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「よっすー」
公園の入り口を抜けてすぐ、芝生が茂った丘の上から気の抜けた声が聞こえてきた。
「今日もいるのか不審者」
「それはこっちのセリフだよ変質者」
言いながら俺は彼女の隣に向かって丘を上る。
この公園は遊具とかが全然ない。その代わり、ただ広い敷地の中にこの丘や、ベンチや藤棚などがある。遊具は子供がヘタに遊んでけがをすると危ないという、クレームに近い意見を管理している市役所が受け入れて、すべての遊具を撤去したらしい。
らしいというのは、俺も彼女にこの話を聞いただけなので詳しくは知らないからだ。正直興味もない。
遊具がないからか、時刻が深夜だからか、もしくは両方だからかいまはこの公園内に俺と彼女しかいない。
丘をのぼって彼女のもとへ行くと、持参したのであろうビニールシートに寝転がっていた。
「準備いいなあ」
苦笑しながら話しかける。
「当然でしょ?残念ながら君の分はないよ?」
一瞬眼球だけを動かして、すぐにまた彼女の視線は俺を通り越してはるか遠くを見上げる。
今日は雨上がりで空気が澄んでいる上に、月ももうすぐ沈んでしまうという、星を見るには絶好の日だった。
天体望遠鏡のような専門の道具は何も持っていないが、それでもただ星空を見上げるだけで、吸い込まれそうになる。
「えー、少し寄ってくれたら俺も入るスペースあるやん」
「君のためにわざわざ開けるスペースは用意していないのだ」
今度は目線さえ動かさずに答える。
「まあ、そういうだろうと思って用意してるけどな」
背負っていたリュックから、100円ショップで買ってきたレジャーシートを広げる。
彼女の持ってきていたシートよりも小さいが、それでもおれ一人が寝転がるには十分な広さだ。
寝転がって、星空を見上げる。空気中を浮遊するチリやホコリも夕方まで降った雨でだいぶなくなっているらしく、程よい湿度に包まれた大気は宇宙からの可視光線を適度に地上に届けてくれる。
見上げた真上の星空にはいくつもの輝きが散らばっており、顔を上にあげると視界の端っこが丸くたわむ。さながら理科の教科書にある、空を360度切り取ったときの端っこのように見える。
天体観測にもってこいな条件がそろっているが、残念ながら地平線のほうには雲がうっすらとかかっているのか、あまりよく見えない。雲がかかっている上に地上の光も水蒸気に反射してしまい、よく見えるのは空の8割程度だけだった。
それでも、最近の中で今日は特に星が良く見える。
今日はペルセウス座流星群の見れる日――湿度が高いせいか、それとも夜遅くまで騒いでなかなか就寝しないネオン街のせいか、冬に比べてあまりはっきりと空が見えない。
もともと視力が悪いこともあり、裸眼だと月が多重影分身の術を使っているかと錯覚してしまうほどだ。
尾を引く流星も分身するので、分身した数の分まで願い事を叶えてほしいと考えたことは一度や三度ではない。
昼間はあんなに暑かったのに、今日の夜はそこまで暑くない。湿度が高いせいもあって、半そでで行動すると肌寒いくらいだ。
もちろん俺も彼女も虫刺され対策はしてきている。虫が寄り付かなくなるスプレーはもちろん、かまれた時用の準備も怠っていない。それでも彼女も長袖を着ているということは、やっぱりそれなりに冷えるからだろう。
「そういえば、なんで星を見るようになったの?」
ふと、星空を眺めだしてしばらくしてから、小さな声で問われた。
星空に没頭していたため、休暇中だった脳に少しばかり糖分を送って考える。
ぼんやりと見上げていると、ひときわ長い尾を引いた星が2個続けて流れた。
一瞬星に関心が向いてしまい、歯切れが悪くなる。
「うーん、たぶんなんか落ち着くからかな」
「落ち着くから?」
若干質問と答えがずれているような気がしたのだろう、彼女がこちらを向く気配がした。
「もともとは興味はあったけど、わざわざ見るようなことはなかったんだよ。俺より父がそういうことが好きで、いつの間にか安い天体望遠鏡を買ってきていたけど」
「いいなあ。使わないの?」
「使ってみたけど、あんまり俺は好きじゃなかった。たぶんこうやって下から覗いているほうが落ち着く」
そういうと、彼女は再び星空を見上げた。「確かに」とつぶやいた気がする。
「それで?」
「今みたいに定期的に見だしたのは高校受験前だったと思う。中学三年の冬くらいかな」
星を見たいと思ったのはもう少し前だけど、実際に見だしたのはそれくらいだったと思う。
確か、学校の帰り道、部活が終わったことによる運動不足を解決しようと、ランニングをしようとしたときに大きな流れ星を見たことがきっかけだった。
