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「やっぱさ、どんなにテクノロジーが進歩しても、営業は足で稼ぐ、結局泥臭い仕事なんだよね」
三浦と名乗った七十五点男はカランとグラスの氷を揺らす。
クリーニングにかけすぎたスーツのしわが鈍く光っている。馬車馬並みに頑張ってる自分アピール系はとにかく大変でしたエピソードをなぐさめてりゃいい。
「相手は生身の人間ですからね」
「そう、そうなんだよ。これだけ今は物が溢れてる時代だからさ。クライアントが求めるものは実際の商品じゃなくてこっちの熱意や誠意なんだよね」
「なるほど、真理ですね」
陽が神妙に頷くのを待って、男はまくし立てた。
「だからさ、若い奴は効率効率って言うけど、それ怠ったやつは短いスパンでどんだけ売り上げ伸ばしても後に続かないんだよね。どんだけかっこ悪くても結局直接足運んでお願いして、気持ち伝えてってやってかないと、信用は勝ち取れないんだから。それわかってない奴が多すぎるんだよ」
どーでもいいわ。
お前のしょぼくれた営業論なんざびた一文興味ねえわ。
「わかってない人が多いからこそ、三浦さんを部下に持った上司はとても恵まれていると思いますよ」
「ふ、そうかな」
まんざらでもなさそうに男は笑った。そうそうこの感覚、と陽は内心で満悦する。
たっぷり二時間は付き合っただろうか。カウンター下に隠してある携帯が通知で何度か光っているのはわかっていたので、そろそろ男の自慢話に辟易してきた頃そっと開いた。
見れば今はほぼ機能していない、その昔店のイベント告知用にと作ったツイッターからで、ダイレクトメッセージが届いている。
『吉見です。陽さん、お元気ですか』
情報社会にてんで疎そうなのにこんなアカウントまで探り当てる能力が備わっていたとは驚きだ。
『最近お見かけしないのでメールしました。サイン会に来てくださっていたのですね、ありがとうございます。ご飯は食べていますか? またお暇なときに寄ってください』
いけしゃあしゃあと。上京したての孫の食生活を案ずる田舎のばあちゃんですか?
陽は苦虫を噛み潰して画面を消す。
「そういえばこの店、締めって何時?」
「一時でございます」
「あともう少しじゃん。じゃあさ、もしよかったらその後飲み直さない?」
陽は肯定の笑顔を向けた。はい、ちょろいちょろい。
「では二件目で潰れないように、ラストオーダーは何か薄いものにしましょう」
「お、よくわかってるね」
うるせえ、お前のことなんか何にもわかってねえよ。
でも、カウンターの向こうの相手にこちらが興味がない分だけ、相手も陽のことなんか知ろうともしてないことくらい陽だって十分すぎるほど認知している。
お互いの利害関係が一致したら身体を重ね、時には付き合ってみたりして、飽きたり問題が起きたら別の相手を見つけ手順一の振り出しに戻る。くっついたり離れたりを永遠に繰り返す、水族館で泳ぐイワシのように個人の集合体でできた群衆の一部であること。
それが陽の紡いできた人間関係という糸だった。今までも、そして多分これからも。不満はなかったはずだ。
それなのに今、男との慣れ親しんだ会話の展開にほっとする一方でじゃり、と砂を噛むような不愉快が混じっている。
理由は明確で、吉見と明理を見てしまったからだ。
仮にこの男と万が一付き合うに至ったとして、その先に吉見たちのような末長い関係が陽を待っているとは到底考え難い。
それでも、今日この永遠にも感じられる長い夜を埋めるための誰かが陽には必要だった。
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