十二

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十二

 朝起きて鳴り響く目覚まし時計を止めて時間と日付を確認したところ、無事に帰ってくることができたのだと知った。  元の時代に戻った私は急いで一階に下りて居間を確認した。けれど、そこには何もなかった。お線香の匂いを思い出して、胸が痛くなった。  リビングに行くと、お母さんが朝ごはんを作っていた。 「おはよう、お母さん」  私が声をかけると、お母さんは驚いたようにこちらを見てきた。昨日会った未来のお母さんよりも少し若いのが分かった。 「・・・・・・桃花、起きたのね。よかった」  お母さんは胸をなでおろして私を抱きしめてきた。 「どうしたの?」 「昨日、あなたが悠久利くんと外に出掛けてからずっと帰って来ないからずっと探し回ってたの。でも、帰って桃花の部屋を覗いたら、桃花は何事もなかったかのように眠ってて・・・・・・」  お母さんは泣きそうになりながら私の頬を確かめるように撫でた。 「心配、したんだから」 「ごめんなさい」 「無事でよかった・・・・・・」 「悠久利くんも桃花と同じように自分の部屋で眠っていたそうなの。二人とも、一体どうして」 「ずっと二人で遊んでたの。ごめんなさい、もう絶対にお母さんを心配させたりしないから」  そう言ってからお母さんを抱きしめて気が付いた。自分が嘘をついてしまったことに。五年後には、お母さんにとんでもない心配をかけてしまう。  私はお母さんを説得して、なんとか学校に行くことができた。お母さんは心配だからと私を引き留めたけど、私は悠久利に会う必要があった。  学校に登校すると、一番に悠久利が私に声をかけてきた。悠久利も無事に帰って来られたようで安心した。悠久利も昨日のことを覚えているようで、私にそのことを話そうとした様子だった。けれど、私はそんな悠久利を遮って、人差し指を唇に当てた。 「昨日のことは、自分の中に留めておこうね。約束」  私は昨日の思い出を二人の中に閉じ込めておくように悠久利に言った。悠久利は少し驚いた表情をしていた。少し申し訳なかったけど、私が近い将来に死んでしまう未来に影響されて、今の生活を暗いものにしたくなかった。今は今。自分の未来と決別して、私らしく生きたい。そんなけじめのようなものを自分にも悠久利にも示したかった。  それから月日は流れて、私は楽しく、精一杯生きた。  悠久利は高校入学と同時に他県へ行くことになった。寂しかったけど、悠久利が決めたのなら仕方ない。それと同時に、私はあることに気が付いた。普段は忘れていたタイムリープに関する記憶。未来でお母さんに訊いた質問に対する返答。 「・・・・・・私が死んじゃうとき、お母さんと悠久利は、側にいてくれた?」 「えぇ。私も悠久利くんも、ずっと桃花の側にいたわ」  あれはきっと、私を悲しませないための口実なのだと。  私が余命宣告されてから、あのお母さんの言葉が気休めだったのだと思うのに拍車がかかった。お母さんはともかく、悠久利が私の最期に立ち会える可能性はかなり低い。悠久利は他県にいて、私がいる病院に来るのにかなり時間がかかる。悠久利はバイトもしていて、私のところに来る機会は必然的に減ってしまう。  悠久利は、私が病気になってから約束してくれたことがある。 「毎日お見舞いに行くから」  この言葉は、私を元気づけるための言葉だと思った。もちろんその言葉は嬉しかったけど、それが不可能なことは十分理解していた。だから、毎日来てくれないからと言って怒ってしまうような外れたことはしないつもりだった。  私のそんな考えをよそに、悠久利は本当に毎日お見舞いに来てくれた。学校が終わってからバイトまでの時間で、悠久利は私の病室に訪れてくれた。バイト先はわざわざ私の病院の近くにして、毎日病院に通えるようにしてくれた。  嬉しかった。そこまで私のことを想っていてくれたこと。  悠久利は昔から、一度決めたことは絶対に突き通す性格だった。気は弱いけど、静かに、誰に知られることなく、けれど私はずっと見ていた。