俺と沖と四ノ宮

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俺と沖と四ノ宮

 七夕(たなばた)だっつってんのになんで(もみ)の木担いで来るのか、お前の頭は七面鳥並みかと言ったら、 「俺の生まれた土地じゃ七夕は八月だ」  とのこと、そうかならしょうがないなと(ほこ)を収めて、でもそれで引くような男ではなかった。  奴は言う。長年ずっと苦しんできた、どうして七夕が七月なのか、と。みんなで仲良く七夕飾りを作って、願い事を書いた短冊を笹に吊るして、そんなキラキラした目の同級生たちに向かって「お前らは騙されている」と、孤独なレジスタンスとなり大人の圧政に立ち向かわんとした小学校の頃。それが彼の幼少期のトラウマ、俺と出会う以前の思い出話で、つまり俺からすればどうでもいいとまでは言わんがしかし反応に困る。  およそ一年半ぶりの再会、積もる話かそれとも思い出話に花を咲かすかと、そのはずの場面でこいつは第三の選択肢を選んだ。まだ俺たちが出会う前、こいつだけが知ってる悲しい記憶。聞いてやるのはいいけど、返答に困る。ただ相槌を打つ以外に何もできない俺に、でもこいつは——高校の頃の同級生であるところの秀才・(おき)は、あの頃と何ひとつ変わらない顔で、ただ低く静かに言い放った。  この時期は正直、お前らのことも敵だと思っていたよ、と。  七夕は八月だ。それを勝手に七月に変えて、しかもそっちがたまたま多数派だからって、それだけの理由で俺を異端扱いするな——心の底からのその慟哭はでも、何度考えても「今する話じゃねえよなそれ」としか言えない。落ち着け沖。そう宥めるべきだとわかってはいたが、でもとてもじゃないけどそんな気にはなれない。  沖は本気だ。目の色が違う。細い眼鏡(めがね)の向こう側、いつも涼やかに世を(へい)(げい)していたはずの秀才の瞳が、しかしここまで熱く(はげ)しく燃え上がる、そんな意外な一面をよりにもよって、こんなどうでもいい話題で見たくなんかなかった。 「落ち着けよ少数派、お前は負けたんだ」  お前の七夕は二度と戻らない——俺のその慰めに、でも沖は案の定「()(すみ)貴様ァァァァーーーーーーッ!」と激昂して、いや本当しばらく会わないうちにだいぶキャラ変わったよなお前と、そう言いかけて即座に思い直す。  そうでもない。いや印象が変わったのは間違いないのだけれど、でもこいつの場合はまだ可愛い方だと、そんなことを思いながら俺は沖をあしらう。 「ははは吠えろ負け犬、その悔しそうな顔をもっと見せろっつーか遅いな。もう三十分も過ぎてんぞ。何やってんだ()(みや)のやつ」  四ノ宮は沖と同じく高校の頃の同級生で、つまり今日はこの三人で会う約束だった。久方ぶりに連絡をもらったのは最近のことで、ちょうど沖からも連絡があった頃だ。「久々にそっち帰るから会うか」という沖の提案に、いいけどあの頃はあいつもいたよなと、まさにそう思った瞬間の連絡だったから驚いた。  いま思えばそんな驚くほどのことでもないというか、この程度はまったく可愛いものだ。タイミングが被るくらいは誤差みたいなもので、だから問題はその連絡の内容そのもの——たった一年半目を離していただけで、どうしてあいつはあんなことに。 「なあ沖、この際だ。本人が来る前に聞いておきたいんだが、どう思う。四ノ宮のこと」  ひとりで抱え込むにはあまりに大きすぎる現実。こういうときは秀才・沖の頭脳ほど頼りになるものはなくて、そしてその秀才は例の鋭い目つきのまま、こともなげな様子で淡々と答える。 「どうもこうもない。平常心だ。この程度のことで動揺しているようでは、俺たちのその、なんだ。まあいろいろだ。危ぶまれる」  おいビビリまくりじゃないか気をしっかり持て、と、そう言ってやるのが友達だろうがでも無理だ。おそらくは俺も似たようなもの、いやむしろ俺の方が重症かもしれない。