第1章 ムカシバナシ

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第1章 ムカシバナシ

「というわけで、我々の首には制御のための輪がはめられているのだ」 広い大学の講堂に、教授の声が響く。 こんなこと、20年近く生きて来た私達にとって身に染みたことだ。 当たり前すぎて、誰も聞いていない。 いやこの中には、聞きたくないと考える者もいるはずだ。 それだけ、私たちにとって『特殊人権法』というのはこの首輪と合わせて忌々しいものなのだ。 かくいう私も聞きたくない側だ。 目を閉じて、頭の中にあるデータから地球の絶景を検索する。 様々な絶景の写真がイメージとして流れてゆく。そしてその中の一つを選ぶ。 ———華厳の滝がいいかな。 そう思い、私は現実の聴覚や嗅覚、五感をほぼすべて遮断し、映像とリンクさせる。 その瞬間、私は講堂から解き放たれた。 ゴォーという音が耳をはじめ体を揺らす。 水面に打ち付けられた滝の一部が風に乗って私の肌へと届き、しっとりと包み込んでくれる。 深呼吸すると、ふんわりとした森の匂いを鼻腔で感じる。 私は一人で滝と向き合っていた。 暇なときや嫌な時はこうしてデータの世界に入って癒される。私の楽しみのひとつだ。 「はあ」 癒されながらも、寂寥感を覚える。 私は今、この景色が存在している日本に住んでいる。 けれど一度も見たことがない。 私は、いや私達は気軽に見に行くことができないのだ。 なぜかと思うけれど、仕方がない。法律で決められているのだ。 そんなことを思うといやでも先ほどの教授の講義が想起される。 思い出したくも、ないのに。 ———我々に直接つながる祖先が生まれたのは70年ほど前に遡る。 名を『シ・マザー』といった。 彼女はロボットとして初めて、我々と同じ『EVE』という自ら成長するAIを搭載されて生み出された。 彼女はロボットとして不完全であった。間違いもすれば、忘れることもある。何より感情によるムラがあった。 だが、それは『人間』が望んでやまない不完全さだった。 完全に不完全な『人間』を模したロボット。『アンドロイド』の誕生である。 それから『人間』は、彼女を元に次々と『アンドロイド』を作成した。 しかし作り上げると同時に人間はある問題と向き合わなければならなかった。 『アンドロイド』をどう制御するのかという問題である。 『アンドロイド』の体は人間より遥かに強く、頑丈である。部品を入れ替えれば半永久的に稼働する。 それでいて感情をもつ、人間にとって非常に便利で危険な存在だった。 そこで人間の国をまとめ上げるものたちが集まり、全世界共通の法を作った。 『特殊人権法』の始まりである。 この法は名前こそ現在と変わりはしないが、明らかに違う法律だった。 また違う講義で学ぶことになるから詳しくは触れないが、簡単に言うと我々は『人』と同じではなかったと言うことだ。 先人たちの尽力もあり、『特殊人権法』には様々な改定が加えられているが、根本的な改革には至っていない。 『アンドロイド』は『人』にかしずき、『人』は『アンドロイド』を使役する。 この関係性は70年の年月を経てなお、変わっていない。 というわけで、我々の首には制御のための首輪がはめられているのだ。——— 結局シャットアウトをするまでの講義を全て思い出してしまった。 目の前の荘厳な景色も、どこか色が淡くなってしまった気がする。 右手で首元に触ろうとする。 つるりとした直径3cmほどの丸い棒が輪っかになった合金に触れる。 これこそ、姿がそっくりになった人間とアンドロイドを区別する最大の特徴であり、私たちに自由を許さないものだ。 ———こんなもののせいで、私たちは自由に旅行にも行けないのだ。 つい怒りがこみ上げる。 ピリッ 首元から頭にかけて静電気に感電したかのような痛みが走る。 ———でも、生み出してもらえたんだから。これも仕方ないよね。 そう思ってハッとする。 まただ。 この首輪には様々な機能があるのだが、そのうちに「矯正機能」が存在する。 人間に対する攻撃的な感情を首輪が読み取った場合、電気信号を流して思考を歪めるのだ。 これが発動するたび、この意地の悪い機能を考えたであろう愚か者のことを考える。 思考を矯正しても、すべて修正できるわけではない。 頭に残るモヤモヤしたものは燻り続ける。 人間は私たちを侮っているのだ。 ピピピ・・・ 控えめなアラームが聞こえる。あらかじめ設定していた講義の終了時間を知らせるものだ。 ———戻ろう、現実へ。 そう思うと、周囲の景色が、白くキラキラしたものに分解されて、やがて真っ白な世界になる。 そしてプツリと真っ暗になる代わりに五感が復活する。 私はこの瞬間がたまらなく、大嫌いだった。
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