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◇
6年振りに実家の自室に戻ってきた。
戻ってきた理由は……色々あるので聞かないでほしい。
入って右手のスイッチを押して、部屋の電気をつける。
部屋は笑ってしまうくらい6年前のままだった。
あれだけ派手に言い争ったのに、私への怒りより部屋が汚くなっていくことの方が我慢ならないなんて、実に潔癖症の母親らしい。
「壁に穴が開くからやめなさい!」と喚いていた星座のポスターだって、私が張った時のままだ。
「ままぁ、ままぁ」
未だに舌っ足らずな可愛い声のする方へ顔を向けると、てとてと、と一所懸命に大きな階段を登ってくる美星の姿が見えた。
美しい星と書いて「みほ」。親バカながら、なかなか彼女に似合う綺麗な名前だと思っている。名前には「星」の漢字を絶対に入れる、と言って譲らなかった私を見て、彼はちょっと引いてたっけ。
昼間、近所のショッピングモールで買ってもらったいちご柄のワンピースの裾をたくし上げながら、一歩一歩、ほぼ四つん這いになりながらこっちにやって来る。やっぱり、ぶかぶかじゃないか。私は黄色の星がいっぱい散りばめられた美星にピッタリのサイズのものを選んでいたのに、「子供はすぐに大きくなるから」と押し切った母親の顔がちらついて、ちょっとだけ複雑な気持ちになる。
「ままのおへや?」
いつの間に足元に来ていた美星が、きょとんとドアの前に立ち尽くしていた。
「うん。ここがママのお部屋」
「おほしさまがいっぱいだね」
美星は夜空に星が散りばめられたデザインのカーテンや、文字盤の背景が惑星になっている壁掛け時計を指差して、ポツリと呟いた。
「うん。いっぱい」
私が答えると、美星は部屋の中に恐る恐る足を踏み入れた。
5歳児から見ると、部屋に鎮座する、タイプや倍率の違ういくつかの天体望遠鏡やそれらを支える数々の三脚はちょっと威圧感があるのかもしれない。あとはSF小説や学術書とか、とにかく星に関する書籍を片っ端から突っ込んだ本棚もそうか。
昔から星が大好きだった。
誕生日にプラネタリウムをねだるくらいには。
クラブ活動で天文部に所属するくらいには。
大学で天文学を専攻するくらいには。
それで院に進学するくらいには。
好きな人との間にできた子供に「星」の入った名前をつけるくらいには。
「ままぁ、ままぁ」
また美星の声がして顔を上げた。
美星は私の勉強机の前で、こっちにこい、とばかりに私を見つめている。
「これも、おほしさま」
差し出された両手には、小さなスノードームが乗っかっていた。
いや、これを私は、昔、スタードームと呼んでいた。
まだ小学生だった頃、両親に駄々を捏ねて、隣県の有名な天文台に連れて行ってもらったことがあった。
研究所として稼働していた天文台だったが一種の土産物屋のようなコーナーもあって、このスノードームはそこで出会ったものだ。
夜空の背景に時計塔とパン屋さんのようなお店と誰かのお家があって、真ん中で赤いワンピースを着た女の子が、星が降るのを待ちわびるように空を見上げている。
雪じゃなくて、星が降るスノードームが当時の私の目にはとても魅力的なものに映ったのだ。
「お小遣い3か月我慢するから買って!」と私はまた駄々を捏ねていた。
あとから思い返せば、そんな金額で買えるようなものじゃなかったかもしれないけれど、両親はそれを買ってくれた。
帰りの車の中、そして家に帰ってからも、私は隙あらばスノードームを揺らして、星を降らせていた。
「雪が降るからスノードームって言うんなら、これは星が降ってるからスタードームだ!」と謎の理論を展開して、友達を困らせていたことも覚えている。
もちろん、子供の興味なんて一過性のものだったし、だんだん星を降らす回数は少なくなっていったけれど、時折、思い出しては星を降らせていた。
――こんなところにあったんだ。
私は美星からそれを受け取ると、ゆっくりと揺らして星を降らせた。
家を飛び出したのが6年前だから、実に6年ぶりにこの街に星が降ったことになる。
「わぁ!」
初めて見る、星が降る小さな街に美星は目を輝かせた。
「まま」
「なあに?」
「きれいだね、おほしさま」
「うん。きれい」
グリセリンの混ざった精製水の向こうで、美星がスタードームを夢中で見上げていた。
赤いワンピースの少女が、星降る空を見上げている。
「まま、まま」
「なあに?」
「いまね、このこ、わらったよ」
美星の指差す先には、赤いワンピースの少女。
ハッとして、慌てて中を覗いた。
けれど、私にはもうガラスの中身は歪んでいて見えない。
「そっか」
そして私は美星をぎゅっと抱きしめた。
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