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別に、なりたくてバーテンダーになったんじゃない。
大学卒がごろごろそこら中で就職難民なんかやってちゃ、そもそも資格と教養がなくてもそれなりに働ける職場なんて限られるこのご時世。朝から日光の下で大木担ぎながら親方にどやされる柄でもなければ居酒屋で「はい喜んで!」なんて叫ぶ人生死んでもまっぴら。
ホスト? ブスたちに笑顔振りまいてあら稼ぐのなんて無理無理。となると消去法なわけで、でもやっぱり半水商売でもして楽したいなあとこの業界に生ぬるく入ってきた。
とはいえ陽は自分の職業をそこそこ気に入っていた。
朝はゆっくり起きれるし、訪れる客に酒を提供してさえいれば大した話術もいらない、ちょっとプロっぽく佇んで何となく雰囲気を出せばいい。
仕事中にアルコールを摂取しても咎められないし、何より。
「いらっしゃいませ」
「…ここ、座ってもいいかな?」
「もちろんでございます」
仕事をする間はこうやって獲物を眺めたり、その気になれば大抵白星でお持ち帰りできる。教育現場での先生と生徒、バカラで例えればバンカーとプレイヤーなんかの関係と一緒でバーカウンターの向こう側とこちら側では相手が女であれ男であれ全てが陽の有利に働く。
自分の外見を利用するにはなかなか都合のいい職場だ。ちょっとづつ酒の力を借りながら心の扉を開かせ、隙間に入り込む。そうしたら、あとはこっちのもん。
カウンターの端から二番目に腰を下ろしたスリーピーススーツの男におしぼりを渡し、陽はちらりと視線を向ける。身長良し、身なりオーケー、顔面偏差値中の上。総合評価七九点。いや、オメガの腕時計で五点追加しといてやろう。残るは職業…ライトな藍色の生地に太めのストライプが入っているからお堅いサラリーマンではなさそうだ。
「ご注文は何になさいますか」
「ジントニックを」
「かしこまりました」
迷いのないオーダーに陽もまた即座にグラスをセッティングする。
「ジンの種類は、いかがなさいますか?」
「ビーフィーターでお願いするよ」
陽はピンとくる。冷凍庫をあえて大きく開け、貯蔵してあるラベルを見せながら注文された銘柄を取り出す。
「ライムの位置にご希望はございますか?」
陽の質問におや、というように片眉を上げながら男は一つ目の氷の次を指定した。はい同業者決定。陽は氷ジンライム氷氷トニックウォーターの順に直接グラスに素早く注ぎ入れると大胆にバースプーンを突っ込んで底の氷ごとすくい取るように一回だけ大きく上下させた。ビルドと呼ばれる技法だ。
ひとくち口にした男は軽く感嘆する。
「絶妙だね。いいスタートだ」
「ありがとうございます」
何がいいスタートだよ。品定め丸出しで頼みやがってと陽は内心毒づく。ジンは4大スピリッツの中で一番扱い難い蒸留酒だ。
ライムと炭酸だけで構成されたごまかしの効かない王道カクテルはあからさまに作り手の力量が現れる。加えてビーフィーター。安価なラベルの保管状態と冷凍スペースの広さを確認したいに決まっている。ライムはあえて混ざりにくい位置だしめちゃくちゃ意地悪な野郎だな。しかし嫌いじゃない。
男はゆっくりジントニックを口に運んだ。
負けじとこっちも品定めしてやろうじゃないか。余裕のある立ち振る舞いからして経営者、それもかなり成功している。ダイアのラペルピンとネクタイの柄に合わせたポケットチーフなんて相当傲慢で財布の中身に自信のあるやつしかしないだろう。
こういう奴の落とし方はRPGで最初の弱小敵を倒すのより心得ている。まずこいつ話わかるじゃん、の土壌を作ってやる。それからはひたすらご自慢の箇所を褒めていればいい。わかりやすい物質で自らの地位をひけらかす奴は認める相手に認められるのが承認欲求を特にくすぐられるはずだ。
「二杯目はいかがされましょう?」
「マティーニでお願いしようかな」
だろうな。半ば確信で聞いたが、予想通りの答えが返ってくる。ミキシンググラスに氷とドライジン六分の五ドライベルモット六分の一を注いたらバースプーンを高速で回転させ小さな渦を作る。
手首は一切動かさずその際使うのは薬指と小指の二本のみ。
十分に冷えたところで有名すぎる三角のカクテルグラスに透明の液体とオリーブを沈ませてはいおしまい。
「素晴らしい。見事なステアだ」
「恐縮でございます」
それ見物するために注文したんだろうが、とはもちろん言わず、陽は微笑む。どうせ三杯目はシェイクを御所望だろうからホワイトレディーあたりに目星をつけドライジンのそばにホワイトキュラソーをすっと寄せた。
まあ一週間前にちょうど別れたところだし、一晩の相手には合格ラインだ。結局二ヶ月しか付き合わなかったが、女特有の構ってほしがりに辟易して陽から別れを告げたので今は入れるより入れられたい気分だ。
さてどこから壁を崩すかなと思案していたところでもう一人男が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「吉見さん、こっち」
何だ、待ち合わせだったか。
「す、すみません、遅れてしまいました」
カウンター十席とテーブル二つしかない小さい店内を見回し、居心地悪そうに肩を縮めながら入ってくる男に陽は営業スマイルを向ける。
天井は低くないし、ちゃんと立っていれば相当背は高いはずなのに、所在無げに屈んで近寄ってくるから威厳はまるでない。
「大丈夫大丈夫。バーテンダーの彼と楽しく過ごしてたから」
陽からおしぼりを恐縮して受け取るとグレーのコートを脱ぐ。
バッチリ決めたスーツ野郎とは違い、中はカジュアルな綿のシャツに深緑色の暖かさを最優先したニットベストだった。
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