出会い

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出会い

「あの震災で、奪われた命。救われた命。生かされた命。俺は、今もなおこうして生かされている。」 産まれも育ちも岩手県三陸地方の菅野賢治二十七才。二年前までは、地元の岩手で国語の教師として教鞭をふっていた。東日本大震災後は一身上の都合で教職を離れ、工事現場を転々と働き、日々をやり過ごしていたのだが、四月より、神奈川県にある、由緒ある私立聖(ひじり)学院で国語の教師として勤めることになった。 この学院は幼稚園からエスカレーター式で高校まである。生徒達は海辺の自然緑豊かな環境で、レベルの高い教育を受けていた。大学への進学率は非常に高く、卒業生の中には学者や政治家、文豪の名もあった。そんな、格式高い高校に、なんで管野のような地元から一度も出たことがない田舎者が勤務することになったのか・・・本人も今だに、信じられない気持ちでいた。 管野自身、震災後の二年間、根なし草のように生きていた。そんな彼のことを大学時代の教授がみるにみかね、この学院を紹介してくれたのだった。「一度くらい、地元から出てみるか。」 教室の窓から見える満開の桜。桜色の海は風に揺れ、波打っていた。管野は高等部三年一組の教壇に立っていた。エスカレーター式の学校だからだろうか、生徒達の表情は柔和で素直そうな顔つきだった。まぁ、苦労知らずと言えばそれまでなのだが・・・初めが肝心と、一人一人の目をみる気持ちで彼は自己紹介を始めた。 「菅野賢治二十七才。この春、岩手県から、こっちに上京してきたばかりだ。ピンときた者も居るかもしれないが、名前の由来は岩手の作家・宮沢賢治からきてる。専科は国語。引っ越してきたばかりで、この近辺のことは、わからないから、みんなにいろいろ教えてほしい。よろしく!」 早速、生徒たちから質問があがった。 「先生、彼女、いるんですか?」 「岩手の名産ってなんですか?わかめ?」 「先生、デカイけど身長いくつくらいですか?」 「好きな芸能人は?」 生徒達の質問にそつなく返答して、教室内のざわめきがようやく落ち着いたところで、窓際の一席が空席だったことに気がついた。「あの席は、確か例の生徒だな・・・」中等部二年の一年間、全く学院に来なかった生徒が、受持ちのクラスにいると着任すぐに、引継ぎがあった。 生来大(せいらだい) 高等部三年 留年のため十九歳 名簿に目をやる。 「誰か、生来の休みの理由を知ってる者いるか?」 と生徒達に聞いてみる。 「大は、中学から来たり来なかったりなんです。」 「一年、留年してるから、本当なら、私達より一つ上なんだよね~。そんな感じしないけど~。」 「学校来ないのに、頭めちゃくちゃいいんですよ。あいつ。」 「まぁ、猫みたいなやつだから、そのうち、ふらりと来ますよ。」 「大って、めちゃくちゃイケメンだから、先生、惚れちゃダメだよ。」 付属の高校で、長いよしみからか、本来、一つ上の生来とクラスメートの間に距離がある印象は受けなかった。むしろ、どこか、生徒たちが、この勉強ができ、イケメンで、不登校の生徒を誇らしく思っているようにもとれた。 「おし、後で、職員室から電話してみるわ。」 菅野は名簿をパタリと置くと生徒達の自己紹介タイムに移った。 昼休みなり、菅野は、職員室に着くと、早速、生来に電話をかけてみることにした。「もし、今まで、寝てたのであれば、今頃、起きてるだろう。」 トルゥゥ トルゥゥ トルゥゥ 出る気ないのか?留守?と思い、受話器を置こうと思った瞬間、ようやく、プッと電話を取る音がした。 「もしもし、生来さんのお宅でしょうか?聖学院三年一組担任の菅野賢治と申します。」 