距離は離れゆく

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距離は離れゆく

山々の緑が濃くなり、アスファルトからモヤモヤと陽炎が立ち上がっていた。夏期休暇に入り、高校三年 受験の夏が始まり、生来は、予備校に通い始めた。 一方、菅野も、教育機関が主催する研修に出向いたり、会議、教材研究をしたり、普段に増して、忙しかった。 特に私立聖学院はトップレベルの教育を誇っているため、この時期の教師のレベルアップは必須であった。その他にも、大学時代の恩師の進めで、研究室に所蔵されている古書の学術研究も始めていたので、家にこもりきってしまう日が多々あった。 以前、買った花火はまだ、居間の隅に置かれたまま・・・ この時期の湘南鎌倉方面の電車は観光客で混んでいた。生来は、午後の一番暑い時間に予備校へと向かうため、ホームに立っていた。このうだるような気温の中でも、この男は涼しげな顔をして、電車を待っていた。 麻のシャツに、短いカーゴパンツ。均整のとれた身体と異国的な端正な顔立ち。駅に居る人々の目をいやおなしに釘付けにした。普段はほぼ、地元からでない生来であったので、こうも、人にじろじろ見られることは慣れていなかった。「俺、なんか変なのかな?」他者からの視線に不安になりながら、到着した電車に乗った。 予備校は横浜駅前の雑居ビル街に、大きな看板を掲げ建ち、大手予備校とあって、次から次へと若者が出入りをしていた。  「大!」 生来のクラスメートの二宮透子が予備校の入口付近で手を振っていた。二宮も地元から通いやすい立地にある、この予備校に通い始めていたのだった。生来を呼ぶ、彼女のそばには見知らぬ若い男が見えた。 背の高さは生来と同じくらいで、黒髪で肩までのロングヘアー、日本人というより、外国人という風貌だった。 「こちら、大」 といきなり、二宮がそのアジアン風の男に生来を紹介した。男はハーイ!と手を軽くあげた。生来も、背負っていたバックパックのショルダーを掴みながら、軽く会釈した。 「こちら、ジェームスよ。私の親戚。大学が夏季休暇に入ったから、カリフォルニアから遊びに来てるのよ。日系アメリカ人で、日本語はぺらぺらよ。」 「あ~、だから、日本人離れした雰囲気なんだな。」と生来は妙に納得した。 「大の話をしたら、会いたいって、一緒について来ちゃったの。私たちが授業の間、観光かねて、この辺、ぶらぶらしてるってことだから、終わったら、ご飯でも一緒に食べない?」 隣で、ジェームスがフレンドリーな笑みを浮かべていた。 近頃、菅野は凄く忙しそうで、もう、随分と会っていなかった。朝は、通常通り学院に行き、夕方頃に帰宅できる日もあれば、学院から直で研修先に向かい、タクシーで帰宅することも多いようだった。夏休みに入ってからというもの、そんな菅野の忙しさに気がひけてしまい、生来はアクションを起こせずにいたのだった。「今晩も先生の家、行きずらいな。。。」 生来と二宮は授業が終わると、ジェームスと合流し、予備校近くのファミレスに居た。ここは、予備校生達のご用達の場所で、レストランの売上にかなりの割合で若者達が貢献しているため、長く居座ることも、多目にみてもらえていた。店内はもう、九時近くだというのに店内は賑わっていた。 「ジェームス、あんた、私達のこと待っている間、どこに居たの?」 二宮が熱々のエビドリアをふぅふぅ冷ましながら、聞いた。 「アニメイト行ってきた。」 と嬉しそうに、購入した戦利品をみせてくれた。 「アニメって、海外でも人気ね~」 あまり、興味なさそうに二宮がドリアを口に運ぶ。 「熱。」 生来は初対面のジェームスと何を話していいかわからず、ドリンクバーのおかわりを取りに行くか、どうかと思考を巡らせていた。 「そう言えば、私、佐藤と付き合ってるんだ。」 と唐突に、二宮がカミングアウトしてきた。 「え!」 生来は、びっくりして、目と口を大きく開いてしまった。その表情を見て、ジェームスが笑い 「大は人形みたいだと思ってたけど、そんな顔もするんだね!グッド!」 と親指を立ててサムズアップのポーズをした。 ジェームスのつっこみに、生来の顔は少し赤くなったが、なんだか、今ので緊張がほぐれた。 「ほら、みんなで海に行った日あるじゃない?あの、菅野先生と堀口先生がいい感じだった日。」 「うん。」 あの日の光景を思い出し、心がちくんとした。 「佐藤が俺と付き合わない?って冗談で言ったの覚えてる?」 「あ~、言ってたっけ?」 正直、あの時はそれどころじゃなかったので、覚えてなかった・・ 「それでね、マジに付き合っちゃったの。