だから分かる。悠久利は、絶対に約束を守ってくれる。  悠久利がこんなにも時間を私に割いてくれているのに、私は言えなかった。私がもうすぐ死んでしまうこと。具体的に命日を知っているわけじゃない。けれど、病気になった自分の身体と付き合ってみて分かる。先が長くないことを。それに、お医者さんにだって余命宣告をされている。そのことを悠久利に伝える勇気はなかった。  毎日悠久利がお見舞いに来てくれる時間の中で、私は思い出した。  昔、悠久利とタイムリープしたときに使ったオルゴールの存在を。未来に行った記憶は今も鮮明にあるけど、そのためにオルゴールを使ったことはすっかり忘れていた。そして、私は希望を抱いてしまった。私がいない未来にいる悠久利が、もし私の最期を見届けたいと思ってくれているのなら、この希望を託したいと。  未来に行って、悠久利が私の最期に立ち会えたのだと知ることができたら、そのまま帰ってくればいい。けれど、もし悠久利が私の最期に、側にいなかったのだとしたら、もしも悠久利が私の側にいてくれることを望んでくれるのなら、約束をしたい。 「私の側にいてほしい」と。  そう思ったものの、それからタイムリープするのに勇気が必要だった。そしてとうとう自分でも生命の限界が近づいていることを感じ取った頃に、私は未来に行く決心をした。きっと、外出の許可がもうすぐ下りなくなってしまう。その前に、私は家に戻ってオルゴールを探した。 「あった」  手のひらにのるほど小さいオルゴール。昔見たときよりも脆く見えた。  私はオルゴールを押し巻いた。まだ二回使用回数は残っている。そのうち一回を今使っているから、悠久利に過去に来てもらうための一回は残っている。 「悠久利」  眩暈がした。昔に一度経験したことのある感覚が私を包んだ。  眩暈も収まって目を開けると、電気の消えた私の部屋に自分がいることに気が付いた。私がこの世界から消えてから五年後の世界にいるから、もう使われていないこの部屋の電気が消えているのは不思議なことじゃなかった。  カレンダーを確認してみた。けれど、カレンダーは私がいる時代の西暦で二月の時点で静止していた。そういえば、前にタイムリープしたときもこのページだった記憶がある。そして、今はちょうどその二月だ。 「そっか、私、今月に死んじゃうんだ」  自分の体調と照らし合わせて納得した私は一階に下りた。居間にはやっぱり私の遺影が飾られた仏壇があった。やっぱり未来に来ることができていた。  リビングの電気がついている。 リビングに向かうと、お母さんが洗濯物を畳んでいた。昔、私が未来にお母さんを訪れたときのことを思い出した。最後に心残りに思ったことを。 「お母さん」  私が声をかけると、お母さんはビクっとしてこちらを見た。驚いた様子だったけど、すぐに涙を零し始めた。 「また、来てくれたのね」 「うん。久しぶり、お母さん」  お母さんは嬉しそうに微笑んでくれた。そして、私はお母さんに言った。前にタイムリープしたときにはできなかったことを一緒にしたくて。 「一緒にクッキー作ろ、久しぶりに」  私の脈絡のない言葉にぽかんとしていたけど、お母さんはしばらくして頷いてくれた。  中学生になってから、お母さんと一緒にクッキーを作ることはなくなった。一人で作って、それを友達に配ったり自分で食べたりすることはあったけど。そういえば、悠久利にはなんだか渡すのが恥ずかしくなって作ってあげてなかったな。  だから、今私の隣で生地の型を取っているお母さんにとっては、本当に久しぶりなことなんだろうと思う。 「懐かしいわね。昔は一緒によくクッキーを作ったものね」  お母さんは雰囲気が落ち着いている。私がいなくなってからも逞しく生きた五年間で、お母さんも成長したのかもしれない。そして、お母さんの横顔が、その五年を生きた証を刻んでいる。 「私、昔は作るより食べる方が好きだったから、実は面倒だったんだよね、作るの」 「知ってたわよ。あなた生の生地をよくつまみ食いしてたんだもの」 「あはは、そういえばそうだったね」  もしかすると、お母さんは私がクッキーを一緒に作らなくなったことで寂しい想いをしていたんじゃないかとふと思った。