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「さて陽さん、もうご飯は食べられましたか?」 「ううん」 「僕もまだですので、一緒に食べましょう」  いつも吉見家には世間でいうおやつの時間あたりに訪問する。小学生の帰宅時間でも昼の十二時まで寝ている陽にとっては朝なので、それほど腹は空いていないのだが、寄るとこうして飯の心配なんぞをしてくれる。 「えーいいよ。どうせ精進料理だし」  一日一食は当たり前、それも手が空いた営業時間の合間にコンビニのサンドイッチを軽くつまむくらい、ないなら別に食べなくてもいい程度の食生活が、吉見には質素に映るらしい。 「じゃあ次はスタミナがつくようにトンカツ唐揚げ天ぷらなどをまんべんなく用意しておきますね」 「うげえ、もっと無理。マックのポテトでも俺胃もたれするもん」  顔をしかめるとすぐに指導が入る。 「ほら、消化機能が弱い証拠ですよ」  冷蔵庫から取り出すのは作り置きしてある大根の煮物、ほうれん草のおひたし、鯖の煮付け。 「こんなささやかなもんをちまちま製作するために一日の時間を費やして、わざわざ顎筋使う気持ちが全然わかんない」  手元を覗き込んでコメントすると、失笑を買う。 「人類が受け継いできた耕作の歴史を大否定ですね」 「そんな暇があったら一分でも多くベッドでゴロゴロしていたいし。近未来に完全食でタブレットが出たら一生飲んでるわ」 「野菜は栄養があるんですよ。陽さんはお酒もいっぱい飲まれるし夜のお仕事ですから、ビタミンを特にたくさん取らないとダメです」 「お母さんみたい」 「僕が本当のお母さんならこの二十倍は心配します。こんなに骨と皮だけで」  吉見は親指と人差し指を繋げて陽の手首の横で丸を作る。 「…いやそんな細くねえし。てかこんなにご飯いらない」 「いけます。食べてください」  えーと言いながらも箸を取る。  お米はホクホクで、さばの身はふわふわ。おひたしはちょうどいい薄味。味覚が一応備わってはいるのだから、まあ口にしたらしたで不味いことはない。ただ、三大欲求の中で食欲のマックスゲージが極端に少ないだけだ。  ぽそぽそ食卓の皿から口に運んでいると、じっと観察される。 「何だよ」 「初めてお会いした時は、本当にお綺麗でミステリアスな雰囲気にドキドキしていたので、こうしてご飯を食べてる姿が微笑ましくて」 「ぜひともそのままのイメージでいてほしかったね」 「陽さんは、全体の色素が薄いせいだからでしょうか、この世のものじゃない感じがなんとなくします。泉の妖精とか」  そういう表現を聞くと、ちゃんとアーティストやってんだなと思う。綺麗とはよく言われるし自分でも知ってるけど、そんな風に言われたのは初めてだった。 「『あなたが落としたのはこちらの金の骨? 銀の骨?』」  答えを待たずして鯖から出た骨を吉見の皿にさっと寄せる。「ああっ」と困ったお約束リアクションが笑える。 「て…もしかして、これまさか彼女の手作りとかじゃないだろうな」  今更思い当たるがそういえばおかずは大体いつも保存パックに入っている。彼女の存在は陽を断る口実だとかすかに訝しみもしたが、歯ブラシや男用にしては短い箸など、通ってみるとこの家にはちゃんと吉見以外の気配がする。  もし彼女が作ったものを今まで口にしていたんだとしたら気分が悪い。 「いつもお出しするのは、前の夜僕が作っているものですよ」 「へえ、全部自作? 本当に主婦みたいな生活だよね」 「家にいる時間がどうしても多いですからね。描く作業も、きっちり朝から夕方までしかやらないですし」 「俺、画家とかって夜中にハッと起きてキャンバスに延々向かうみたいな人たちのこと想像してた。俺よりもバリバリ生活習慣乱れててさ」  実際、昔一瞬だけ付き合っていた服のブランドデザイナーがそういう生活スタイルだった。 「もちろんそういう人も沢山いますよ」 「むしろそういう人のが世の中多いんじゃね」 「そうかも知れませんね。でも夜は、眠くなってしまうので」 「眠くなるって、子供かよ」  夜遊びもほとんどせず浮気の心配はなし、仕事熱心で経済力は手堅い、家事もむしろ率先して手伝ってくれる。作業用のエプロンにインクがついてなかったら、もう完全に主夫の風格である。  男気や野生味は足りないが、ある程度恋愛経験を積んだ女が辿り着く『結婚したい相手』の模範解答である。家庭的とは程遠い陽とは正反対だ。そして、今まで付き合ってきた人物たちとも吉見はタイプがまるで違う。 「それに、描くことは自己管理あっての職業ですから。絵だって日光の自然な光じゃないと色がわからなくなるので、起きていたとしても夜に筆は持ちませんよ」 「ふうん、そんなもんなんだな」  だとしたら三時に昼ご飯を食べるのは不自然極まりない。  