お昼過ぎの半端な時間、約束の駅前広場は人影もまばらで、というかどう見ても人っ子ひとりいなくて、いくら過疎化の進んだ田舎といってもお年寄りのひとりかふたりくらいは散歩してるだろ普通と、そんな地元の行く末に気を揉む余裕もないほど俺は緊張していた。 「落ち着け久住。今から来るのはただの四ノ宮だ。俺たちの友達で、予定だってただの七夕パーティで、そして近頃は写真アプリもずいぶん高機能になった」  わかっている。そんなことは言われるまでもなく知っているのだが、それならはっきり答えて欲しい。なあ沖、いま俺の視線の先にあるあれはなんだ? 駅の改札口、小走りに駆けてくる白いワンピース。長い黒髪がそよ風に揺れて、その上には大きめの麦わら帽。まるで絵本か児童文学の世界からそのまま抜け出してきたようなその人影は、しばらく周囲を見回した後——教えてくれ沖、あれは本当に何なんだ? 俺たちの青春は、あの三年は一体どこに消えた? 駅舎の前、俺たちの姿を認めるなり、その細い手を目一杯振るあの天使は何だ? 「くすみー! おきー! ごめーん遅れてー!」 「ハイ声が高い終了」 「しっかりしろ久住ィィィィィィーーーーーーーッ!」  白昼の柔らかな幻想の向こう、遥か頭上から沖の叫びが聞こえる。危なかった。その場にくずおれ、そのまま昇天しかけた俺の儚い命を、しかしどうにか繋ぎ止めたのは友の声だ。親友でよかった。昔とは若干キャラが変わっていたのも。いつもクールで静かなあの頃の秀才・沖なら、こんな大声で俺の名を呼ぶことはなかっただろうから。 「悪い沖、油断した。一応頭では理解していたつもりなんだが、いざ現物を目の当たりにし」 「えっ、くすみ大丈夫? どうしたの? おなかいたい?」 「目を開けろ久住ィィィィィィーーーーーーーーッ!」  もはや友の声すら届かない。胸に満ちる幸福感、あるいは満足感のようなものが、「もうこの人生にやり残したことはない」と告げている。身も蓋もない言い方になってしまうが、それくらい四ノ宮は可愛かった。綺麗で、しとやかで、あまりにも女らしいその変わり果てた姿に、大事な三年間の思い出が木っ端微塵になったというかした。自分で。いやぶっちゃけあっちより絶対こっちのほうがいいわと、一切の迷いなく上書き保存した。  四ノ宮は女になっていた。当人によれば「いや格好だけだよ?」とのことだが、俺や沖からしてみればこんなもの完全に女だ。むしろこの世界のどこを探してもお前以上の女などいないと、実は事前に送られた自撮り写真の時点でそう承知していたのだけれど、でも沖の言う「写真アプリの性能が」という意見は正しい。写真では完璧でも直接会うといろいろ印象の違う部分が出てくるのは当然のことで、だから世界一から日本一になるくらいは想定しておいた方がいいなと、その心構えがなんの役にも立たなくなる程度には完全無欠の美少女だった。 「馬ッ鹿野郎ォォ四ノ宮ァァァーーーーッ! 久住は死んだぞ! 今のお前のひとことが殺した! もし本当に格好だけでそれなら、脱いだら一体どうなるっていうんだ!」 「落ち着こう沖? 脱いだら元に戻るだけじゃないかな?」  ていうか裸ならもう見てるでしょ君たち、と拗ねたように頬を染める俺たちの四ノ宮。そうだね見たよ修学旅行とかでな、と、その言葉がまったく声にならない。周囲にはただ沖の絶叫が響き渡るばかりで、いくら人がいないからってやりすぎだと思うのだけれど(だって駅前には交番がある)、でもあの頃の俺たちはいつだってこう、見えない明日を探して慟哭していた。見えない明日というのは具体的には女っ気だ。  俺たちの高校は工業系で、それも女子とは無縁の機械科にいた。多感な青春時代の三年間、ほとんど修行僧のような生活を余儀なくされた、その後遺症と思ってもらっていい。いま現在のあまりに過剰な反応、四ノ宮に対するこの異常な振る舞いは。とはいえ別にお前らにわかってもらおうとは思わん、昨今じゃ女性警官の数もずいぶん増えたようだしなァ——なんて、さすがにお巡りさん相手にそんなことは言えない。