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壱
ミンミンゼミが忙しなく鳴きつづける葉月の上旬のことである。
城島武雄 六十五歳、彼は商店街を歩いていた。商店街は決して賑わっているとはいえず、店のシャッターがところどころ閉まっており、道行く人々は高齢者がほとんどである。そんな商店街を歩く武雄の目的は花屋で向日葵を購入することである。
彼は太っているせいかズボンを固定するベルトの上に腹が乗っかっている。身につけた半袖カッターシャツの下半分はボタンが弾け飛びそうであるが、当の本人は気にもとめない。
額から汗が吹き出ており、それが頬から顎の真下までつたい、コンクリートに染みをつくる。武雄は、ふっと大きく息を吐くと進む足を止め、ズボンの右ポケットに手を突っ込んだ。
しかし、目当てのものが見つからない。探していたのは汗を拭うためのハンカチである。
「ティッシュどうぞー!」
若い男の声とともに、視線を下に落としたままの武雄の視界にポケットティッシュが入り込んだ。差し出されたポケットティッシュをたどるように顔を上げれば、年若い笑顔の青年がそこに居た。
「ありがとう。助かるよ」
武雄は笑顔で礼を言うとポケットティッシュを受け取り、歩きながら三枚ほど引っ張って、それで汗を拭う。額や頬をぬらす汗を拭いながら、城島は先ほどの青年を思い出していた。
バイトの割には随分と変わった格好だったな……。
青年と遭遇した場所から歩きはじめてそう離れてはいない。もう一度、その姿を確認しようと武雄は振り返るが、彼の姿を捉えることはできなかった。
武雄が気になるのも無理はない。先ほどの年若い青年は、真夏であるにもかかわらず、黒いコートを身につけていたのだから。
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