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呼ばれて、ライエが向かったのは王城の陛下の執務室だった。
王は立派な部屋をもっているが、この執務室はそれに比べて質素すぎるほどだった。調度は良いものだったが、最低限しか置かれていない。絨毯も変えていないのか、元はふかふかとしていたのかもしれないが、長い間ひとが踏み潰したのか汚れていてなかなか固い感触だ。シャンデリアは小さなランプが5つほどきれいに並んでいるだけのもので、火はついていない。壁際のランプで足りるほどの狭さだ。
入室したときから、陛下は不機嫌でいらっしゃった。
「……名前、ですか?」
「そうだ」
しかめつらのまま、王はペンでサインしながら、机の前に立つライエには視線もくれない。自分に対して怒っているのかと思ったが、どうやらたんに次から次へと運ばれてくる書類にサインするのに忙しいだけのようだ。
ライエに、横合いから文官の手によって一枚の羊皮紙がうやうやしく渡された。
古いもので、ところどころシワや破れがあったが、一行目の「封領」という文字と、その下の文字ははっきりとしていた。
「ブルーレイク……」
「頭の固い大臣どもめ、お前を王家に連ねることはできんと言う」
「ええと、つまり……?」
「アテイの名はフレスゴル家……つまり、我が王家の名だ。嫁資は放棄して、フレスゴルを名乗るようにさせた。だが、お前はそうはできないと、古くさい法まで持ち出してきて言いおるのだ」
かなり苛立っているらしく、王はまた文官が運んできた書類は手元においたまま、険のある目でライエを、というよりはその手にある羊皮紙をにらむ。
「ええと……陛下は、俺を王家に入れたかったと、そうおっしゃっているのです?」
「そうだ」
「とんでもない」
思わず本音を言うと、ますます国王の機嫌は傾いたようだ。壁際の侍従が顔を青くしているし、文官が一歩後ろに引く始末。
だが、ライエはわかっている。これは怒っているというよりは、拗ねているのだ。
「光栄ですが、陛下、やはり無茶でしょう……それは、俺が男だからですか、それとも出身が貧民だからですか」
「両方だ。養子にするにしても、出自が名有りの名家ではならぬとカビの生えた法典に記してあるのだそうだ」
「それは……仕方がないことです」
法律で決められているのだから、これ以上の理由はないだろう。だが、王は不服なようだ。
「裁判を起こすか、七部会を召集するか、手はないことはない」
「へ、陛下」
側に控えていた文官が縮み上がりながらも首を振ってやめてくれと訴えている。その方法とやらはろくなものじゃないらしい。
「陛下、俺はもう十分です。王家の一員になんて、恐ろしくて倒れてしまいそうです」
じっさい、大事にしてまで自分が王族になんて、想像しただけでめまいがする。首を振ってじっと王を見ると、しぶしぶ諦めたらしい。いや、これはいったん引いただけか。
なににせよ、話を進めようと、ライエは手に握っている書類を再び眺めた。
「それで、これは」
「ブラス」
「はい、陛下」
ブラスと呼ばれた白髪の文官が側によってきた。
「陛下のお話ももっともでありますが、おっしゃられたように問題がございます。ですが、側室であろう方が、名も持たぬというのも難がございます」
ようは、貧乏人のままではいられないということらしい。たしかに、それはそうかもしれない。
「つきましては、ライエ様には騎士叙勲と、土地を封ぜられたく」
「……騎士」
じゅうぶんすごい話だ。信じられない。
本気ですか、と疑いの目を向けたさきの国王陛下は、やはり憮然としている。よほどライエを身内にしたかったらしい。
ここで、白髪でかなりの歳の文官は神妙な顔をした。
「御名前は、そちらの証書に記載されております。陛下のお従兄の母上のご実家でありますが、ご不幸があり20年前に断絶なさいまして。……今回は、王領地として接収した土地と共に復興ということになります」
「土地!?俺に!?」
「さようにございます。しかし、王領地は基本的に分割はされません。つまり、形式上貴方様の所有地ですが、実際は今まで通り王領地……国のものです」
「形式上だってことは、俺がそこに様子を行ったりしなくてもいいんですね?」
「ええ、そうです」
ライエはため息をつく。これ以上責任を負わされても、ちゃんとできるかはわからない。それを見越してのことだろう。
ブラスはにこにこと相好を崩した。なにやら孫を見るおじいちゃんのようである。
「叙勲式は盛大に執り行いたいと思いますが、今はその証書をお渡しするのみにございます。手続き自体は、ほとんど済んでおりますゆえ」
「……」
断れないらしい。
嬉しくないわけがない。ただ、騎士だの土地だの、まるで実感がわかないだけで。王の願いなら、ライエには受け入れる以外はない。
「シグムンド陛下、ありがとうございます」
深く腰を折って礼をすると、いいから顔を上げよ、とまだ拗ねてみせる王の声が降ってくる。
それでもまだ頭を上げられない。明日の飯の心配をしていた貧民から、財産を築ける身分にまでなった、その恩義はとうてい返せるものじゃない。
それと、ライエはまだ悪いことを考えていたので。
「……国王陛下、まことに不敬ながら、お願いがございます」
「なんだ、申せ」
「はい。……弟分ふたりを、同じ家名にしてもらえませんか」
一瞬の沈黙のあと、なるほど、と気の抜けたような国王の声がポツリと聞こえた。
「そうであったな。ブラス、問題はないか」
「はあ、私とて法律には詳しくありませんが、問題はないかと思われます。立法官へ相談させていただきますが、よろしいですかな、ライエ様」
「――ありがとうございます!」
「あー、よいよい、もう顔を上げよ、儂の目を見て、礼を申せ」
「……このご恩は、俺の一生で返せますか?」
じっと見つめる青い眼は、来たときとはうってかわって、喜色を浮かべた。
「じゅうぶんである」
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