自分の小物ぶりを改めて思い知らされた気分で、つまり沖はすごいなと思った。俺の友人は怖いもの知らずだ。いまや触れるものみな傷つけるナイフとなって、ついには七夕のことまで噛みつき始めた。  痺れはするが、憧れない。間違ってもこうはなりたくないなと、そんなことを思う休日の午後。  四ノ宮の必死のとりなしのおかげでどうにか事なきを得た俺たちは、ひとまず俺の自宅アパートに向かうことになった。今日の本来の目的地で、つまり七夕パーティの会場だ。いい歳こいた男が三人顔付き合わせて七夕パーティもないと思うが、でもふざけて言ったそれを誰も止めないのだからしようがない。男に()(ごん)はないというのは本当のことで、思えば俺たちはいつもこうだ。誰かが思いつきで言い出した無茶を、それ以外のふたりが「吐いた唾は飲むなよ」とばかりに実現させる。勝者のいないチキンレース。中断や撤退が許されるのは、当人が負けを認めてごめんなさいするか、三人同時に正気を取り戻したときだけだ。  今日も同じだ。男三人の七夕パーティ。あの彦星でさえ唯一交際相手と逢引する日だというのに、と、本当ならそう咽び泣くはずのところ、でもなんか想定外の方角から織姫が来た。せっかく来てくれたのに沖が肝心の笹を勝手にもみの木にして、もちろん本物ではなくレプリカっていうかおもちゃなのだけれど、とにかく狭いワンルームの中央に鎮座するそれに、 「いや俺のもみの木がどうこう以前においなんだこの部屋」  若干青ざめた様子の沖。なんだも何もただの学生向けのアパートで、でもここに住むようになったのは比較的最近のことだ。どうせ地元の大学だしと、甘い目論見で実家から通う予定が、しかしあまりの遠さというかローカル線の不便さに根を上げる羽目になって、ほとんど半泣きで越してきた学校そばの物件。 「——と、俺がお前からそう聞いたのがだいたい半年前だったな? それがなんだ? どうして半年経った今でさえ、そこらにダンボールが転がっている?」  殺風景なワンルーム、転がるのは未開封の引越し荷物ばかり。でもそれはロフトという名の寝床で生活が完結しているからだと、そう指差してみせた梯子の上。最上段、縁に腰掛けながら「いいなーロフト羨ましい」と、足をパタパタさせてはしゃぐ純白の天使。何この絵面。異性に免疫のない工学徒にはあまりに刺激の強すぎる光景、だから今すぐ助けろと目線で縋った唯一の友は、でも「パーティだというのに皿の一枚もないとはどういう了見だ」と勝手にダンボールを開けまくるっていうかいや今はそんなのどうでもよくない? って思う。  なんだろう。あまりにも自由で、あまりにも勝手で、あまりにも我が道を行き過ぎるいつもの三人。  あの頃の三人。こうしてまた集まれる日が来るなんて、と、その素直な気持ちだけはでも絶対に言えない。沖が言うのは構わないし、四ノ宮だったらなおのことだろう。何かにつけては会おうと誘ってくれたのは沖だし、実は四ノ宮もちょくちょく手紙をくれた。ふたりとも遠くの大学に進んで、聞けば俺なんかよりだいぶ忙しそうなのに、それでも俺を気にかけてくれる。  ——それでも、一年半かかった。ここまで来るのに、どうしても。  情けない話で、それは重々承知している。すべてを飲み込んだ、そのつもりで今日この日に(のぞ)んだのに。 「悪いな、なんか」  油断した。安心して気が緩んだおかげか、思わずこぼすつもりのない言葉をこぼしてしまった。謝罪。少なくとも彼らにとってみれば、その筋合いはないはずなのに。  沖ひとりと会うのならよかった。あるいは四ノ宮の方だけでも。問題は三人全員が揃ったことで、こうなると俺には立つ瀬がない。俺たちは変わった。あれから一年半も経ったんだから当たり前だ。秀才・沖は東京の大学に進んで、四ノ宮が選んだのは京都だった。沖に言わせればこの四ノ宮、なんと紛れもない天才なんだそうだ。大袈裟な、とは、でも思わない。俺たちとはそもそもの『層』が違う、そんな気配はこんな俺にすらわかった。