十四

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十四

 突っ伏したベッドには誰もいない。この病室はあまりにも静かだった。 僕は顔を上げて病室の中を見回してみた。だけど、さっきまでの光景が嘘だったかのように、うるさいほど静かな空間が、僕に現実を突き付けてくる。そして、気が付いた。 「静かすぎる・・・・・・」  僕は病室を出た。けれど、誰一人いない。他の病室を見ても、誰もいない。動き回るお医者さんも、看護師さんも、警備員さんもいない。まるで世界から僕以外の人間が消えてしまったかのような、ありえない状況だった。  あまりにも静かで、僕の腕時計の秒針の音が聞こえてくる。なんとなく腕時計を確認すると、時間が八時三分。そして、日付が二月二十九日だった。 「あれ・・・・・・? 僕はまだ過去にいるのか?」  そう呟いてみて、すぐに気が付いた。 「もしかして、元の時代の二月二十九日? でも、本当は今年にその日は存在しない。でも、誰も迎えるはずのない二十九日に、僕だけがいる、ってことか?」  天文学的補正で編み出された閏年。理屈で言えば今僕がいると思われる二月二十九日なんて名目上の日付だ。けれど、こんな異常事態に理屈もなにもない。窓の外を見ても誰の気配がしないことも考えると、そう考えるのが一番妥当だった。  そして、僕はこの時代に戻る瞬間、桃花に手を握られた。その時、桃花から受け取ったものがある。 「もう、回数制限を迎えたオルゴール」  僕の手には、あのオルゴールがある。桃花はなぜか僕にこれを渡してきた。思い出として持っておいてほしいという意味だろうか。だとしたら、僕はこのオルゴールを見るたびに今日のことを思い出して後悔するだろう。  諦めの感情が、僕を不貞腐れさせながら腕時計に視線を固定させた。 「二月、二十九日・・・・・・あれ、そういえばこのオルゴールって、いつの時間軸のオルゴールだ?」  言葉にしてみて、僕は昔桃花とタイムリープした直後のことと、自分が今回タイムリープした直後のことを思い出した。  どちらのときも、僕がタイムリープしたときにはオルゴールは消えていた。正確に言うならば、おそらくオルゴールだけは元の時代に残ったままだったのだろう。だって、僕が桃花の家に行ってオルゴールを探したとき、そこに確かにあった。けれど、昔桃花と未来にタイムリープしたとき、桃花も僕もオルゴールを持っている様子はなかった。それに、今回は僕の手からオルゴールが消えていた。つまり、オルゴールは人間を未来か過去に飛ばす機能はあっても、自分も一緒にその時代にいく機能は持ち合わせていない。  となると、このオルゴールはさっき僕が訪れた桃花がまだ生きている過去に存在したオルゴールだということになる。そして、そのオルゴールはまだ使用回数がまだ一回残っているはずだ。なぜなら、残りの一回は桃花が亡くなって五年後に僕が使用するのだから。桃花はこのことに気が付いて僕にオルゴールを託したのだろうか。  正直、この理論は成り立つのか分からない。こんな不可思議なオルゴールのことだ。全ての時間軸において、どのタイミングでオルゴールを使ってもカウントされるのかもしれない。そうだとすれば僕に望みはない。けれど、このオルゴールを使ってみる価値はある。  腕時計を確認すると、八時七分。まだ桃花は死んではいない。まだ、間に合う。  僕は病室の前で、一度深呼吸をしてからオルゴールを引き巻いた。  このままここで何もしないで三月一日を待つなんて選択肢はあるはずがなかった。  オルゴールを回し終えると、あの独特なメロディが鳴り響いて眩暈がした。タイムリープする際に感じる感覚が全身をめぐって、僕は思わず握りこぶしを作った。 「必ず、君に会いに行く」  僕は約束を果たすため、桃花がまだ儚い命を灯しているところへ、走った。病室のドアに手をかけて、その扉を開く瞬間に意識がこの世界と隔離された。白く、全ての色をはがした世界を抜けて、僕は君のいる場所に、走った。
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