がさこそ、がさこそ 電話の向こうから聞こえてくる音。 「カンノ?」 と間の抜けた声。 「生来大さんかな?」 しばし、沈黙の後 「初めまして。四月から君の担任となった菅野賢治です。今日、欠席の連絡がなかったから、確認のためかけたんだ。」 また、沈黙。。。 「イントネーションなんか、変。」 まだ、会ったこともない生徒からのいきなりの駄目出し。「え!俺、まさか、なまってるの?頑張って標準語で話してたつもりだったんだけどな。いや~、隠しきれてなかったか。」と多少、落胆しつつも気をとりなおして 「岩手から、上京してきたばかりなんだ。よろしくな!」 と返した。 またまた、沈黙 「先生、俺、猫にエサやらないとだから、電話切るね。」 ガチャン プープー 「電話きりやがった。」しばし、電話の前で立ちつくしてる菅野に家庭科教員の堀口真実子が 「生来さん、なかなか、学校来れなくて。とても心配なんですよ~。」 と声をかけてくれた。 「はぁ~。そうなんですね。」 「生来さんが、高等部二年生の時の担任の先生は、当たり障りなく接してましたよ。学力は高いから、好きにさせている感じでした。不登校の生徒に関わるのは一筋縄ではいかないので。そうそう、菅野先生、駅から少し歩いて、丘の上に建つ、ヒルサイド産婦人科ってご存知でらっしゃいます?」 と堀口は職員室だからか控えめな小さな声で話を続けていた。彼女にあわせ、菅野も小さな声で話した。 「ええ。知ってます。僕の住まいの近くです。」 確かブルーと白の建物。入口にはヤシの木が植わっていて、まるで、アメリカの西海岸のような雰囲気の産婦人科。その建物から何軒か先が菅野が借りているよく言えば古風な一軒家がある。ドアなんてがらがらと音がする引き戸だ。目隠しかのごとく、庭の周りを囲む垣根。縁側。赤いポスト。昭和初期くらいに建てられたこの貸家に決めたのは縁側に面した窓から見える海。海は時に残酷だか、嫌いにはなれなかった。 「じゃあ、お宅近いなら、生来くんに会いに行くのもいいかもしれないですね!生来くん、外猫の世話に忙しいらしいから、ばったり会う、なんてこともあるかもしれないですね。ふふふ。」 と可愛いらしく微笑む堀口先生。「俺と同じくらいの年齢かな?お嫁さんにしたいナンバー1の称号がふさわしい感じだな。」 「夕方でも、散歩でもしてみます。」 夕方に散歩しますなんて言ったものの、山の様な業務があり、学院を後にする頃は辺りは真っ暗闇だった。この時期の夜の空気はひんやりとして少し肌寒い。岩手ならまだ、朝晩ストーブが必要なくらいだ。「それにしても、月がきれいな夜だな。」 聖学院は駅前に立地していたが、駅自体がこじんまりとしているので、決してにぎやかな界隈ではなく、静かだった。小さなバスターミナルとコンビニが一件。タクシーが何台か客を待っていた。店と言えば、レトロな佇まいの喫茶店、パン屋、産直販売所、不動産。夏になると海で賑わうのか観光案内所がある。オレンジ色の街頭がぽっかりと駅前の風景を照らしている。この景色が俺は好きだ。震災前の地元の駅前に似てるからだ。 懐かしいあの店もこの店も、三月十一日に全て、津波に奪われていってしまった。奪われたのは景色だけじゃない。そこで働く馴染みの顔もまた。あの日を境に、懐かしい故郷の記憶は漆黒に染められてしまった。 駅から数十分歩き、右へ曲がると、丘に続く、傾斜のきつい坂が現れる。その坂道に吸い込まれるように我が家へと向かった。 坂を上がりきるとライトに照らされたヒルサイド産婦人科とシンボルマークのヤシの木。医院をゆっくり横切りながら「ここが生来大の家か」とあらためてみる。「どんな奴なんだろ。まだ、学校に来ないようなら本当に、近く訪ねてみようかな。」 この一帯は一軒、一軒がゆったりと区分けされていて、生活に窮屈な感じがしない。