等価交換

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 初めてその紳士と出会ったのは、通勤途中のことだった。  踏切に車両が侵入し、電車が急ブレーキをかけたことにより、スマホを落としてしまった。  落としたスマホは、満員電車の足元で誰かに踏まれ、バキバキに割れた。  画面が割れただけならいいが、電源も入らない。 「これから出勤だというのに、会社にも連絡できない。お店に行く時間もない。これは困った、何とかしてくれ!スマホが元通りになるなら何でもします!」  と、呟きながら会社へ向かってると、目の前に紳士が現れた。 「こんにちは。スマホが壊れてお困りで?」  唐突に話しかけてきたその紳士は、丸縁メガネに所々髪が白髪交じり、タキシードにステッキと、素敵な英国紳士風だ。  「そうですが、あなたは?」 「私は錬金術師です。あなたのスマホを私の錬金術で直して差し上げましょうか?」 「それはありがたい。が、錬金術と言いました?あの別の物質から金なんかを生成するとかなんとかの?」 「いかにも。」  怪しい。  素通りしようとすると、英国紳士はサッと先回りして道を塞いだ。 「関わりたくないと思われましたね?」 「いや、あの、仕事がありますので。すみません、失礼します。」  また通り過ぎようとするものの、英国紳士は先回りする。  そして、ニヤリとニヒルな笑みを浮かべた。 「試しに私の方にスマホを向けてごらんなさい。そうすれば信じてもらえるでしょう。」  これはしつこいぞ、と思われたので、とりあえず言う通りにスマホを紳士の方にかざしてみた。  すると紳士はぶつぶつ何かを呟き、スマホに手を触れた。  一瞬スマホが光り、紳士は手を引いた。 「これでよしと。直ったと思いますよ。」  スマホを見てみると、元通りに直っている。  普通に動くし、電話もかけられそうだ。 「すごい!すごいけど、何をやったんです?一瞬ピカッと光りましたけど。」 「錬金術です。なあに、簡単なことです。」 「いや、なんと言うか、驚きました。あの、お代はいくらでしょう?現金の持ち合わせがあまりないのですが。」 「私はお金はいただきません。が、錬金術のために素材を提供してもらいました。」 「は?素材ですか。」 「はい。では私はこれで失礼します。」  そう言うと紳士は、人混みの中を颯爽と駆け出していった。  こんな通勤ラッシュの時間に、人混みに向かって走るなんて、どうかしてる。  呆気に取られていたが、とりあえず出勤しようと会社へ向かった。   入り口で社員証を取り出し、センサーに近付けたが反応しない。  おかしい。  何度やっても反応しない。  そのうち警備員が、不審な動きを見て駆け寄ってきた。  幸い、顔見知りの警備員だったので、社員証の不具合だろうと通してもらえた。  セキュリティが強化され、社員証が新しく配布されてから、まだ一月も経っていない。  社内の管理部署に問い合わせても、首を捻るばかりだったが、とりあえず再発行してもらえることになった。  さて、仕事するか、という段になって、ふとあの紳士の言ってた台詞を思い出した。  もしや、これが素材を提供したということなのだろうか?  社員証を使って、スマホを元通りに錬金術で直したということなんだろうか。  そのときは半信半疑だったが、それから何度となく、その英国紳士は現れた。  あるとき仕事が忙しく、お昼の休憩時間を過ぎてしまい、昼食が取れないことがあった。  出掛ける時間もないので社員食堂に行ってみたが、定食はすでに売り切れてしまっていた。  麺類ならまだあるが、どうしてもご飯が食べたかった。 「今すぐご飯が食べたい!出来れば唐揚げと味噌汁と白いご飯が食べたい!食べられるなら何でもします!」 と呟いていると、目の前にあの英国紳士が現れた。 「こんにちは。ご飯が食べれずお困りで?」 「あ!あなたは!先日はスマホを直していただきありがとうございました。あれって、この社員証を使って錬金術で直したのですか?」 「何かは分かりませんが、それ相当の素材を使わせてもらいました。」 「やっぱり!」 「で、唐揚げと味噌汁と白いご飯でよいですかな?」 「そんなことも出来るんですか?あ、けど何も食材を持ち合わせてませんが。」  紳士はニヤリとニヒルに笑うと、目の前のテーブルに手をかざし、唐揚げ定食を登場させた。 「では、私はこれで失礼します。」  紳士は食堂の外へと颯爽と駆け出していった。  食堂で走ると‥ほら怒られた。  唐揚げ定食はとても美味しかった。   その夜、アパートに戻って冷蔵庫を開けると、買ったはずの肉類や野菜類がなくなっていた。  あるとき、仕事の重要なミスが発見された。  あと5分で会議は始まる。  今からこの書類の記載ミスを直して、関係各所に送るなんてことは到底無理な話だ。 「何てことだ!あと5分なんてどうやっても‥あ、錬金術!」  そう思い付いた時には、もう英国紳士は隣に立っていた。  「良かった!実はかれこれこういう訳で困ってます!なんとかしてもらえないでしょうか?」  と、頼んではみたものの、これこそ何を素材にお願いするんだろう?   悩んでいると、英国紳士はニヒルな笑みを浮かべて、書類に手をかざした。  すると、書類の記載ミスは見事に消えていた。  まさかと思い、関係各所に送ったメールも確認してみたが、きちんと修正された書類で送られている。 「いや、すごい!すごいですが、何の素材を使ったのでしょう?」  紳士はその問いには答えることもなく、颯爽と窓から飛び出した。  地上7階にあるオフィスだが、まあいい。  後日、次の企画提案に向けて、温めておいた企画を保存したファイルが、パソコンから消えてなくなっていた。  そんなことが何回か続いたのち、ひとつの考えにたどり着いた。  いつも素材を提供してばかりだと、いつか提供出来るものがなくなってしまうかもしれない。     それならば、自分が錬金術を使えるようになればいいのではないだろうか。 「錬金術さん、ちょっと相談ですが。今どこに?」  錬金術は、またいつの間にか現れていた。 「今日は困り事ではないのですか?」 「はい、実は私も自分で錬金術が使えれば、自分で問題を解決できて便利、いや、あなたの手を借りなくてもなんとか出来るのではないでしょうか。」 「ほう。ということは、錬金術を使えるようになりたいと。」 「簡単に言えばそうです。」  紳士はまたニヒルな笑みを浮かべて手をかざした。 「簡単なことです。素材をいただければ。」 「本当ですか!では、是非お願いします。」    錬金術師はこちらに向かって手をかざした。  ‥この時代の人間は、楽して何でも手に入れたがるから簡単でいいですね。    錬金術を錬金術で精製するためには、自らを錬金する必要があります。  で、これでまたひとつ、賢者の石の素材を手に入れることが出来ました。  人間という素材を。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加