そして、それをとても申し訳なく思った。 「あのね、お母さん。きっと、お母さんに会えるのは、これが最後」 「・・・・・・そう」 「だからね、最後に言わせて。大好き、お母さん」 「・・・・・・私もよ、桃花」  お母さんは目を赤くして私に微笑んだ。前にタイムリープしたときに衰弱していたお母さんとは違う、運命を受け入れたような笑顔だった。  型を取った生地をオーブンで焼いている間、私はお母さんに訊いた。 「ねえ、お母さん。悠久利って、今どこに住んでるの?」 「あぁ、悠久利くんなら」  と、住所を教えてくれた。 「会いに行くの?」 「うん」 「あぁ、なるほど、そういうことね」  お母さんは一人納得したように頷いた。 「え、何が?」 「ううん、こっちの話」  お母さんは私の質問には答えなかった。 「あのさ。きっと悠久利はこの後ここに来て私の部屋に入れてほしいって言うと思うけど、怪しまないであげてね」 「悠久利くんのことは信用しているから大丈夫よ」  お母さんはどうして悠久利がこの家に訪ねてくるのかを訊くこともなく了承してくれた。  しばらくお母さんと話していると、クッキーが焼けた。二人でクッキーをお皿に並べて牛乳を用意した。私たちの定番の食べ方だ。 「「いただきます」」  二人で手を合わせて、クッキーを食べた。 「うん、やっぱり美味しい」 「懐かしいわね。・・・・・・やだ、なんだか涙が出てきちゃった」  お母さんは何かを偲ぶように、ゆっくりとクッキーを味わっていた。私がいなくなってからの五年間は、お母さんに色々な物を懐かしく思わせるのに十分な時間らしかった。 「なんだか不思議ね。桃花がいなくなってから、二度もあなたに会えたんだから。それも、一度目にあなたに会ったときは小学生で、今度は高校生なんだもの。あなたがこの五年間で成長している姿を見れて、お母さん幸せだわ」 「・・・・・・そっか」  死ぬのはもちろん辛いけど、残された人はもっと辛いんだろうな、とクッキーを食べるお母さんを見て思った。私なら、きっと耐えられない。だから、ごめんね、と心の中で呟いた。  お母さんと談笑してそろそろ悠久利の元へ向かうことにした。名残惜しいけど、未来に来た理由は二人に側にいてもらうこと。悠久利にお願いして私が死ぬ時間を訊けば、それまでにお母さんに私の危篤を知らせることができる。臆病な私は、私のいる時代のお母さんにも死期が近いことを悟っていることを伝えることができていない。必死に明るく振舞っている。でも、きっとバレてるんだろうな。  色んな人を巻き込んで、迷惑をかけている。つくづく人は一人では生きていけないんだな、と思いながら玄関に向かった。 「さようなら、お母さん」  私が言うと、お母さんは小さく微笑んだ。その表情を見て、私は思わずお母さんに飛びついた。 「お母さん、私、良い子だった?」  お母さんは私の言葉を聞いて強く抱きしめ返してくれた。 「ええ、とっても。私にはもったいないくらいの子だったわ」 「生まれ変わっても、お母さんと家族になりたい」 「・・・・・・私もよ」 「私、もうすぐ死んじゃうけど、最後まで頑張るから」 「・・・・・・えぇ」 「お母さんと笑って過ごすから、だから・・・・・・」  私はお母さんの胸に顔をうずめた。 「だから、お母さんも、笑ってね」 「・・・・・・分かったわ。ありがとう、桃花」  お母さんは私の頭を撫でてから、私を身体から離した。 「さあ、行きなさい。悠久利くんが待ってるわ」 「悠久利は私が来ることを知らないよ」 「それでも待ってるの、ずっと」  私はお母さんだけでなく、悠久利にも悲しい想いをさせていることを自覚して、一刻も早く悠久利の元へ向かわなければと靴を履いた。  玄関のドアを開けてから、最後にお母さんの方を振り返った。そして、深呼吸してから言った。 「いってきます」  私は微笑んだ。 「いってらっしゃい」  お母さんも、微笑んだ。
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