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二
「何か食べる?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
二人して目を真っ赤にしたのが気恥ずかしくて、さっきから僕たちはまともに目を合わせることができないままでいた。
二人で抱擁しながら泣きじゃくったあと、僕はとりあえず桃花を家に入れることにした。それから桃花にお茶を出し、自分も落ち着くためにお茶を飲んだ。
しばらくして、桃花は何か真剣な表情をして姿勢を正したので、僕はいよいよなぜ桃花がここにいるのか、本題に入ろうとしていることを感じ取った。自然と自分の背筋も伸びた。企業での面接のときよりもずっと緊張する。
「あの、悠久利。もちろん知っているとは思うけど、もう、本当は、私、死んでる」
「・・・・・・うん」
桃花は床に直に置いた膝の上で握りこぶしを作った。
「それで、気が付いてるとは思うけど、私のこの姿、若いよね」
「あぁ」
「その理由なんだけどね・・・・・・」
桃花は一大事を告白するような面持ちで、意を決したように言った。
「信じられないかもしれないけど、私、過去からタイムリープしてきたの!」
一気に吐き出すように言った直後、桃花は少し泣きそうな顔をした。自分が背負ってきたものを地に下せたような、人と共有できたことからくる安心感を抱いた様子だった。
「そっか」
「・・・・・・え? えっと、それだけ?」
拍子抜けしたように桃花は目を丸くした。
「うん。まあ、それだけかな」
「どうして? なんでもっと驚かないの? 前から悠久利リアクション薄かったけど!」
「うるさいな、それはいいでしょ。それに、桃花の姿が昔のままだったから、なんとなく予想はついてたしね。桃花が僕の部屋の前にいたときが一番の驚きのピークだったよ」
「そ、そっか・・・・・・」
桃花は納得のいかないような表情をした。そしてその後、大きなため息を吐いた。
「でも、よかった。信じてくれて」
「逆に信じない方が無理あるよ」
「いや、悠久利ならなんか変な理屈こねて『これは幻覚に違いない!』とか言い出しそうじゃん」
「ああ、確かに。それはあり得るかも」
「ほらぁ」
久しぶりに桃花と話して、すごく楽しいなと思った。心のそこから、うしろめたさもなく誰かと会話するのが久しぶりで幸せを感じた。でも、またこの時間が失われてしまうのだろうなとも思った。色々な感情が混じって涙が出そうになった。
桃花がいつまでこの世界に、この時代に留まることができるのかを訊くのが怖くて、桃花にそれを切り出すタイミングを委ねることにした。何も変わっていない臆病な僕を、年下の君はまた笑って許してくれるだろうか。仕方がないなと、呆れながら笑ってくれるのだろうか。
しんみりするのを避けたかった僕は、さっきから訊きたかった些細なことを訊いてみることにした。
「そういえば、桃花は過去から来たんだよね。なら、どうして僕の住んでいる場所が分かったの?」
「あぁ、それは悠久利が高校入学のために他県に行く前に訊いたことがあったからだよ」
「え?」
「悠久利はどこの大学行きたいのかなって訊いたとき、悠久利が答えてくれたんだけど、たぶん今悠久利そこに通ってるよね?」
桃花が口にした大学名は、まさに僕が今通っている大学だった。僕の記憶の中に桃花と大学の話をしたという情報は入っていないけど、僕よりもその時間軸から離れていない桃花の記憶の方が当てになる。きっと、僕が忘れているだけだ。
「だから、この近くにある学生用のアパートに行ったんだけど、まさに『霜月』っていう表札があったからさ。悠久利の家だって思ったんだ」
「でも、高校入学してすぐに決めた進路なんて当てにならないでしょ。進路なんて学力とかやりたいことが変わったらいくらでも変更するものだし。実際、そんな話をしたこと自体忘れてたくらいだし」
僕がそう言うと、桃花は首を振った。
「悠久利は一度決めたら曲げない男だから。高校だって、一人暮らししてまで他県に決めたじゃん。ヘタレのくせに」