菅野の地元も民家と民家はかなり離れているのだが、田舎のそれとも違う。「田舎者の俺にしたら、まるで、映画のセットのような感じすらする。」ざわざわ 菅野の住む貸家の庭の片隅から音がし、身構える。。猫?たぬき?ハクビシン? 「ミーコ、いい加減でてこいよ。」 暗闇から男の声がする。菅野は心臓をばくばくさせながら声の方へと近づいた。 バッ!いきなり、背の高い、すらりとした男が真っ暗な庭から現れた。月の光りが、男をきらきらと輝かせている。細い体、柔らかそうな癖っけ、シャープで小さな顔。高い鼻、豊かな厚みのある唇。まるで、ギリシャ神話からでてきたような風貌に菅野は一瞬にして目を奪われた。「いやいや、男だし!」気持ちを落ち着かせ、深呼吸。 「どうかしたんですか?」 と落ち着いた声色でその美しい男に聞いてみた。男は全く、菅野など眼中にない素振りで、縁の下を覗き混みながら、 「うちの猫が、あんた家の縁の下に入って出てこないんだよ。ミーコはまだ、去勢前だから、このまま外にだしておくと、まずいんだよ。春だし、オス猫が盛ってるからな~。」 と覗き込みながらミーコと言う名の猫を探していた。 「はぁ。」 飼い猫の脱走劇か。菅野は、身を屈めると、地面すれすれの体勢で、縁の下を覗きこみ、ミーコを探し始めた。  「真っ暗でみえないな~。」  そういうと、すぐさま身をお越し、土を払うと、家の中から懐中電灯を持ってきて、再び、猫を探し始めた。真っ暗な地面の上で明るい光が四方に動き回る。 「服、汚れる・・・」 スーツを着たまま、地面にほぼ、屈伏し、一生懸命に猫を探している男を見て、生来は、ボソッと呟いた。 「大丈夫、大丈夫。あっ!なんか、居るかも。目が光ってるぞ!」 「みゃ~お」 ミーコが縁の下から、出てきたところを管野がキャッチした。 「はい!ミーコ!じゃあ、俺はこれで。」 と生来に飼い猫を渡し、爽やかな笑顔を見せると、あっさり家の中に入って行ってしまった。 ガラガラがしゃん 戸を閉めて、首を傾げたその瞬間、家庭科の堀口先生とのやり取りを思い出した。閉めた戸を思いっきり開けて、庭に出た。 「もしかして、生来大?」 予期せず名前を呼ばれたため、まだ、庭で猫を愛おしそうに撫でていた男が驚いて顔をあげた。 「は?そうだよ。」 「今日、電話で話した、お前の担任の菅野賢治だ。会えて嬉しいよ!生来!」 と人懐っこい笑顔で、手を差し出した。生来は、混乱の中、咄嗟にその手を掴んだ。「今時、初対面で握手って!」と思いながらも。 「やっぱり、生来か~。今日、家庭科の堀口先生から、お前が俺の家の近くに住んでるって聞いたんだよ。」 と担任という男が言う。月明かりに照らされ顔がよく見えた。「死んだ兄貴にどこか似てる。」と思った。 中学二年だった兄貴は海で亡くなった。自然が好きで、泳ぎが得意で、海に潜っていると魚と一体になれるんだと嬉しそうに話してくれた。 色白の俺と違って褐色の肌の兄。長い足でいつも俺の前を歩いてた。海やけした髪は茶色くて、体全体がチョコレート色と小学校の生来は思っていた。「兄が生きてたら、この男みたいだったかな?」と思わず、生来は菅野の手をとってしまったに違いなかった。ただ、それだけのこと・・・月に照らされ、握手をしたままの男が二人。 「それじゃあ、明日は学校に来いよ!」 と言って、繋いだ手を咄嗟に離し、菅野はさっさと引き戸をピシャリと閉め中へ入ってしまった。「生来を美しいって?それは、まずいだろ!あいつは生徒だし、しかも、男だし。」頭をすっきりさせたく、玄関から風呂場へ直行。お湯を勢いよく出した。
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