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眠れなかった。
眠れない夜に雨の音を聞くとよく眠れる気がすると気づいたのは最近のことだった。
ベッドの中で寝返りを打ちながら携帯の動画アプリを立ち上げて、雨の音を探す。驚くほど多くの人が、同じ思いでその動画を見て、聞いていることを知る。
見つけた動画を再生する。耳にはめたイヤホンから、屋根を打つ雨の音が流れ始めた。
ああ、眠れそう。
このまま、このまま…
ブイーンと着信を知らせるバイブ音が、頭蓋骨に響き渡った。
誰だこんな真夜中に!
イヤホンを耳から引き抜いて、おれは通話を押した。
「なに⁉」
『あー悪い、寝てた?』
相手は予想通り、クラスメイトだった。
『もしもし、もしもーし?』
「…なんか用」
おれは布団の中に潜って身を丸くした。自分の体温が移った暖かな布団が気持ちいい。
『あのさ』
とクラスメイトは言った。
おれは目を閉じる。
『明日、朗読のテストじゃん?』
「あー…だな」
そういえばそうだっけ。
くだらないテストのことを思い出して、おれの声はどんどん素っ気なくなっていく。
『それでー、俺今から読むから聞いてくんね?』
「はあ⁉︎」
がばっとおれは跳ね起きた。
ふざけんな!
「てめ、いま何時だと思──」
『いいじゃん、一回だけ!自信ねえからさ、聞いてよ、な?』
「な…、な、って…」
『頼むよ、明日、ドーナツ奢る』
「いらねえ!」
明日のドーナツより今日の睡眠だ!
『なあーほんと、マジで聞いて?ね?ね?』
…しつこいなこいつ。
携帯の番号なんか教えなきゃよかったか。
最近雨の日にバスで会うようになったクラスメイトは、何かとおれに話しかけてくる。
そして雨なのになぜか傘を持たないことが多く、おれの傘を頼ってきた。
耳元で何度も懇願されて、おれはなんだか面倒くさくなってきた。またずるずると布団に潜り込み、携帯を耳に当てたまま丸くなる。
暖かくて暗い、穴の中のようだ。
聞こえてくるのは電話の向こうの声だけだ。
「…じゃあ言えば」
ただし一度だけ、と言うと、クラスメイトはやった、と声を上げた。
『助かるわ、じゃあ読むから』
「うん」
そう言ってクラスメイトは、教科書に載っている話を朗読し始めた。おれは片方を携帯に当て、もう片方の耳にイヤホンを押し込んだ。雨の音は電話で中断されて聞けなくなった。
雨、降らないかな…
目を閉じた。
クラスメイトの声がほんの少しだけ潜めるように、おれの耳元に物語を紡いでいく。
『ある日の暮方のことで…一人の下人が──』
「羅生門」だ。
おれは声を聞きながら想像した。
雨やどりをしている。
門の中で、空から落ちてくる雨を眺めている。
音が聞こえるようだ。
土に跳ね返る音が。
ぴちゃん、と。
暗い空、夕暮れ時、夜はもう近い。
蛙が鳴いた。
『…なあ、どうだった?』
携帯の中から声が聞いてくる。
けれど返事はなかった。
『もしもし?…?』
何度か呼びかけて、反応がないことに彼は気づいた。
耳を澄ますとかすかな寝息が聞こえてくる。
やがて電話の向こうの声はかすかに笑い、もう眠ってしまった相手に、おやすみ、と言った。
*芥川龍之介「羅生門」より、一部引用
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