佐藤、私に本気だったみたい。」 二宮はそこまで話すとなんだか、胸いっぱいのようで、ドリアを食べる勢いがスローダウンした。 佐藤は、中等部から学院に入学してきて、高校はバスケット部に所属するスポーツマンだった。 運動とは無縁の生来とはクラスが同じになることが多く、元来、世話好きからなのか、生来が不登校ぎみの時もノートを貸してくれたりするいい奴だった。 そう言えば、いつだったか前に片想いしてるみたいな話を佐藤から聞いたことがあったっけ。透子のことだったのかもしれないと生来は思った。 「大は、彼女いるの?」 とジェームスが生来をいたずらっぽい目でみながら聞いてきた。彼女?彼氏?う~ん、好きだとは言われてないし、けど、身体の関係はあるから、セフレ?と菅野との関係を考え、返答に困ってしまっていた。 「ジェームスはアメリカに好きな人居るんだよね?」 と隣に座っていた二宮がジェームスの肩をぽんぽんと叩いた。 「ふられたよ。」 とジェームスがよく、アメリカ人がするお手上げのようなジェスチャーをした。 「ジェームスをふるなんて。そいつ、なんか、すげーな。」 ジェームスはまるで、ハリウッドのカッコいいアジアン俳優のようなので、一体、どんな、美女がこの男をふるのかと生来は思ってしまった。 「難しい関係だったんだよ、僕たちは。」 ジェームスはまだ、胸が痛むのか、生来から目をそらした。二宮はジェームスの肩を優しく抱いて、ぽつり 「同性同士だったからね・・・」 とさらりと言ってのけた。その言葉は、まるで、生来自身のことを言われてるように聞こえ、心臓が止まりそうなくらいドキドキし、慌てて、立ち上がった。 「ちょ、ちょっと、ドリンクバー行ってくる。」 ドリンクバーに向かいながら、混乱した頭を整理しょうとした。「ジェームスをふった相手って男なの?!え、どういうこと?で、透子は、なんで、あんな、普通で入れるんだよ?」生来は動揺からか、あまり普段は飲まないコーラをコップに入れていた。 気持ちを整え、テーブルに戻ると二宮とジェームスが神妙な面持ちで話していた。話によれば、ジェームスは大学で美術の被写体モデルをしていて、そこで出会った画家志望の男に恋をしたらしく、夏休み前に告白をしたら、断られたらしいのだった。 「僕たち、すごく上手くいってたんだ。親友のような、恋人のような感じ。けど、彼には彼女が居たし、君をどうしていいかわからないって言われたんだ。それで、悲しくて、透子の居る日本に傷心旅行に来たんだよ・・・・」 生来はこんな風に同性愛をオープンに語るジェームスにカルチャーショックを受けていた。 自分と菅野は教師と生徒の関係もあり、同性同士でもあり、秘めた関係だった。 けれど、生来は恋愛の悩みを誰かに聞いてもらいたい気持ちはいつだってあった。自分だけがいつも好きで、相手はずっと受け身。二人の未来はないと言うくせに、突き放されることもない。 こうやって会わない日々が続くと、不安で、この気持ちをを誰かに吐露できたら、どんなに楽かと考えたこともあった。 「生来、泣いてるの?」 ジェームスと二宮が心配そうな顔をして、生来を見ていた。二人の顔が涙で、はっきりと見えなかった。 繁華街にあるファミレスはまだ、賑わっていた。ウェートレスも、客も、生来が泣いてる姿には気がついてはいなかったのが幸いだった。「何で、俺泣いてんだ・・・」生来のそばに寄ってきた二宮がまるで、泣き虫な小さな男の子をなぐさめるように、生来を優しく抱きしめ、背中を撫でてくれていた。ジェームスはもらい泣きなのか、はたまた、自分の辛い恋を思い出していたのか、その目に、こぼれそうな涙をためていた。 「大、好きな人居たんだね・・・なんか、私、それだけで、嬉しいよ。」 二宮が安堵の声で言った。 「あんまり、大が誰かを好きになること想像できなかったし、冷めてるのかな?って思ってたんだ。」 「うん。前は、そうだったんだけど・・・」 「だから、なんか、こうやって、自分の恋で泣ける大、いいなって思うよ。」 「ありがとう。透子。」 「大の恋の相手って、どんな人なの?こんな、美しい男を泣かせる人を、僕は知りたい。」 ジェームスは場を和ませるためか、オーバリアクションをした。二宮も真似をした。 「私の知ってる相手?」 と覗きこんだ二宮の目を、生来は見れなかった。心臓の鼓動が早い。相手は菅野賢治と言いたいが、自分の告白で迷惑をかけるのは避けたい。何も言えない生来を察してか、 「まぁ、名前を言えないなら、それでいいからね。けど、これからは、自分だけで、抱え込まないこと。大、分かった?」 と二宮が背中をぽんと叩いた。 「僕も相談のるよ!」 とジェームスも笑った。 