或る発つ白昼 ~函館・昭和通から

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或る発つ白昼 ~函館・昭和通から

私は作家であり、一人の工芸家である。 北海道の札幌生まれで歳は三十四。今は訳あって道南の端に位置する函館に住んでいる。 その訳とは、今私が手に持っているこの原稿用紙である。 生まれは札幌だが、育ちは函館なのだ。この函館の街で嘗(かつ)ての仲間達や恋人と共に青春を過(すご)し、作家の仕事も此処(ここ)で行っている。 しかし、工芸の仕事は函館で行う事もあるし、札幌の定山渓にある山小屋で行う事もあるし、かなり離れるが、道北の音威子府にある山小屋で行う事もあるので、作業場は非常に不規則である。 そして今日(こんにち)、私は一先(ひとま)ず札幌へ往(ゆ)く事にした。 移動手段は如何(いかが)しようか。今の時代、考えられるのは汽車か徒歩......。車を買う程の欲も無いし、道往く誰かに乗せて貰うのも何処(どこ)か申し訳ないので、車は無しと考える。 汽車は楽だ。長い事席に座っていると、知らぬ内に目的地に着いているからだ。しかし汽車は既に飽きた。殆(ほとん)ど変わらぬ周りの景色に嫌気が差す事に間違いは無いだろうから。 すると残る選択肢は、自然と徒歩の一択だけに絞られる。まあ確かに、この函館の街から札幌の街まで歩いて往くのには豪(えら)く時間が掛かるが、新しい発見があるかも分からない。 そこで私は黒革の鞄(かばん)に十分な量の工具と十分な額の金(かね)、十分な量の原稿用紙そして十分な量の黒鉛筆を詰めて浮浪の旅に出た。 徒歩だと凡(およ)そ一週間余(あまり)掛かるだろうが、私は苦笑混じりに「大丈夫か?歩き切れるか?」と自らの胸と自らの脚に訊いてみた。 すると何処からか「大丈夫だ」という返事が聴こえた気がした。私は驚いた。近くで囁かれたかの様に鮮明に聴こえたからだ。 まあ大丈夫と返事をしたなら善(い)いか、と私は考えて歩を進める事にした。 函館の街を出て凡そ一時間弱経っただろうか。鹿部(しかべ)の町が見え始めていた。確か鹿部と云(い)えばあれだ。間歇泉(かんけつせん)の吹き出る所だな。間歇泉を見てから往くのも悪くない。よし、見てから札幌へ往くとしようか。
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