笑った 「ははっ…俺にゃ勿体ねぇなぁ…まだ終電あるから帰りまさぁ」 思っていなかった返事に、笹倉の顔に自慢の笑みだけが取り残される 「…はっ?え、…帰んの?」 「ん、明日も早ぇからな」 「…明日は休みだろ?」 戸花は楽しそうに笑うと、腕の中からパッと逃げていった 「笹倉さんの言う通り、俺は海に行ってきまさぁ、せっかくの休みだかんなぁ!」 消えた腕の体温とは裏腹に、嬉々として無邪気に笑う戸花の姿は…まるで自由に街中を飛んで行く(すずめ)のように見えた 自分が気に入った場所にしか止まらない。 人目を避けて、堅苦しい場所から放れていく…海に憧れた雀だ …どうやったら捕まえられる? 無意識に、戸花へ向かい手を伸ばしていたことに驚き立ち止まった。 自分から…Ωを追いかけようなんて、思ったこともなかったから… 「笹倉さーん!また誘ってくだせぇ、電車の時間あるんで先行きますわ!」 「あ、あぁ…!気を付けろよ、途中で寝んじゃねーぞ!」 消えていく後ろ姿を目で追い掛けながら…よく分からない自身の感情に頬を掻いた …まぁ、いいさ。 どうせ月曜にはまた顔合わせんだ
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