星糖と魔女と喰らいて成るもの

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「湖まで来たのは星の欠片を食べるため?」 『正確には成体となるためだ。星の欠片自体は水面等の鏡面に降り注ぐものであるから、通常喰らうのはここでなくとも構わない。しかし成体となるためには、星の欠片を喰らって蓄えた後に大量の星の欠片を短時間で喰らう必要があった』 「どうして急に成体になることにしたの?」 『急ではない。晴れた新月の夜に星は降る。星の欠片を十分に蓄えた後の最初の星降りの日が、成体となる日と定められている』 「晴れたから今日が『約束の日』になったということ?」  ナルは首肯した。 『星の欠片は既に十分に蓄えられていた』 「そうなんだ」  そして私はひとつ深呼吸をし、最も気になっていたことを尋ねるために口を開く。 「さっき私にくれたのは、星糖じゃなくて星の欠片だね」  ほとんど疑問ではなく確信であった。  優しい甘さが口から消え去った今でも、星の理が私の胸の内を起点として体中を巡っているのを感じている。 『然り。ヴィトーシュ、我が唯一の特別よ』  頷いてナルは囁いた。言葉が孕む熱の感じはつい最近に覚えがあるが、そのときよりもずっと強い。熱が私の心の柔らかい部分を包むような心地がする。 「……何が特別なの?」 『我はヴィトーシュの手により人の理をこの身に宿した。それによって、元来持っていた理の内のものでは満ち足りることができなくなり、ヴィトーシュの手により与えられるものでようやく足るようになった』 「もしかして、星糖もどきのこと?」 『ヴィトーシュがそのように呼ぶものだ』  子竜のナルはどんな星よりも好きなのだと言っていた。どんな星糖よりも好きなのだと私は思っていた。今なら分かる。星の欠片を糧として喰らう竜が、そのどんな星の欠片よりも私の作る星糖もどきを欲したのだ。一度、星糖もどきを口にしたがために。  恐る恐る口を開く。 「私はナルの存在を歪めてしまった?」 『否。足りぬ思いをしようとも、今の我はこの在り方を望んでいる。加えて、在り方に変化を与えたのは何も一方向のみではない。その身にも星の理がある』  体の中に、と示すように鼻先で胸元をトンと押された。 「人が星の理を持つとどうなるの?」 『人の理の元に生きながら、星の理を読み解き使うことが可能となる。知っているはずだ。人としての行動をとりながら、異なる理による結果を得る存在のことを。この地における呼び名は――』 「――――魔女だ」  私は、星の魔女になったのか。あれほど欲した星糖を作る技能が手に入ったのか。嬉しいはずなのに、ナルの瞳に映る私は困惑した表情をしていた。  ナルは優しく微笑んで言った。 『覚えておいてほしい。ヴィトーシュがどのようであろうと、我にとっては何も変わらないのだ。作る星も、その身も、人の理にある時分から既に特別であった』 「ナルは、私の望みを知って叶えようとしてくれたの?」 『……望みは知っていたが、叶ったのは目的ではなく結果である』  スッと真剣な眼差しをしたナルは、牙を自身の指に突き立てた。指先から血が滴る。その血で足元に何かしらを描くと、そこにガラスの大瓶が現れた。 『ヴィトーシュ、我が唯一の特別よ。どうか未来を共にしておくれ。その生の尽きるまで我に星を与えておくれ。承諾なら、瓶を手に』  驚きより何より、納得感があった。ナルはただ私と離れないための行動をしているのだ。  成竜は新たな星の核となるためにこの地を離れ、二度と戻らない。二度と私と会えない。私の星糖も食べられない。それを回避したいのだ。 ――なら私はどうしたいのだろう?  本物の星糖を作る自身を想像してみる。透き通った星糖が保存用の小瓶に貯まっていく。いくらかは菓子屋に卸してもいい。売らない分を部屋に飾り、好きなように食べる。そこにナルはいない。星の魔女の星糖を求める声はあったとしても、私の星糖を求める声はないように思う。  それでいいと、そうであれと願っていたはずのことなのに、味気なく思えてしまう。「本物」を作りたい、「もどき」を誰にもあげたくないという気持ちに偽りはない。それでいて星の魔女ではなく単なるヴィトーシュでありたいのだ。  ナルの言った「どのようであろうと、我にとっては何も変わらない」という言葉が背中を押した。  足元の大瓶を拾い上げて微笑むと、ナルの瞳が喜びの色で満たされた。 「どうやってナルの星へ行けばいい?」 『その手で作る星が瓶を満たした頃に迎えの用意が整うだろう』 「大粒の星糖をたくさん作って待っているね」 『楽しみにしている』  ナルは翼をはためかせ、振り返らずに上空へ飛び去っていった。  私は大瓶を胸に抱えたまま、ナルが見えなくなるまで見つめ続けた。   ◇  夢を見て眠る竜の呼吸の速さで鍋の中身を転がす。さらりさらりと音がする。  掬い上げた糖蜜(シロップ)を鍋に回し入れるときは、流れて消える星のように。ほんの一瞬だけ音が湿って重たくなる。  再びさらりさらりと軽やかになった音に耳を傾けながら、私は鍋の中身を転がし続ける。  大瓶の中は、まもなく透き通った大粒の星糖で満たされる。
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