「一番よく見た星座はオリオン座かな」
「定番だね」
「定番でしょ。なによりわかりやすいから助かったよ」
「教科書にも載っているくらいだからね。さすがにあれがわからないってなったらお手上げだよ」
彼女はクスリと笑った。もしかしたら当時の俺はオリオン座すら見つけられないと思われていたのかもしれない。
彼女の中で俺はどういう扱いなんだか。
「受験勉強の息抜きによくベランダに出て気分転換してたんだ。それでベランダから見えるオリオン座とかの星空を見て、なんだか落ち着くなって思ってよくみるようになった」
「なるほどね」
その答えに満足したのか、彼女はそれ以上聞いてこなかった。
夏は虫の音がうるさいし、蚊にかまれたらたまったものじゃないけど、寝転がったときに漂ってくる青いにおいが好きだった。
雨が降った後で乾ききっていないからより一層においを感じる。
四季の移ろいのように、星の楽しみ方も季節があると思っている。
例えば冬にはぱっきとして澄んだ空気の中、凛と輝く星空を眺めるように。
それで言えば今は、スンと漂う青さの中で、ぼんやり輝く星々をのんびり眺めている。冬に比べて温度が高くて、長い時間見やすいからこその楽しみ方だ。
「そういえばの前見つけたんだけどさ」
普段は画面が輝くと星が良く見えなくなるから使わないスマホを取り出す。
どうやら彼女も、スマホの明かりは嫌だったのか顔をしかめる。
「なに?」
……心なしか不機嫌だ。
「いや、面白いアプリを見つけて」
しゃべりづらい。あからさまに不機嫌そうな彼女に、スマホをかざすのはいささか勇気が必要だったが、確実に彼女の興味を引くものだと思ったのでそのまま続行する。
「天体観測用のアプリがあるんだって」
「ふーん」
起動したアプリには今俺たちが見ている星空が表示されていた。
俺は彼女にこのアプリを説明した。
スマホのカメラをかざした先の天体が表示されること。普段目に見えない輝きの弱い星さえも表示してくれること。モードを変えれば星座も線で結んでくれること。星をタップすればその星の名前も表示してくれること。拡大機能も付いていて、星雲までも表示してくれることなど。
「すごいね」
最初はスマホなんてなくても、という感じだったのに自分の知らない情報さえも与えてくれるアプリに夢中になってくれた。なんなら俺から取り上げて、今は彼女がアプリをいじっている。
興味を持ってくれたのはうれしいが、全然見てもらえなくなった流星群が少しかわいそうに感じる。
「でしょ。しかもそれ、見えていないところも表示してくれるんだよ」
「というと?」
「地面に向けてみて」
彼女の顔には「?」が浮かんでいたが、言われたとおりにカメラを地面に向ける。
するとそこには、北半球からは本来観測できない南半球の天体図が表示されていた。
「え、すご」
彼女は普段見えない南半球の星座を、一心不乱にみていた。
俺は先に見ていたので、今はそれほど驚いていない。その代わり目の前で「ほう」と言いながら、スマホをポチポチしている彼女を見ていた。
「行ってみたいな」
「南半球に?」
「そう。ここからじゃあ、画面越しにしか見えないからね」
「意外だな。君はもっとこう、どちらかといえば引きこもりなイメージだった」
「あはは……ひどくない?」
「そういうな、大きく外れていないだろ?」
「ぐぬぬ」
確かにどちらかといえば今は引きこもりだ。
部活もしていないしバイトも最低限で、基本的にはインドアの生活を送っている。
「でも、俺達って天文台とかは性に合わないだろうね」
「そうだろうね。たぶんこうやって、近所の小高い公園から見上げているのがあっている」
「南半球に行っても?」
「たぶん同じようにレジャーシートを広げているんじゃないかな?」
「せっかくの海外でも日本とやること変わらねえな」
苦笑する俺に、同じように彼女も笑う。
「その時はおんなじシートに入れてくれよ?」
「……わざわざ何枚も持っていくのは面倒だもんね」
彼女は俺の顔を見ずに答えた。
「というか、海外でこんな風に寝転がっていると通報されないかな?」
「今更か?たぶん捕まらないにしても怒られるんじゃないか?」
「ダメじゃん」
アメリカ風に大げさに肩をすくめる。やれやれって感じ。
「それに虫とかも怖いし治安も悪そうだしな」
「それじゃあ結局日本から出られないね」
そんな感じで、とりとめのない話をぽつぽつとしながら、今日も心地よく夜が更けていく。
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