運命

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 どうやら、そういうことだと気づいたのは、窓から美しい庭が闇にまぎれて見えなくなった夜のことだった。 「湯浴みをなさいませ」  年かさの女性がライエにお辞儀をしながらそう言った。  貴族の生活――ここまで人を置けるのは商人よりは貴族だろう――はよく分からなかったから、首を傾げながらまたあの風呂場にやって来た。  またたくさんの人が控えていて、さすがに辟易したのだが……一人のおどおどとした少女が差し出してきたものを見て、ライエはなんとなく、気づき始めた。 「これは……?」 「こ、香油です。お使いください」 「俺は、男だけど?」  濡れて首に貼り付いた伸ばしっぱなしの黒い髪を払いながら、彼女の青い大きな目を覗きこむ。要らないだろう、という断りよりも、確認のつもりだった。 「ぞ、……存じております……」  すこし目元を赤らめて彼女はどもりながら言った。  それで、ようやく確信した。  頷いて、その瓶を受け取った。 「ごめん、あんまり女の人には見られたくないから……」 「……?」 「準備がいるの。悪いけど」  少女はキョトンとしたままだったが、先程部屋で風呂を勧めた人が聞こえていたようだ。全員を促して出ていってくれた。  ほっと息をつく。こんなに長い間人がそばにいたことはなかったので。  さて、とライエは手の中のものを見た。薄桃色の液体がたっぷり入った重い透明な瓶だ。  蓋を外すと、甘い花の香りが漂ってきた。中身を少し手のひらにこぼすと、とろりとしたそれが手首を伝って落ちていく。 「……」  準備、は。  悪い仲間から聞いたことがある。酒を飲んでいて、愚痴とも意地の悪いいやがらせとも言えない、その酒代を稼いだ方法を細かく聞かせてきた。  まさか、それが役に立つ日がこようとは、世の中とは良くできている。  部屋に戻ると、先程の香油の少女がやはりおどおどと待っていた。その他の人たちはいない。すこしほっとしながら、彼女が案内する隣の部屋へ、ついていった。  開きっぱなしになっている扉の奥は、豪奢な寝室だった。  大きなカーテンのついたベッドに、ライエをここにつれてきた男が堂々と座っていた。  何やら気むずかしい顔をして、なにか飲み物を飲んでいる。  少女は深々と男にお辞儀をして、そそくさといったように部屋を出ていった。ぱたん、と扉の閉まる音が背後から聞こえた。 「近う寄れ」  杯を近くのテーブルに置いた男が手招きする。逆らう理由もないので、すぐ近くまで歩いて行くと、腕をとられて強い力で引っ張られる。  ライエはあっさりとふかふかとしたベッドに転がり、その上に男の半身が覆い被さってきた。  小さなランプの明かりは、見上げる彼の表情が分かる程度だった。なにか、男は不機嫌そうに眉を寄せて眉間にシワを作っている。  あまり、年がいっているようには見えないが、青年とも言えないそれくらいの年齢だ。銀色の髪を後ろに丁寧に撫で付け、張りのある肌は清潔な証拠だった。薄手の羽織りからはがっしりとした体の線が見える。軍人だろうか。 「お前は……」 「はい?」  低く唸るように言われるので、なにかさっそく粗相をしたのかと思った。ぶたれるか、あるいは折檻どころか首をはねられるかもしれない。自分が死んであまり困ることはないが、残してきた弟分たちに累が及ぶのだけは阻止したいところだ。 「初めてではないのか」 「……なにがですか?」  敬語なんて話したこともない。何度か街で聞いたような言葉を繋ぎ合わせて使ってみるが、合っていないだろう。しかし、男はその点についてはどうでもよかったらしい。  恨みがましく睨まれているが、なんというか、あまり怖くはない。頬骨が出ているせいか、線の太い顔で迫力はあるのだが、今ライエを見下ろす表情はどことなく子供っぽいのだ。 「湯浴みで侍女たちを追い払ったそうではないか。やり方を知っているとかなんとか」 「ああ、知っていますけど、したことはないです」  どう言えばいいかわからず、とりあえず正直に答えると、とたんに男は相好を崩した。  ぱあ、と表情が明るくなる。 「そうか!いや、構わんのだがな」 「……はあ」  よくわからないが、解決したらしい。  すぐに、口を塞がれた。  いわゆる、接吻というやつだ。  微かな酒の味と、ぬるぬると口の中をかき回す肉厚の舌は、思ったほど不快ではなかった。  風呂上がりに渡された薄い肌触りのいい服はすぐに剥ぎ取られた。乱暴な仕草ではなくただ急いでいるという感じだ。  そして、何度も口付けられながら、胸や腹を丹念に撫でる大きな男の手に、疑問を感じていた。 (そんなにしなくても……)  知識は知っている。ただ、準備した場所に男のものをいれて、出して、終わりなのではないのだろうか。  だんだんと酒に酔ったようにぼんやりとしてきて、熱っぽくなる。はあはあと、熱に浮かされたときみたいに息を乱せば、なぜか男は嬉しそうにする。  先程のきびしい様子を見て、怖い男かと思ったが、意外と明るい性格のようだ。  ぼんやりとそんなこと考えているうちに、脚を大きく開かされた。  いよいよか、とすこし身構えたのに、尻の狭間に優しく触れるのは男の指だった。 「あっ、あの、」 「ん?」 「そこは、しましたので」 「まだ、儂のは入りそうにないが」 「……」  なぜか歌い出しそうな上機嫌さで男はライエの腹の下を探っている。体の中を広げられている。  ぞわぞわと不快感になるぎりぎりの違和感に、ライエは唇を噛んで耐えた。たまに男は肉付きの薄い内腿や中途半端に膨らんだライエの欲を触り、なにかじわじわと体の奥から滲み出るものがある。性交にともなう快感だと、さすがに分かっている。 「あ、」 「良い、声は好きに出せ」  たまたま弾みで出たうめきに、男は優しげに目を細めてライエを眺めた。顔が熱い。ここに来て、恥ずかしいなんて。  よく考えなくても恥ずかしい格好をしている。裸で、男に向かって脚を広げている。そういうものだと、理解はしているけれども。どうやら、ただゆきずりの使い捨てにはならず、今後もこうやってこの男のために身体を差し出すのだと。  なんとも思わなかった。ただ、自分を所有する男が、どうやら優しい男だったことは良かった。痛い思いはしたくない。  けれど。 「いくぞ」  ライエは、すぐさま前言撤回をした。  痛い。体が裂けそうだ。 「あ、う、っ!」 「すまんな、痛いな、だが……」  声も出せず、あくあくと口を開閉するライエを労るようにあちこちを撫でて、けれど男は、止まらなかった。  痛みに震えながら、男を見上げるしかできない。脚を掴んで、腰を上から押し付けてくる彼は、精悍さと匂い立つような色気を滲ませている。 「あ、あ、ああ……っ」  腹に、熱くて大きなものがずぶずぶと、入ってくる。  悲鳴を上げながら、思わずよじった身体を、男の手が押さえつけた。  ぎらぎらと光る青い瞳が、けれどどことなく甘さを漂わせながら、身もだえるライエをじっくりと見ている。  やがて、熱に翻弄されて訳がわからなくなる。  記憶が曖昧だ。泣き叫んだような気がするが、男はライエを揺さぶることをやめなかったし、触れる大きな手は優しかった。  それだけを覚えている。
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