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0日目
昨日と全く同時刻に、スマートフォンのアラームが鳴る。三秒と経たずにそれを止め、警視庁一課所属刑事の横山道基は目を覚ます。四十三ともなれば、なかなか朝の目覚めが悪い。現在時刻午前七時三十分。ワンルームのアパートに一人暮らしをしており、朝食は休日平日関係無く食パン一枚。インスタントコーヒーを飲みながらテレビの電源を入れる。
「…今日も三十四度か」
七月らしい気温に辟易しながらも、ワイシャツの一番上のボタンを外した状態でズボンを履く。二年前、ようやくネクタイをそれなりに締められるようになったが、夏にその能力は役に立たない。歯を磨いて適当に髪を触れば出勤の用意が完了する。無事起床二十分後に革靴を履き終えた。
横山は未婚ではなく、三年前に離婚を経験していた。二歳年下の妻と、今年高校受験を控えている現在十四歳の一人娘がいたのだが、話し合いの末親権を妻に預け別居後書面上でも離婚が完了。理由としては横山のあまりに多忙な毎日が原因とされるのだが、刑事という職に誇りと信念を抱いていることがネックとなり、妻から離婚届を突き付けられた際も、特に抵抗することなく名前を書いてしまった。後悔するようなことでもないのだが、娘の成長を見られないというのは父親として心が痛みはする。だが、それでも彼は仕事を優先せざるを得ない理由があった。
「道さん、おはようございますっす」
茶髪の若い刑事、気田慎二朗二十六歳。横山同様第一課に所属しており、外見に反し回転の速い頭で、まだ若いながら一課に選抜されたエリートの一人である。過去の部署では上司に対しても意見を述べるほどだったが、横山のことはやけに慕っている。彼の中で同業者に優劣が付いているのだろう。
「今日からでしたっけ、また捜査本部が稼働するの」
喫煙室にてライターに手を掛ける横山の隣で、気田は缶コーヒーの蓋を開ける。
「あぁ、三年ぶりにな。今回はお前も選ばれてたろ」
面倒そうな顔をせず、むしろ子供のように笑う気田は、多忙な毎日が始まることが楽しみで仕方がないようだ。
「そっすねぇ。五年前からの事件に、ようやく御上が腰上げたってことじゃないっすか。一筋縄じゃいかなそうっすよね」
並びのいい歯を出しながら、気田はすぐ目の前にある警視庁を見上げる。その様子を一瞥もせず、横山は煙草の火を消し気田の前を過ぎて喫煙所を出る。空になった缶コーヒーを捨ててから気田もその後ろを歩き、周囲からの視線も気にせずポケットに手を入れた。
「長丁場になるのは承知の上だ。そのための捜査本部だろ」
まるで何かしらの決意を込めたような瞳で前を見据えた横山は、まっすぐエレベーターに乗り込む。降りた七階大会議室前には、〈片翼の鴉事件捜査本部〉と貼り紙がされていた。中へ入り、横山は最後列の窓側の席に座る。無論気田はその隣で、彼の横には誰も座ろうとしない。結果それ以外の席が全て埋まった午前九時、本部長を務める警視庁一課長の桃井一志五十五歳がホワイトボードを背にした教壇の席につく。
「えー、これより第一回、片翼の鴉事件捜査本部全体会議を始める。まずは事件の振り返りを行うか」
白髪の間にところどころ黒い髪が混ざった桃井は、若手刑事に資料の配布を命じる。
「あの時は毎日夜中まで残業してたから、全員嫌気が差すほど知ってはいるだろうが、念のための確認作業だと思ってくれ。片翼の鴉事件が勃発したのは今から約五年前。二〇一五年八月九日だ」
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