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側室がはじめて顔を出すというので、朝議は普段以上の人出だった。
気むずかしいことで有名な大臣は苛々したままやって来て定位置に立ち、昨日は忙しくて代理を立てていた王妃も、いつものコートにパンツという格好で壇下にならんでいる。今日は軍議に関わることが報告されることが決まっていたから自然と武官は多かったが、あまり関係のない者もいるようだ。
「まったく、王はなぜ奴らを許されるのか」
大臣は毒づいたが、となりの王妃は聞こえていない振りをした。
壇上の王座に座る王は、いつものとおり貫禄を漂わせ、報告書に目を通して大臣と話をしている。
ざわざわと人の声は大きな広間にいっぱいになっている。そろそろ人が入りきらずに、近衛兵が苦い顔で整列を始めようとしたとき、とうとつにざわめきがピタリとやむ。
正面の大きな扉は王妃が入ってきた時点で閉められた。それとは別に入り口があり、横合いにいくつか通路があって、だいたいの者はそこから入ってくる。
そのうちのひとつから、見慣れない若者が近衛兵に添われて入ってきた。
めずらしい黒髪の、ひょろりとした二十歳前後の男だ。普通なら服装などで所属がわかるのだが、彼はコートとドレスシャツに、変哲もないズボンにブーツと一見して貴族の子息が普段着で遊びに来たような体だった。そして、その服装だが――胸元からべっとりと、なにか汚れがついていた。
彼は何事も無いかのように、王座の真下、壇上から正面の扉まで続くカーペットを挟んで向かい側には王妃がおわす、その位置に立つ。
その場所には、今後、側室が立つことになっている。
しん、と静まり返った広間。声を上げたのは城の主だった。
「ライエよ、……そなた、その服はどうしたというのだ」
ぽかんと、王はその若者――新しく迎えた妃を頭から爪先までながめて言った。
「陛下?」
何もわかっていないような顔で、ライエと呼ばれた男は国王を振り返った。
「なにか、粗相をしましたでしょうか……?」
「うむ、――その服の汚れはどうしたと聞いておるのだが」
王は怒ることはなかったが、かなり困惑して自身が連れてきた若者を見ている。
「え?………」
彼は自分の胸元を見下ろして、え!?と驚いたように大声を上げた。その声がわざとらしいと気づいたのは、はたしてこの広間にどれくらいいたのか。
「これは、模様ではなかったのですか!?てっきり私はこのようなものだと……」
国王は慌てるライエをじっと見つめて――大きく口を開けて笑った。
よく見えない末席のものはなんだなんだとまた騒ぎ始めた。
国王の愉快そうな笑い声が響くなか、その下の、普段はまったく表情のない王妃までもが、声を上げて笑っている。おかしげに、声を抑えようとしてかなわないまま口元に手が添えられている。それに驚愕し、近くの大臣や部下たちが笑うことも顔をしかめることもできずに絶句している。
こんな楽しそうな王妃を見たことはない。
その他、笑うものは幾人もいた。意味合いはそれぞれ異なり、それが新しい側室への評価がほぼまっぷたつになったことを示している。
「よい、分かった。なんということだ。また作らせよう。好きなものをいくらでも……まったく、お前ときたら、」
まだ声を震わせ、国王は嬉しげにライエを眺めている。それに、笑顔で礼をする彼は、ほっとしているようだった。王妃はふたりを見ながら、ときおり肩を震わせている。
それを見ている壁際に並んだ侍女たちは、どう思っていても声をあげることはできずにただ立っているしかなかった。
側室が王城に行くというので、数名の侍女が柳枝宮から出てきている。困惑しきりの彼女たちの後ろから、とつぜん少年の声が呼びかけた。
「ねえねえ、宮の人だよね?」
「……!」
びくりとしたのは、その声の持ち主に後ろに立たれたひとりの侍女だった。うっかり振り返ると、あの主人の側仕えの少年が立っている。
「どうしたんだろうね、ライエ様」
「え、ええ、そうね」
「ところでさ、お姉さん絵は上手?」
にっこりとまだあどけなさの残る彼が人懐っこく笑う。けれど、侍女は固まった。
「ちがった?お仕事大変なのに、休憩もしないで絵を描いてたんでしょ?オレ、鼻が利くんだ、匂いが残ってるよ、気を付けないと」
「………ええ」
「あ、ほら、袖のところに、赤い絵の具が」
今度こそ、侍女は顔を青くした。
にやり、と少年は笑う。
「気を付けないと……偉い人に怒られちゃうよ」
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