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10
次にはっと目が覚めると、香ばしいコーヒーの匂いが鼻をくすぐった。
目を開けると明るい日差しに包まれたリビングのテーブルに、吉見が座っていた。
「ってえ…」
すこし起き上がっただけでも頭ががんがん割れるように痛い。
「おはようございます、陽さん」
「ここって…」
「覚えてませんか? 今日朝方、いらっしゃったんですよ」
「…今何時?」
「九時です。コーヒー飲みますか?」
「いい。…水」
大きめのグラスいっぱい注がれた水を一気飲みして、ようやく朝方のことを思い出してくる。
「昨日…ってか今日か。…なんか迷惑掛けてごめん」
酔いが冷めてみると昨日の思考回路が自分でも謎だった。
人の家の前で寝ようとするなんて迷惑千万極まりない。しかも結局たたき起こしてしまい、家に通されてしまっている。
相当失礼なことをしたという自覚はあった。
「明け方玄関がごそごそ音を立てているのでびっくりして見に行ったら陽さんが横たわっていて、何が起こったのかと随分心配しましたよ」
「ほんと悪かった。ただの酔っ払いだったわ」
「お酒の強い陽さんにしては珍しいですね。記憶はありますか?」
「…うーん、ところどころ?」
笑いを堪えるような顔だったので、怒っていないのだと知れた。いまだ吉見が怒るところや不快になったところなど拝んだことはないけれど、こんな状況でも咎める気配ひとつ見せない。
もしかして怒りの感情が脳に組み込まれていないんじゃないだろうか。
「俺は強いんだって、ずっと言ってましたよ。石本さんに会ったみたいなこともおっしゃってました」
「ああそうそう。石本さんにさ、一人でもなんなく生きられちゃう一匹狼タイプなんじゃない、みたいなこと言われて、ほらどうだって。吉見さんに言いたくなったんだと思う」
「そういうことでしたか。それでいてもたってもいられなかったんですね」
「だって吉見さんだけ俺への見解が違うんだもん。…なんで?」
「なんででしょうねえ。僕は自分から見えることを正直にお話しているだけなんですが」
吉見も首を傾げる。鋭い自覚があるのかないのか。
「ともあれ今度からは玄関で寝ようとするのはやめてくださいね」
「だよな、びびらせて悪かった」
不審者が家の前で寝ている件について謝ったのだけれど、「本当です」に続いたのは全く違う方向からの心配だった。
「陽さんは免疫力も弱いでしょう。こんな薄い身体で、風邪でも引いたらそれこそ大変なことです。大事になりかねません」
一から十まで陽のことしか案じていない。お人好しすぎる。
子供じゃないんだからと思う一方で、歯がゆいようななんとも言えない気持ちになる。身内が自分のことをオーバーに人前で褒めちぎったとき、もうやめてよ、とたしなめたくなるような感じに近い。
「玄関の足元に松の盆栽があるでしょう。鉢の下に鍵があるので、必要な時は鍵を使って中で休んでください」
「そんなん…人に教えちゃっていいんかよ」
更に陽は面食らう。
「誰にでも言いふらしてるわけではありませんよ。信用している陽さんだからです」
自分の何を見て信用しているというのだろう。随分人を信じる基準が低いみたいだ。
「どうする? 空き巣に入って絵のストック全部売りさばいちゃったら」
「事前予告とは、親切な泥棒さんですね」
吉見はそう言って取り合わなかった。
内心。心がほんのり温かくなる反面、うっかりノーガードで鍵を開けて入ってしまって彼女と鉢合わせになったらなんかやだな、と思った。だから教えられても今後、使いたくはない。
吉見の彼女をこの目で見たくない、と思っていた。
「朝ご飯、食べて行かれますか?」
「いやいい、今何か胃に入れたら絶対吐く。このまま帰る」
いつも吉見に会う度、優しくされては反動で軽いジャブを食らう。というか、勝手にこっちがダメージを受けている。百パーセント良い気分では帰れない。焦ったり居心地が悪かったり、むずがゆくなったりする。
それでも足はなぜだか吉見の家に向かってしまうのだ。
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