違う。僕は桃花の思っているような人間じゃない。僕はただ、母子家庭で自分は何もしないで母さんだけを働かせてしまっていることが心苦しくて、その姿を見たくなくて一人暮らしをしただけだ。断られるものだと思って何気なくした提案を、母さんは快く受け入れた。その笑顔が、逆に辛かった。結局、余計にお金を負担させることになった。だから、高校三年間はとにかくバイトをした。ほんの少しの足しにしかならなかったけれど。
僕はそんな後ろめたさを隠すために、桃花が口にした僕への名誉棄損の言葉に反応した。
「・・・・・・褒めてるのか、けなしてるのか分からないよ」
「そういうところに実は惹かれてたりして」
悪戯っ子のような顔でそう言ってから桃花は慌てて顔を背けた。顔が赤い。
その様子を見て、僕は自分が抱いていた淡い期待が真実と一致しているのかを確認したくなった。
「もしかしてだけど、僕のこと好きだったの?」
僕が訊くと、桃花は睨むようにこちらを見てきた。
「気づいてなかったの?」
「うーん、なんというか、あんまり考えてなかったな。諦めてたし」
「わ、私は結構自身あったけどね、悠久利が私のことが好きだって」
「うん、好きだったよ、桃花のこと。ていうか現に桃花のことまだ好きだし」
「え? ふ、ふーん・・・・・・」
桃花がまんざらでもない顔で僕から視線を背けた。そのうちに、僕は一瞬だけ、表情を崩した。うれしかった。桃花が僕を好きでいてくれたこと。でも、この顔を見られたら調子に乗られるのは間違いないので、僕はすぐにポーカーフェイスを決めた。それに、きっと本当は喜んじゃいけないのだろう。桃花が好きになったのは、美化された僕なのだから。
しばらくして日が落ちた頃、桃花はついに切り出した。桃花がこの時代にやって来た理由を。
「悠久利、聞いて。お願いしたいことがあるの」
桃花のいつになく真剣な表情に思わず息をのんだ。
「私は、悠久利に見届けてほしいの。私の最期を」
「・・・・・・うん」
「どうして今更なんだって思うかもしれないけど、やっぱり悠久利には側にいてほしいの」
五年前、桃花が亡くなったとき、僕は他県にいた。毎日桃花のお見舞いには行っていたけど、朝の慌ただしい時間帯だったために病院からの着信に気が付かず、本来病院が開院する時間より前に亡くなったことを後から知った僕は、ひどく後悔した。病院からの着信は僕が起きる前からあり、桃花は自分の死期を悟っていたのか、桃花が亡くなる数時間前から何件か着信があった。けれど、僕は高校に行くための支度を終えて家を出るまで携帯を確認していなかった。何度もお見舞いに行っていたのに、僕は肝心なときに桃花の側にいることができなかった。それがずっと、心残りだった。
「本当は、分かってたんだ、自分がいつ死ぬのかを。でも、私がいる時代の悠久利には言えない。私、こう見えて臆病だから。だから、私は自分が死ぬ前に、私が死んだ世界で生きる悠久利に託したいと思った」
桃花の最期に僕が立ち会う余地があるのならば、僕はどんなことだってする。桃花の願いは、僕の願いだった。この奇跡を、チャンスを棒に振ることは絶対にしない。
「僕が桃花の最期を見届けるには、何をすればいいの?」
「・・・・・・オルゴール」
「え?」
「私の家に、オルゴールがあるんだけど、覚えてない?」
桃花が口にした「オルゴール」という言葉に思考を馳せると、思い当たるものがあった。
「そういえば、おばあちゃんからもらった、時間の流れを司るオルゴール。昔、僕に見せてくれて」
「うん。昔、悠久利にそう言ったよね、私」
「・・・・・・そういえば、僕たち、それで」
「思い出した? 私たち、一度二人で、未来に行ったことがあるんだよ」
「で、でも、あれは夢だと」
「私もそのときはそう思ったけど、現に今、こうやってここに来れたから、おばあちゃんの話は本当だったって分かった」
僕は昔、桃花と、桃花がおばあちゃんからもらったオルゴールを使って未来に行ったことがあった。でも、それはただの夢だと思ってすっかり忘れていた。
「そのオルゴールの使い方、覚えてる?」
昔、桃花と一緒にオルゴールを使ったときのことを、僕は思い起こした。
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