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 大学三年生の二月。就活が真っ盛りのこの時期。僕は他の就活生と変わりなくいくつもの企業に赴いて面接を受け続けていた。  やりたいことも見つからないままレールに沿って様々な企業を渡り歩くうちに、僕はきっとレールだなんて言葉も浮かばなくなって仕事を続けていくのだろうな、とぼんやり思った。それは、何か諦観めいたビジョンだった。  僕は息苦しいリクルートスーツを社会にナンバリングでもされているかのような気分で着ながら今日も会社に訪れ、面接を受けた。正直、受かっても受からなくてもいい。そんな気持ちが僕の全身を取り巻いているのを面接官の人も感じ取っていただろう。  締め付けてくるネクタイを緩めながらオレンジ色の空の下を歩いて自宅に向かった。腕時計を確認すると午後四時だった。 帰路は同じスーツを身にまとった人たちをぽつぽつと見るくらいで、それよりもしこたま遊んだと思われる子どもたちが元気な声で友達と喋りながら歩いているのが目に入ってくる。  友達の少なかった僕は、一人で本を読んでいることが多かった。けれど、幼稚園の頃からの幼馴染だった桃花はそんな僕をいつも外に連れ出した。どちらかというと男勝りだった桃花は、きっとまだ生きていればサバサバとした、けれど人気者な女性になっていたと思う。仮に桃花が生きていても、僕と桃花の関係は自然に薄れていただろうけど、それでも桃花には、やっぱり、生きていてほしかった。  大学の近くにある学生寮で僕は一人暮らしをしている。  僕が借りている部屋は二階建てアパートの一階だ。その外観が見えてきたので、僕はいつものように早めに鍵を財布から取り出した。なんとなく部屋の前で立ち止まって鍵を探す時間が無駄に思えてしまうことからくる癖のようなものだ。アパートの二階に上るための階段が見えて、二階に住む人は面倒なんだろうな、と思うくだらないルーティーンを済ませた僕は自分の部屋の前にたどり着いた。鍵はすでに握っていてあとはドアの鍵穴に差し込むだけだ。けれど、今日の僕はドアの前はおろかそれよりももっと離れた位置で立ち止まった。スムーズに部屋に入るために鍵を取り出したのが無駄になってしまうという貧乏思考は、今の僕にとってはまったくもってどうでもいいことだった。  僕の部屋の前で、ドアの前で背中を預けて寄りかかっている人がいた。しかも、女性だ。 「あの・・・・・・」  困惑を抑えきれなかった声で謎の女性に声をかけると、女性はくるりとこちらに顔を向けた。振り返った女性の顔を見て、僕はあまりの衝撃ですべての感覚が一瞬シャットアウトした。 「よかった。本当に会えた」  女性は、僕の知っている人物だった。 「えっと、悠久利にとっては、私と会うのは久しぶり、だよね?」  僕の年代を基準にすると少し童顔なその女性、いや少女は、僕の名前を恥ずかしそうに呼んだ。 「あの、大丈夫? びっくりしたよね」  僕がフリーズしているのを心配した様子の少女が僕の顔を覗き込んだ。  奇跡なんて信じていなかった僕は、唐突に現れた奇跡に、たじろいだ。  ずっと、ずっと。 「会いたかった・・・・・・」 「え?」  ようやく声を出すのに成功した僕は、滲む視界の中で少女の姿を捉えながら、身体が震えるのを感じた。 「ずっと、会いたかった。桃花」  目の前にいるこの少女の名前は、一ヶ瀬桃花。五年前、桃花を最後に見たときの姿のまま僕の目の前に立っている。  幼稚園児だったころからの幼馴染で、僕の初恋相手。そしてその初恋は、桃花がいなくなったこの世界でも実らないまま咲き時を待ち続けていた。 「悠久利、泣いてる・・・・・・」  桃花は顔を歪めて僕の頬に触れた。そして頬に伝ってきた涙を拭ってくれた。 「きゃっ」  桃花が目の前にいることが信じられなくて、でも今は理屈なんてどうでもよくて、このままだとまた桃花を失ってしまうような気がして、僕はその不安を形にしないように桃花を抱きしめた。桃花が消えてしまわないように、この世界に桃花を留めておきたかった。 「私も、会いたかったよ、悠久利」  桃花も抱きしめている僕の背中を濡らしながらそう言った。
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