第1話

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第1話

 とても寒い冬の夜、あたしは学校の宿題で夜空をスケッチしていました。先生が、冬は空気が綺麗だから星がよく見えるよと言っていたので、どんなに素敵な星空だろうと思っていましたが、なんだか、ぽつぽつと少しの星が少し光っているだけで、あんまり綺麗ではありません。スケッチをするために出てきたベランダは風が肌寒くて、あたしはくしゃみを一つしました。 「どう? 綺麗な星空は描けたかしら?」  唇を尖らせているあたしの顔をお母さんが覗き込みます。ううん、とあたしは首を横に振りました。 「そう……。あ、でも、ほら、あそことか、あそこにも星が見えるわよ」  お母さんがベランダから空を指差します。星が見えることはあたしだって分かっています。あたしが不満なのは、その星がちょっとしかないことです。 「もっと、いっぱいお星さまがあると思ったのに……」  言うと、お母さんは困ったような顔をしました。うーん、と首を傾げて、しばらく考えてから、 「じゃあ、未祐(みゆ)の想像でお星さまを描き足したらどう?」と言います。 「えー。それじゃあズルになっちゃうよ」 「いいじゃない、見えないだけで、本当はあるんだから」 「え? そうなの?」  あたしは顔を上げてお母さんを見ました。見えないのに、本当はあるなんておかしいと思いました。じゃあ、なんで見えないのかという疑問が浮かびます。 「そうよ、遠く遠くにあるから、見えないのよ」 「へぇ! じゃあ、空を飛べたら、もっといっぱいのお星さまが見えるのかなぁ」  あたしは少し興奮気味に空を仰ぎます。今はぽつぽつとしか見えないけど、本当はもっとたくさんのお星さまが空に近づけば見えるって、なんてロマンチックなのだろうと思いました。空を飛んで、いっぱいのお星さまに囲まれて眠ってみたいな、と夢見ました。もちろん、あたしは子供じゃないので、人間は空を自由に飛べないことくらい、わかっています。  あたしは画用紙を真っ黒に塗りつぶして、その夜空の中に点々と星を何個か描きました。お母さんは描き足して良いと言ったけど、やっぱりそれはズルいと思ったので、ちゃんと見たままにスケッチしました。でもやっぱり、本当は夜空にキラキラ光るお星さまを、スケッチブック一面に描きたかったです。  スケッチの宿題を終え、お風呂に入って、ご飯を食べている時でさえも、あたしの頭の中は、ベランダからは見えないお星様たちのことでいっぱいでした。 「お星さま、見に行きたい」  あたしは洗いものをしているお母さんに言いました、お母さんは困ったように笑いました。 「いつか、旅行しよう? お星さまがいっぱい見えるところに連れて行ってあげるから」  台所の布巾で手を拭いてから、あたしの頭を優しい手で撫でてくれるお母さんに、あたしは嘘つきと叫びたくなりました。旅行なんて、連れて行ってもらった記憶はありません。でも、うちは普通の家じゃないから、お母さんは毎日毎日、大変だから、わがままは言いたくありません。きっと、お姉ちゃんがいたら、わがままを言わないのと怒られるに違いありません。 「うん……」  だからあたしは良い子に頷きました。お母さんは少しの間、なぜだか悲しそうな顔をしましたが、すぐに笑って、 「じゃあ、そろそろ寝ようか。お母さんが本を読んであげるからね」  と言いました。やったーと、あたしも笑い返しました。お母さんと一緒の布団で、お母さんの読み聞かせを聴きながら眠ると、とても幸せな気持ちになります。  あたしは歯磨きをするために、急いで洗面所へと走ります。ストーブのない洗面所は少し寒くて、あたしはくしゃみを一つしました。洗面所の小さな窓から見える星空は、やっぱり思っているより綺麗じゃありません。友達のチカちゃんは、お父さんお母さんに綺麗な夜空を見せてもらったことがあるのでしょうか。想像して、なんだか悲しくて、悔しいような気持ちになりました。チカちゃんだけズルいと思いました。けれど、どれほど悔しがったって、何も変わらないことをあたしは知っています。そうだ。お星さまに願い事をしよう。あたしは急に思いついて、小窓の向こうに少しだけ輝いている三つのお星さまに祈りました。どうか、あたしに翼をください。自由に空を飛べる翼を少しの間、一晩だけで良いので……。 「あら、未祐。何しているの?」  真剣に両手を合わせてお空にお願いをしているところを、お母さんに見つかってしまいました。少し恥ずかしくなって、慌てて両手を解きましたが、お母さんはそれを面白がるように笑います。 「んー? 未祐ちゃん? 何お願いしてたのー?」 「な、内緒!」  お母さんが訊くので、あたしはぶんぶんと首を振って誤魔化しました。すると、お母さんは柔らかい笑みであたしの頭を撫でてくれました。叶うと良いね、と頷いてくれました。  寝る前に、お仏壇のお父さんとお姉ちゃんに向かって、お母さんと一緒に挨拶をしました。おやすみなさい。手を合わせて、挨拶をします。お父さんとお姉ちゃんはあたしが小さい時に死んでしまいました。お母さんは、この時になると、とても寂しそうな顔をします。その顔を見るのが、あたしは辛いです。  お母さんと一緒にお布団に入ると、冬の寒さが嘘のようでした。 「何を読もうかな」  お母さんが、分厚い本をパラパラとめくりながら言います。あたしはそれを待ちながら、まどろんでいました。    
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