何をやらせても完璧だったし、初めて挑むことすらそつなくこなした。本当は知っていた、だって四ノ宮のやることだ。例えば魅力的な少女の姿になることくらい、こいつは「なんとなく」で簡単に果たしてしまう。  秀才と天才、そして俺。結局俺だけが地元の大学に進んで、特段やりたいわけでもない勉強を続けている。大学の工学部は目の回るような忙しさで、なのに俺はいま現在、すでにこのふたりにはついていけてない。講義のレベル自体が違いすぎた。今は懐かしい高校の日々、この三人でつるんでいたことの方が不思議なくらいだ。昔の俺は馬鹿だったのか? どうして何も感じずにいられた、ただそばにいるだけで自動的に負け続けるというのに。 「いやその、すまん。なんでもない」  坂を転げ落ちるかのように沈んでいく思考、それを無理矢理堰き止めるために言葉を吐く。息をする。口を動かし、声が出ている間はまだ生きていられる。こいつらに気取られるわけにはいかない。いや気取られるだけならもう今更だけれど、でもその結果それを押し付けることになるのが嫌だ。俺の弱い部分は俺自身のもので、いくら秀才・沖の頭脳が頼りになると言っても、こんな自家中毒の世話まで押し付けるわけにはいかない。  取り消す。さっきの無意識の「悪いな、なんか」を。結論から言うと、駄目だった。今更キャンセルはきかないとばかりに、その目をキッと吊り上げる沖。 「なんでもないことがあるか、全部開けたが皿がないぞ。どのダンボールにもだ。どういうつもりだ久住? お前は俺たちに皿のない家で宴会をさせるつもりか?」  いやこの()に及んでまだしつこく皿なのと、そんな理屈をまるで聞いてくれないのがこの沖という男だ。昔は違った。どんな場面でも至って冷静沈着、じっと人の言葉に耳を傾けることができるのがこの男の秀才たる所以で、にも関わらずいま俺の目の前のこいつ、目を吊り上げて怒り狂うこの(さま)はなんだ。低くドスの効いた声で「謝れ」とひとこと、眼鏡を押し上げるその独特の手つきと、俯き加減の顔から発せられるプレッシャーが怖いっていうかもうほんと誰だ。  すまんかった皿のない家で、と勢いに押されて謝罪しかけた、その瞬間にでも割って入る声。 「あるよ? 皿」  四ノ宮。いつの間にかロフトから降りていた彼は、ちょうど床の上に皿を並べているところだ。かわいい。きっと無意識のことだろう、うっすら聞こえる鼻歌がまるで天使の歌声みたいで、こいつはこいつでやっぱ誰ってなるけどでもそれ以前にいろいろとおかしい。  ——ありえない。この件に関しては秀才・沖の言葉が正しいはずで、事実この部屋に皿は一枚もない。それくらいは住み始めてから揃えればいいと、最初から荷物に含まれてすらいないのだ。そんな存在しないはずの物体を一体どこから、いくら天才といってもさすがに物理法則をねじ曲げるのはやりすぎ——と、その俺と沖ふたり共同での抗議に、でもこの無邪気の楽園はにっこり笑って、 「ん」  とがさごそ漁っては中から皿を取り出してみせる、それは彼自身の鞄だった。 「まさか、持ってきたのか? 家から? 皿を?」 「いるかなって思って。だめだった?」  ううん? いいんだよ君のやることにだめなことなんて何にもないからと、つい甘い顔をしそうになったその瞬間のこと。 「——そうだ。お前のやることは全部、昔からそうだったな、四ノ宮」  低く沈んだ沖の声。どうした、と声を掛けるも、彼はなんだか渋い顔のままだ。 「お前のやることはすべて正解だった。化け物か神様のようで、何をやっても追いつけない」  お前のおかげだ——(うそぶ)くようにそう言って、そして声の調子もそのままに彼は続ける。  おかげで、ずっと二番手だった。その気持ちが、お前にわからないはずがないよなあ四ノ宮。だってお前にわからないことはないのだから。お前にわからないことがあるだなんて、そんなの俺が許さないのだから。