星のランプに手が届く。

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 思えば旅行会社時代に一つだけショックを受けたことがあった。  それは入社して3年目の春に中国のチワン族自治区に位置する景勝地・桂林の添乗に行ったときのことである。当時、山水画を思わせる景観の中での約3時間余りの漓江下りは個人的にも楽しみだった。  ――川面を滑るように進む外国人専用船のデッキに出て、白い靄に浮かぶ両岸の巨岩を写真に収めていた。魚の模様が浮かぶ奇岩や、九頭の馬の姿が見えるという九馬画山、さらに両岸にある部族の集落など、それぞれが悠久の風情を感じさせる。ふと後ろを振り返ると、20元紙幣の裏に描かれた景色がそこに広がった。  ひとりの現地ガイドが50代のツアー客と雑談をしている。李という中国人に多い名前の男性ガイドは台湾に対する自身の意見を述べていた。  20代後半だという彼の主張は、その後も日本や中国の現状、はたまた世界情勢へと多岐に及んでいった。  出入国書類の職業欄に歴史教師と記載された、そのツアー客と対等に渡り合っている。時折、教師はその立派な顎鬚を撫でながら「……確かに」と深く頷いていた。   すると、あろうことに同年代である久保あきらの口を、どんどんと裁縫していくのだ。  何だろう、ショックだった。  貧しい家で育ったという彼の話す日本語には、自分には絶対的に足りない何かがあるようで、勉強不足だけで片付けられるものではない気がする。それはカンボジアのアンコールワットでクメール文明について話す現地ガイドの日本語からも同じようなものを感じていた。
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