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 唯一足の踏み入れたことなかった寝室は廊下の左側に位置している。グレーのカーテンとベッドが一つ、シンプルな部屋に改めて招かれるが、これからおそらく陽の勘が正しければやってくるであろう展開を、まだ信じられないでいる。 「初めて出会った時キッチンで、僕を誘惑する陽さんを思い出します」 「それ、一生記憶から抹消しといて欲しいんだけど」  陽からコートを脱がせきっちりハンガーにかける吉見。これからお茶会でも始まるのかと訝しむほど冷静だ。 「あの時、陽さんの眼差しがとても挑戦的で、鳥肌が立ったのを覚えてます。それからなぜそんなに怒ってるのか…その理由も知りたかった」 「良く言う、めっちゃ拒否ったくせに」 「今もう一回してくれたら拒否しませんよ。正直に欲情します」 「本当かよ」 「はい、やってみますか?」  そもそも男の陽にちゃんと興奮するのか、まだ半信半疑だった。そもそもセックス自体、明理とやってないわけはないのだろうが、普段ののほほんとした様子からかけ離れすぎて、欲情という本能があるのかすら疑問だった。と、そこまで巡らせていた思考が明理という大きな地雷を踏んでしまい、一人で凹む。 「無理、もう吉見さんに対しては絶対できない」 「他の人なら?」  会話の途中にいきなりされた噛みつくようなキスが、初めての吉見との口づけだった。  そもそも、どんな大胆な誘惑も自分の内面を知られていないからこそできることだった。とりあえずセックスまで、あとはご自由にと割り切れたから駆使できた技を、こんなに心情を丸ごと吐露した相手なんかに恥ずかしくて使えるわけはない。そういう側面は吉見の言う通り敏感なのかもしれなかった。 「他…は…」  聞いておきながら、答えさせないと決意するように唇を吸われる。瞬間、吉見との間に流れていた空気がガラッと濃密なそれに変わる。吉見に丹念に口腔をまさぐられて、脳があぶいた。  十分に脳の回路を溶かされたところでベッドに慎重に寝かさた。チェーンでつながれたように動けなくなってからは、吉見はゆっくりとキスを繋げた。それでも陽を映す瞳には、ちゃんと情欲が光っている。 「陽さんのバーに通ってた理由、言いましたよね」 「俺が幸せになれる方法考えてたって、やつだろ…」 「あれ、なかなか嘘なんです」 「え」  陽の小さな驚きをもろともせず、キスはやむどころか首から下に降りてくる。 「今だからわかりますけど、本当は陽さんに悪い虫が着くのが嫌だったからなんです。嫉妬してました、単純に。だからわざと夜が深くなってから来店して、閉店まで見張ってたんでしょうね」 「うそ…」 「思い返すと、陽さんが男の人と連れ立って店を出てきたときから、心のどこかで陽さんのことを好きだってわかってました。それをクリスマスに『陽さんには幸せになってもらいたい』とかもっともらしく理由つけて説明なんてして、ずるかったですよね」 「タチ悪い…」 「ほんとですね。情けなさすぎる」  言い終わって、吉見の唇は陽のそばだつ突起に触れた。 「あっ…」 「だからもう隠さないです。陽さんの全部を、独占したい」  舐め取るような舌遣い。歯を立てられたかと思えば、またなだらかな刺激に戻ってしまう。じんわりと、身体が熱を持ち始める。 「ああっ」 「気持ちいいですか?」 「うん…」 「ベッドでは、素直なんですね」  可愛い、と息だけでささやかれたかと思うと、吉見の顔がさらに下に下がった。ためらいなく中心を口腔に含まれる。 「あっ…!」  吉見は得てして丁寧に陽を扱った。キッチンで料理を用意する吉見そのままの、一つ一つ入念で注意深い仕草はベッドの上ではもどかしくて腰が勝手に動いてしまう。 