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王城の壁のすぐ外に、軍隊の一部施設がある。西と東にそれぞれ兵舎ごと設けてあり、そこから城の警備や戦地へ赴いたりしている。
今日は警備以外の特別なことはなかったようだ。妃将軍に連れられた訪れた珍客が気になってしょうがないらしく、そこで鍛練を重ねている兵士たちはちらちらと盗み見ては笑ったり顔を背けたりしている。
「そこ、腰をもっと低く。腕は脇に寄せて。……脚が内に入ってる。もう一度です」
すでに何度繰り返したのか、初めて持った剣の重さですでに腕がしびれている。
剣を抜いて、構える。その最初の動きでライエはつまずいていた。
周りからも言われていた。自分も気づいていた。
ライエはいわゆる、運動音痴という人種だった。
王妃はさすがに見物に徹しているが、ライエを直接かかりっきりで見てくれる壮年の男性も、かなりの高官ではないだろうか。そんな人の手を煩わせて、ライエは本当に申し訳がなかった。
けれど、怒りもせず、何度も厳しく見てくれる、エドワードという武官も、王妃と同じくできた人だった。
「休憩いたしましょう。剣を鞘に納めて」
潰した刃だが、鉄の重さは変わらないのでおっかなびっくり鞘にしまうと、それをエドワードはさっと受け取って、訓練所の隅に案内してくれた。
「申し訳ないです……」
「少々、貴方様には向かぬようだ」
はっきりと、使えない、と言われて、むしろ清々しい。
「だが、必要なことだ」
「アテイ様」
いつのまにか王妃が側に寄ってきていた。彼女もあきれてはいるのかもしれないが、怒った様子ではない。
「戦うことはないだろう。だが、身に付けてはいただきたい。なにがあっても、せめて剣を抜かずに諦めるようなことはあってはなりません」
「騎士道、ですか」
「そうです。これから、貴方が王に仕えるならば」
「……わかりました」
できないものはできないが、おそらく彼女たちもできるできないを諭しているわけではないのだろう。体を鍛えることも、悪いことじゃない。
ライエがうなずくと、王妃はきびすを返した。
固い土に覆われた広い訓練所には、今は50人近くの兵士が各々鍛練をしている。さすがに実戦もこなす彼らは、ようやく栄養失調状態から抜け出したライエとは違い、体は厚くて剣を振るう姿も慣れている。
エドワードは用意された椅子にライエを座らせると、一礼をした。
「しばし休憩ののちに、再開いたします。何かあれば、私の従士に」
「あ、ありがとうございま……」
エドワードの後ろからすすみ出た少年に、ライエは唖然として全部言い切れなかった。気にしたふうもなくエドワードは訓練所に戻ってしまう。
従士とは、物凄く困った顔をした背の高い赤毛の、よく見知った少年だった。
「カレント」
「お久し振り……です」
もごもごと呟いて、カレントはうつむいた。
彼とは城に連れてきて以来、顔を合わせていなかった。アテイは一番の部下に預けると言っていたが、どうやらエドワードがそうだったらしい。
「元気だったか?」
「――はい」
「そう。……王妃様にはまた感謝しなくちゃ」
最後の方は独り言のようなものだった。先程の騎士道云々も本当のことだろうが、弟と会う機会を作ってくれたということだろう。
座ったライエの横に立って並ぶカレントは、何となくそわそわしている。
その彼に、ライエはなるべく前のとおりに笑いかけた。
「笑えたろ、やっぱ無理だな。俺はああいうのは苦手」
「ライエ……様は、」
「やめろよ、お前にまでそんなの言われたらさむい」
「さむ……ですが」
「誰も見てない。いいだろ、別に」
ちらちらとうかがう視線はあったけれど、会話が聞こえるほどの距離に人はいない。
「ケリー、うまくやってる?いい人っぽいね、エドワード様って」
「……よくしてくれてるよ」
ようやく、カレントはぼそりと口調を改めた。
「ハリーは、なんかまたやらかしてないだろうな」
「心配するほどじゃないよ」
「なにか、は、やってるわけだ。まったくもう」
ため息をついて、カレントは笑った。ハリスより薄い色の青い目をすがめて、こちらをちゃんと見た。
「兄も、陛下に失礼なこと言ってない?」
「うーん、結構言ってる気がする……」
「ほんと、どこに行っても兄は兄だね」
くつくつとしばらく笑って、カレントは訓練所の方に向き直る。
「――ライエ兄に、謝らなきゃって、ずっと思ってた」
「謝る?なにを?」
「城に行くって聞いたとき。また、なんか勝手に決めて無茶したんだろうって思って。心配してたし、何日も帰ってこないし」
「それは、悪かった」
カレントはこちらを見ずに、もう一度、心配したんだ、と繰り返した。
「……兄は、いつかきっと、俺たちを置いてどっかに消えるって、思ってたから」
ライエは驚いて目を見開く。カレントがそんなことを考えていたなんて――信用されていなかったのか。
「なんで。そんなことは、しないよ」
「だよね。でも、そんな気がしてたんだ……」
カレントはなにかを思い出しているような、そんな遠い目をしている。その横顔に、なんと言えばいいかわからず、ライエはただ弟を見上げていた。
さびしいことだと思った。
自分がそんな無責任なやつだと思われていたこともだが、いつごろからそうだったのか、カレントはそのライエが消える「いつか」を考えて一緒に暮らしていたのだ。
視線に気づいたのか、カレントはこちらを向いて、笑った。
「でも、戻ってきてくれた。俺たちも連れていってくれた。ありがとう、ごめん。せっかく兄が作ってくれた機会を、怒ったりして」
「――うん」
そんなに大したことはしていない。ただ、予感がして、そのとおりにうまくいっただけだ。
けれど、カレントに言い訳するのはやめておいた。彼は、橋の下の占い婆の言う、運命という言葉が嫌いだった。
おそらく、彼は今は従士という身分だが、近いうちにそれ以上になるのは間違いないと思っている。これは身内びいきというものでもあるし、やはり予感もあった。
カレントはまるで敵を見つけた兵士の顔で、唇を引き結んだ。
「役に立つよ。兄が言ったとおりに。俺が兄にできる唯一のことだ」
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