ここ、1ヶ月、生来と会えてない菅野は、寂しげに1人、大の字で布団に横たわっていた。今日の分の仕事は早めに片付いたので、小説でも読もうと床についたのだか、読む気にならずにいた。 今晩も生来は来なかったため、少し不安になる。受験生である菅野の邪魔にならぬように、わざと、忙しくなるように自ら仕向けていたが、実際にこうも会えないと顔がみたくてしょうがなくなる。抱きしめて、キスをして、そのまま・・・「俺は、本当にどうしょうもない」 そんな、理性がきかなくなりそうな、自分に嫌気もさし、夏休み中はほぼ、毎日予定を入れ、生来の入ってくる余地をなくしたのだった。 夏の勉強量が受験を制すと言われる高三の大事な時期。生来には、勉強をしっかりしてほしいし、高校生らしい夏休みを満喫してほしかった。産婦人科医になるという夢も抱きはじめ、生来の足かせになることはしたくないと思っていた。菅野は目を閉じ、いつのまにか眠りについていた。 ー日曜日 生来はジェームスと地元の図書館で待ち合わせをしていた。海の側に隣接する、コンクリート五階建ての建物だった。壁面には魚や船が描かれていて、いかにも、ビーチサイドの図書館の雰囲気だった。1階、二階が書籍、三階が資料、四、五階が学習ルームとなっていた。どの窓からもナイスビューが望めた。 生来にとっては、幼い頃、絵本の読み聞かせや紙芝居を兄と一緒に観た懐かしい場所であった。今日は、ここで、ジェームスと勉強をすることになっていたのだった。 生来は、英語、ジェームスは日本語検定を目指しているらしく、お互い分からないところは、教え合うことになっていた。 ジェームスの親戚の二宮透子の提案でそうすることになったのであったが、それもこれも、夏休み中、ジェームスの子守り?!から逃れるべく、生来にバトンタッチしたのであった。 そんな、二宮はというと、夏で部活を引退した佐藤と勉強をする約束をしているらしく、このアクションスターのような男を図書館に置いて、さっさと行ってしまったのだった。 生来とジェームスは五階の学習ルームで勉強を始めていた。日曜日で一、二階は親子連れで人は多かったが、五階まで来ると誰も居なかった。 「まるで、貸し切りだな!」 「よ~し、勉強やって、なんか、そのあと食いに行こうぜ!」 とやる気モードの二人だった。 その頃、菅野も古文書を探しに図書館へ来ていた。ネットで調べたら、案外、近くに図書館があったので、自転車で来たのであった。「さすが、この辺りは公共施設さえも、洒落てるな。」と感心しながら、自転車を停めた。見たことがある自転車が一台あったが、「まさかな」と思い、館内に入っていった。 絵本コーナー、文庫、雑誌、新聞、洋書など所蔵本も充実していた。菅野の育った地域には図書館などなく、移動図書館というバンが一台、毎週水曜日に地域を回っているだけだった。「もっと、いろんな本が読みたい」と本への欲求が強くなり、今の職業である国語教師と繋がったのかもしれなかった。 菅野は資料などがある三階へと来ていた。探していた書物があったので、近くの机に座り、読み更けていた。 「ちょっと、必要な資料あるから、三階に行ってくる。」 と生来は、パタンと参考書を閉じた。 「オッケー」 とジェームスが伸びをした。 四階、三階、生来が長い足で、軽快に階段を降りる。資料室に着き、必要な書籍を探す。 「あっ」 机に座って熱心に書を読む菅野を生来は見つけた。ずっと会ってなかったため、なんだか、声もかけずらくなってしまっていた。「もう、自分のことなんて、忘れているかもしれない。」真っ先に、疑念が生来を捕らえた。 先生のがっちりした背中。さっぱりと整えられた髪と褐色のうなじ・・・久しぶりにその姿を近くでとらえ、呼吸が苦しくなってきた。 「わっ!」 上階から降りてきたジェームスが立ちすくんでいた生来を驚かそうと後ろからいきなり、抱き締めた。今の声で、菅野が咄嗟に後ろを振り向き、ジェームスに抱かれたままの生来と目があった・・・・ 「おい!離せって」 生来がジェームスの腕から逃れるようとするが、ジェームスは面白がって、キスする振りまでしてくる始末で・・・誰からみても、イチャイチャしている男同士であった・・・・ その様子を見ない素振りで、菅野は席を勢いよく立ち、古書を脇に抱えると、生来の横を素通りして行った。 横切った時に、大好きな菅野の香りがふぅとした。「先生!」声に出したいのに、出なかった。菅野の背中が見えなくなってしまった・・・生来は力が抜けると、その場に座りこんでしまった。
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