妬いた目線

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「私と別れて欲しい」 その言葉は近々聞くことになると覚悟はしていた。 別れ話を切り出す華子の顔は、もっと悲しげなのかと思っていた。 だけど、どちらかというと華子は苛立ちのようなものを滲ませていた。 なんでだ。 なんでお前が怒ってんだよ。 「別れるとか別れないとか…そもそも俺たち別に付き合ってないし」 「そういう風に逃げるのやめてくれる?」 いや、事実だ。 俺たちはそもそも「付き合おう」と言って始まっていない。 いつの間にか互いを思い合うようになり いつの間にか言葉を交わし、感情を交わし、身体を交わしあった、ただそれだけだった。 「好きだよ」という言葉は伝えた。 華子も「好きだよ」と言っていた。 でも「付き合う」とは、厳密には違っていたように思う。 表面上は恋人がやっていることとなんら変わりは無いけれど、俺たちはそうじゃなかった。 いや。 これは、俺がそう思いたいだけだったのか? 「何がそんなに気に入らないの」 「…気に入るとか気に入らないじゃないよ。どっちかと言えば私のこと気に入らなくなったのは悠馬のほうじゃん」 俺が?俺が華子のことを気に入らなくなった? (何も分かってねえなこの女は) 「俺は今でもお前のこと大事に思ってる」 「そんなの、分かってる」 「じゃあ気に入らなくなってないだろ」 「そうじゃなくて!」 華子の苛立ちがまた増えた。 「あんたはもう私のことを見てないじゃん。直視してくれてない」 「なんだよそれ、どういう意味だよ」 あーめんどくさい。 言ってることが意味不明。こうなった時の華子は本当にめんどくさい。 でも聞かないともっとめんどくさいから俺は黙った。大人だからな。 無意識のうちに、華子が一番喜ぶことをする。 座って、向き合って、手をとる。 ふくれっ面の頬に、そっと手を添える。 だけど、いつもはそれで少しは和らぐ華子の表情は、ずっとこわばったままだった。 よく見てみると彼女は小さく震えていた。 なんでだ。どうして震えてんだ。 「あのさ……悠馬は、私が飛躍していくのが嫌なんでしょ」 「は?」 なんだそれ。 「え、ちょっと意味わかんない」 「だからさ…私が仕事忙しくなったり、昇進したり、接待が増えるのが嫌なんだよね」 「は?んなこと一言も言ってないじゃん」 睨みつけて来た華子の目には少しの涙も滲んでいなかった。気の強い女だ。そういうところが好きなんだけど。 「最初は仕事の相談にも乗ってくれてた。うまくいけば応援してくれたし、失敗したときは励ましてくれた。だけど…いつの頃からか、応援じゃなくて嫌みばっかりになったよね」 「え?嫌み?俺そんなこと一言も」 「言ってるよ。自覚ないわけ?」 いやいやいや。 それ、お前の被害妄想だろ。だからそう聞こえちゃうパターンだろ。 (えー、お前ってそういう系の女だったのかよ、がっかりだな) 「お前がただそう思いこんでるだけだろ。俺は嫌みなんてひとつも言ってない」 「そうだね。言葉としては言ってないかもね」 なんだよ。やっぱり言ってないじゃん。はい、矛盾。 「だけどさ…私にはわかるよ。言い方とか態度とか、そういうところから滲みでてる」 「いやそれ気のせいだろ」 「正直気持ち悪いんだって!直球で言われるより遠回しに滲ませられるのが!」 手を振りほどかれた。 なんだよ、なんだよそれ。 俺がいつ何をしたんだよ。滲ませた?全部お前の妄想なくせに。 反論しようと口を開きかけた時 華子は侮蔑の視線をよこしながらこう言い放った。 「私の活躍に嫉妬しないで」 その瞬間、俺の中の何かがぷつんと切れた。 「なんだよそれ」 なんだよそれなんだよそれなんだよそれ。 お前になにが分かるんだよ。 俺のなにが分かるんだよ 俺だってな、俺だってな。 俺だってな。 「ちょっ…やだ……っ!!」 華子の肩を掴んで、そのまま後ろに押し倒した。 気は強いけれど、力では負ける気がしなかった。当たり前だ。 「お前に何が分かるんだよ」 「っ…何も分かんないよ!」 はあ? 分かんないくせにあんなこと言えるわけ?信じらんねえ。 「っん!!……ん…ぅ……っ!!」 こんな強引に唇を奪ったのは数える程度しかない。 しかも、これは愛情や欲情とはかけ離れた衝動によって突き動かされている。 「っ……俺はお前に嫉妬なんかしてねえ」 「…っはぁ…っ…卑怯者……っ」 卑怯?それはお前のほうだろ。 勝手な被害妄想で俺が嫉妬してるなんていいがかり付けて。 何も分かってないくせに分かったふうな口ぶりで。 腹が立つ。 腹が立って腹が立って仕方がない。 「っ…やめてよ……私、あんたと別れたいんだから…っ!」 「だから、付き合ってねえから」 「やっ……んんっ…!!」 付き合ってないのに別れることなんてできないよな。 俺はお前に嫉妬なんかこれっぽっちもしてない。 だって、俺はまだお前のこと好きだから。 それだけで、他に理由なんか必要ないだろ? か弱い抵抗があまりにも非力で。 これで涙の一つも見せてくれていたら俺にも罪悪感が湧いたかもしれない。 だけどお前って女は こういう時に絶対泣かないのを知ってる。 だから、シャツを捲り上げる手も、スカートの中を暴く手も 少しの罪悪感も抱かなかった。 だって俺は まだお前のことが好きだから。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!