俺の醜い嫉妬も、狭量な器もすべて見抜いた上で俺に付き合って、そこには悪意も見下しもかけらもなくて、ただただ友情だけがあった。わかるよな? その場に膝をついてただ祈るしかない、神の前に放り出された人間の気持ちが。高校を出て、お前と久住と別れ別れになって、それでどうなったかもどうせお前にはわかってると思うが、俺は絶望と安心を同時に味わったよ。光を失った絶望と、闇の中に沈むことの安心感を。初めて息ができるようになった心地がしたし、いくら吸っても酸素が足りないような気がした。だからだ。今日まで久住とは何度も話していたのに、でもお前とだけは連絡が取れなかった。昔のままでは、自分の感情を表に出せない秀才のままでは、お前に会うことができなかった。思った以上に時間がかかってしまったが、しかし、なんだ——。 「すまなかった。待たせて」  そう頭を下げたかと思えば、そのままこちらへと向き直る。何を言うのかと思えばまったく呆れた話、沖は俺にまで謝った。滅茶苦茶だ。というか、何言ってんだこいつと思った。今のはほとんどそっくり俺の気持ちで、少なくとも秀才やれてたやつが俺の前で吐いていい言葉ではなくて、だからできることならこいつの眼鏡のレンズを指紋でベタベタにしてやりたいと思った。できることならだ。本当にできるかどうか、その答えは挑戦したものにしかわからない。トライだ。 「久住貴様ァァァァーーーーッ!」  感情をそのまま吐き出せるようになった沖の、その本気の逆上は凄まじかった。人間変われば変わるものだと、そんなひとことでは到底済ませることはできない。沖は変わった。変わるためにかなりの時間と努力を要した。それに引き換え俺はどうした? ただ親しい友人を妬み、そのくせ何もしてこなかった。そればかりか一方的に深い溝を作って、二度と渡れないよう濁流の川にして、でもその対岸から舞い込んで来た一枚の手紙、美しい天女の自撮り写真で即「会おっか」ってなった。最低だ。こんなクズは彼らの隣に立つ資格はなくて、でもなくしたものは探して取り戻せばいいと、そう呑気に思えるのはまあ簡単な話。  ——そうか。俺だけじゃなかった、っていうか、あの沖がねえ。  そう思うだけでなんとなく、心のどこかが軽くなるのがわかった。そういえば今日は七夕パーティ、星に祈った密かな願いを、サンタさんが叶えてくれたのかもしれない。なあ晴れるかな今夜、という俺の言葉に、ハア何言ってんだお前と沖が首を傾げる。何もクソもない、だってせっかくの七夕、そしてせっかくの再会だ。どうせなら星空が見たいに決まってると、その俺の言葉に再び目を吊り上げる秀才。  彼は呟く。重たい声で、何遍言わせる気だ、と。 「七夕は八月だ。それを七月に無理やり移動させたところで、梅雨の曇り空が星空になるはずもない」  星はない。少なくとも今日、俺や貴様の頭上に輝く星は。実際、天気予報を見ても今日の夜は曇りで、なんだったら雨の可能性まであって、だから完全に企画倒れの雰囲気濃厚な中、しかし唐突に響き渡る天使の鼻歌。 「あるよ? 星」  振り向けばそこは部屋の中央、笹という名のもみの木の隣。いやいくら天才でも星は無理だろう星はと、そう思うよりも早くそれは見えた。もみの木のてっぺん、ジングルベルを歌う天使の飾り付ける、キラキラ大きな星飾り。嘘だろ、という俺の声と、参った、という沖の苦笑が重なって、そして天使は俺らに微笑む。ありえない。何から何まで非現実的な俺の親友は、でも確かにいま俺の目の前にいる。奇跡だ。前倒しで叶った俺の願い、二度とないかもしれないとすら思った三人の時間。あるいは、これが天からの贈り物なのか。  曇り空を飛び越えて降臨した天使、空の天辺から落ちてきた星。  俺たちの四ノ宮は、ついでに沖も、こうしてダンボールまみれの部屋の中——いま、思い出よりも激しく、キラキラと(きらめ)く。 〈ティンクル・ティンクル・リトル俺たち 了〉
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