溝口水晶の衝撃(2度も誘拐監禁された少女)

6/13

109人が本棚に入れています
本棚に追加
/196ページ
 ――「その時、その時は真剣なの。その重い軽いは確かにあったけど、勿論ちゃんと愛していたし、続くように努力もしていた。それでも駄目になってしまう。それはそれで仕方がないこと……  ただ、そこに確かにあった気持ちとか、一緒に見ていた景色、食べた物、話したことや、感じたこと、肌の触れ合った感触もそう、全てが血肉となって今の過去最高の私を作っている。無駄なものなんか一つも無かった。毎日がアップデートだったから……。だから「若気の至り」って言葉は過去の自分を無駄にしているようで、好きになれないの」  グラスを磨くマスターが「……捨てるとこが無いのはマグロと一緒だね」ぼっと呟きながらカウンターの奥へと背を向けた。果子さんとは古くからの知り合いらしい。  僕はというと、何だか父に言われているような気がしたのを憶えている。  電車を降り、賑やかな神楽坂の駅前を抜けて路地裏へと入って行く。その名の通り坂道だらけの、この街には不思議な風情かあった。  フランス人が多く住み「小さなパリ」と呼ばれ、大通り沿いに見る、お洒落な外観のカフェやレストラン、雑貨店などは、確かに活気ある街の様相を呈している。  それでも一歩、路地裏へと迷い込むと、仄暗い小径がいくつも点在して、足元を照らす行灯が、その石畳の模様をくっきりと浮かび上がらせ、しみいるような静謐さを露わにする。それはまるで「かくれんぼ」で見つけてもらえない子供が身を丸くして息を顰めているようだった。
/196ページ

最初のコメントを投稿しよう!

109人が本棚に入れています
本棚に追加