もしかしたらいつ来るかもわからないのに昼の時間を陽のためにずらしてくれてるのかもしれなかった。  ついこの前知り合った陽に対しても分け隔てなく向けられるこの気遣い。  でもそれは決して特別な感情ではなく、あくまで吉見という形成された人格の中にある優しさの一環だ。これだけ人と親切に接することのできる穏やかなこの生物を独り占めする女とはどんなものなのか。しかし大体吉見は家にいて、頻繁にデートなどしている感じは見受けられない。  彼女が案外粗野か、吉見が釣った魚に餌やらないタイプだったらちょっと笑える展開だ。しかもそこに浸け込むこともできる。 「彼女とはさ、よく会わないの?」  陽はさりげなく訊いてみた。 「そうですね、忙しい方ですし」 「ずっとそんなかんじ?」 「うーん、ここ数年はお互いに時間が合わなくなって自然とって感じですかね」 「ずいぶん淡泊じゃん?」 「元より、交際期間が長いのでそんなに違和感もないですよ」 「へえ。どれくらい付き合ってんの?」 「えっと…九年ですかね」 「きゅーねん?!」  と言ったら、生まれたばかりの子供が小学四年生に成長している。そんな期間特定の誰かと一緒に過ごしたことなんて親以外ない。 「はい、僕が大学最後の年からですから」 「マジかよ。俺なんて、最長半年しか付き合ったことないわ」  それも店がオープンしたての頃で陽が忙しく、ほとんど会わなかった。気づいたら半年経っていた、という程度だ。 「は、半年、ですか?」  吉見が箸を止め、目をパチクリさせる。 「おい今馬鹿にしただろ」  今回は本気で睨む。 「いえ、そうではなくて…。半年だと相手のこと知らないまま別れることになりませんか?」 「そうかな。別に付き合って一ヶ月もすれば大体どんな人間かはなんとなくわかるじゃん。嫌なとこも見えるし。俺束縛されんのとか大嫌いだから、そういうこと恋人ずらでされるともうだめ。引いちゃう」  そういえば最初は彼女と別れて憔悴という設定だったことが頭にちらつくが、もう今更どうでもいいかと開き直る。 「恋人ずらって、実際恋人なんですから」 「でも踏み込んでいいラインがあるだろ? そういうのわきまえられないやつだと、一気に嫌いになっちゃう」  他にも別れる原因は多種多様でまあ色々あるのだが、あえて言う必要もない、と口をつぐむ。ただどうしてか大体、すうっと陽から冷めていくのは事実だった。  しばらく首を傾げ斜め上を向いていた吉見が、口角を意味深に上げ、また食事を再開した。 「おい今なんか考えてただろ」 「いえ、別に」 「言え」  声を低くして凄むと吉見が困り顔で微笑む。 「やっぱり、寂しがり屋なんだなー、と」 「あああああ。もう何でもかんでもそれに繋げんなあああ」  頭が痛くなってくる。 「す、すみません」 「どうせあれだろ、付き合うスパンが短いから、飽きやすいやつは現状に満足できない傾向でつまり多くを求めてしまう、イコール寂しがりだとかそういう解釈でしょ?」 「あ、いやそこではなくて…」 「なんだよ違うのかよ」 「心を許す線を深くに引いているので、よっぽど信用しないと踏み込ませないんでしょう。辿り着くのがとても困難で、皆さん脱落してしまう。だからと言って全てを排除してるわけではない。ちゃんと線はあるわけだから」 「だから、前置き長いんだって。もうはっきり言えよ」  いらつきを抑えもせず、右足を小刻みに揺らした。 「陽さんは選別が厳しい。それは、ラインを超えられる唯一の人を、ずっと探してるってことではないですか?」 「俺、言っちゃなんだけど男だからまだまかり通ってるけど、もし女だったら確実にビッチって後ろ指刺されてるよ」 「だから、その相手を見つける手前で寂しさが勝ってしまうんです」 「吉見さん、まじで本当めちゃくちゃムカつく」  謙虚なのにおどおどはしてなくて、指図しないようで意外と世話焼きで、何も気づかないようで実は鋭くて。 「すみません」  吉見をちょっとでも痛めつけられる方法ないかな、と深いため息を吐いた。  男の本性を暴くつもりだったのに、陽自身も考えたことがなかったようなことを当然のようにさらりと言ってのける吉見に驚かされっぱなしだ。 「でも、寂しいことって別に悪いことでも恥ずかしいことでもないじゃないですよ。なぜそんなに隠したがるのかな」 「だから隠したがってないし、寂しがりでもない!」  叫びながら音をわざとたて椅子を引く。  食器をシンクにがしゃんと入れたら乱暴に皿洗いを始める。  それを後ろで見守る男を気配でわかる、きっと目尻を下げて笑っているんだろう。  ああムカつく。
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