別れ話

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今度こそ別れてやる。 私は彼と別れる決意を固めた。 彼とは付き合いはじめてもう二年目になる。一週間前がちょうど記念の日だったのだが、彼は仕事がどうとかで来なかった。 これはもしかしたら、もしかするかもしれない。 そう、女だ。他の女の気配がする。同じ女の私には分かるのだ。 これは絶好の機会だ。相手が悪いという形でケンカ別れをすれば、すっきり跡形もなく縁が切れる。 シナリオはこうだ。まず、私が決定的な証拠を突き付ける── "ちょっとあなた! これどういうこと?" "ち、ちがうんだ。浮気だなんてそんな……" "じゃあこのシャツに着いた口紅はなんだっていうのよ! それに女物の香水まで!" "ぎくっ!" "ほら見なさい。やっぱり他に女がいたのね" "君にはもううんざりなんだよっ!" "あら逆ギレ!? むきーっ!!" というようなかんじで。我ながら想像力の(とぼ)しいこと。それに、シャツに口紅はベタすぎるか。そんなに分かりやすい証拠は見つからないだろうな。 そうこう計画を()っているうちに、部屋の扉がガラガラと音をたてた。彼だ。 「どうだった?」 「うん、また移動したんだって」 「……そうか」 「ところで、何を持ってるの?」 彼は手提げの着いた(かご)を持って、私の寝てるベッドに腰かけた。白い布で中身は隠されているけど、もしかして、フルーツバスケットだろうか。 期待でワクワクしているだろう私の顔を見ながら、彼はニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべた。 「じゃっじゃーん!」 やや大袈裟に、白い布をめくるとパアッと華やかな色が目に飛び込んできた。私はつい、わぁっと声をあげる。 中に(ひそ)ませていたのは、目にも涼しいフルーツゼリーだった。窓から差し込む日の光を虹色に反射させる透き通ったゼリーの中に、コロコロと宙に浮かぶ可愛らしいフルーツ。ブドウみかんマスカットももイチゴ。色とりどりの寒天が入っているものもあった。 見ているだけでも楽しいくらいに、食べるのがもったいない鮮やかさだ。今鏡を覗いたらきっと、目をキラキラさせた私が映っているだろう。 「気に入ったようでなにより」 彼は大成功とでも言うように、得意げに、ふふんと鼻をならした。悔しいけれど大成功そのとおりだ。 私がありがとうと言うと、彼は少し照れながら、籠から小皿を二枚取り出した。そして、ゼリーをひっくり返し、つるんと中身を上に乗っける。ぷるぷる揺れるゼリーのおしりに、ほぅっとため息が出た。 ついに、待ちに待ったゼリーが私の目の前、鼻先数センチに差し出されたそのとき、かわいらしいフルーツに似つかわしくないバラの香りが鼻をついた。彼の袖から、(かす)かに。 「はは、寄り目になってる」 彼が笑った。 先程まで思い描いていたシナリオがバッと頭を駆け巡る。そうだ、彼の浮気を(とが)める形で別れようと決めていたのだった。 私はフルーツゼリーを手に取った。なかなか食べ始めない私に、彼が体調を気にかけるような言葉をくれて、私は大丈夫だと返した。 想像していたよりずっと、嫌な気分だった。 彼が他の誰かと触れあっている映像が浮かぶ。やっぱり、私じゃない他の女性と一緒になりたいのだろうか。私じゃない他の誰かを、好きになってしまったのだろうか。 私はゼリーを一口食べた。不思議と味がしなかった。 「顔色が悪いよ、昭子。やっぱり休んだ方がいいんじゃ……」 「ううん、大丈夫だから」 いや、チャンスじゃないか。相手も別れたいというのなら尚更、都合がいい。円満に別れることだってできる。いや、縁が切れた方がいいんだったっけ。いや、しかしわざわざ余計な軋轢(あつれき)を生まなくても、いや……、いや。 「……秀壱くん」 「ん?」 「なんだか、バラみたいな、匂いがするんだけど」 少しだけ、でも私にとってはずっと長い沈黙が続いた。 「ああ、バレちゃったか」 彼の顔を見れないかわりに、重たい声音はしっかりと聞きとれた。視線が合わないように、私はジッとゼリーを見つめる。音をたててベッドが揺れて、彼が立ち上がるのがわかった。そしてそのまま彼は部屋を出ていってしまった。 まさか、これで終わり? 何の説明もなしに、これで終わらせてしまうの? 涙が(あふ)れそうになって、(こら)えるように上を向くと、再び病室の扉がガラガラッと開いた。 そこには大輪のバラを抱えた彼が立っていた。 「た、誕生日おめでとう!!」 彼はズンズンと大股で、ギクシャクしながら私の方へ近づいて、耳まで真っ赤に染めながら花束を差し出した。 驚いて声も出ない私に彼は続ける。 「本当は記念日に渡そうと思ってたんだけど、仕事がなかなか抜けられなくて、それで、一週間後の誕生日に渡そうと思って……やっぱ寒い?」 彼は恥ずかしさを誤魔化すように照れ笑いながら、目を泳がせた。 「秀壱くん、わたし……」 「うん?」 「誕生日、あした」 私は堪えられなくなって大きな声をあげて笑った。彼の悲鳴と同じくらい大声をあげたから、看護師さんに叱られてしまった。事情を聞いたら看護師さんも一緒に笑ってくれたけれど。 改めて口にしたゼリーは、口の中いっぱいに夏らしさを届けてくれた。見た目通り甘くて冷たくて、爽やかな味がした。 ああ、今日も別れられなかった。手強(てごわ)いやつめ。 私はベッドの脇のテーブルに百本のバラを飾った。
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