「よしみさん、…もうお願い…」  耐えきれず懇願するや否やぐっと陽を含んでいた唇に力が込もり、上下する。突然撃ち放たれた痺れで陽は呆気なく果てた。満足げな笑みを確認してしまい猛烈に羞恥が陽を襲う。 「見んな」 「見たいです。陽さんの全部の表情」  陽の残った粘膜を滑らせ、吉見はその奥へと指を進めた。最初は恐る恐る、陽の反応を見ながらだんだん大胆に。職業からも推測されるに元々器用な男はすぐにコツを掴んでしまう。 「あ、あっそこ…」 「ここ?」  内腔にある、全ての箇所を様々な角度や強さで擦られながら、その慎重さに吉見の気持ちよくさせたいという感情が痛いほど伝わってきた。そして陽の心も身体ごとほぐされてく。  家、ホテル、車内、ときにはベランダで。シチュエーションは様々でも陽の経験してきたセックスとはとても即物的かつ動物的なものっだった。お互いの服を脱がし合い、試すような前戯で高まったら男には挿入されるか女であれば挿入するか。スポーツにも似た行為に汗はかいても、感情がこれほど起伏することはなかった。  今吉見に与えられている快楽は、それらの行為とはまるで違う。身体の奥底までこの人を取り込みたいという欲で沸騰し、その熱さに心が悲鳴を上げている。  心の声が一旦聞こえてしまうと、更に感情がぐらついて、泣きたい気持ちに駆られた。身体を介したそんな深い心の繋がりを知っている吉見に嫉妬して、そして今までたくさん身体の関わりを持ちながら、微塵も知らなかった自分が虚しく映った。だから指ではなく吉見自身が入ってきた時は、やっと繋がれたはずなのに、吉見を遠くに感じてしまい陽は顔を覆った。 「痛いですか?」 「ううん」 「どうしたんですか?」 「色々」  あれほど憧れ、渇求した人物が腕の中にいる。嬉しさと同じくらい、怖かった。早く飽きてしまいたい。身体を求める行為さえもどうでもよくなってしまったら、こんなにかきむしるように、背中を手繰り寄せなくていいのに。  吉見は「何が」とは聞いてこなかった。代わりに「大丈夫」と頭を撫でられた。そして、力強く抱きしめられる。 「僕が、陽さんをいっぱいに満たしますから」  どうしてか、いつも吉見は一番陽を安心させる言葉を持っている。あやすような振動が始まって、快楽か、嬉しさか、悲しさかわからない涙が、陽の喘ぐ声に混じって頬を流れた。  愛おしげに髪の間に入ってくる爪の形を、笑うとできる目尻のシワを、吉見の描く絵ごと額縁に閉じ込めてしまいたい。そして、いつまでも眺めていたい。でもこれからはこの男のどんな仕草も振る舞いも存分に独占できるのだ。そんな多量の喜びを、果たして自分自信が取り扱えるのか不安になる。致死量に至らないだろうか。 「あ、あっ…」  早く飽きたい、いつまでも飽きたくない。この歓びがいつか終わってしまうことが切ない、分かち合える一瞬が嬉しい。真逆の感情が混ざり合わなくて、シェイカーがあったら氷が粉々になるまで力任せに振ってしまいたい。陽は吉見の熱度を貪りながら虚ろに思う。こんな複雑な感情、ステアなんかじゃ強すぎて飲み干せない。 「吉見さん、もう…」 「名前を呼んで」 「弘貴、さん……」 「うん」  動きに連動して深くなる歓びが増すごとに、そんな思いもやがて散りじりに砕けていく。 「弘貴さん、好き、…すき…」  うわ言みたいに呟いた。ずっと言えないで閉じ込めておいた言葉を何度も絞り出す。ひねくれた天邪鬼で、弱い己さえも認められないちっぽけだった自分を見抜いて、そして好きだと言ってくれた、かけがえのない人に。 「僕も、陽さんが大好きです」 「っ、ああっ…」  吉見の腕に抱きしめられながら最後はただ、頂点が押し迫る感覚だけに目を閉じた。
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