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五
「嘘だろ・・・・・・」
僕は公園へ、お母さんは桃花ちゃんの家に行った。けれど、桃花ちゃんはどこにも見当たらなかった。
「もう、見ちゃったのかしら・・・・・・」
お母さんが不安げにそう言った。けれど、僕にはその言葉の意味が分からなかった。
陽がかなり落ちて、僕とお母さんは一旦家に帰ることにした。
リビングで僕とお母さんはどうするか、対策案を必死に考えた。
「警察に電話しようにも、過去から来たなんて信じてくれないよね」
「年齢は違えど、名前を言えば探して・・・・・・でも、後のことが。それに、桃花ちゃんはもう・・・・・・」
「僕のせいだ。僕が約束を忘れたから」
「過ぎたことを言ってもしょうがない。それに、悠を引き留めた私にも非がある。これは二人の責任だから、一緒に解決しましょう」
「・・・・・・うん。ありがとう」
お母さんの言葉に少し安心していると、お母さんは「そういえば」と僕に訊いてきた。
「悠も桃花ちゃんも、一体いつまでこの時代にいるの?」
「・・・・・・そういえば、紙に」
僕はこの時代に来る前に記憶したオルゴールについての内容を思い出した。
「確か・・・・・・八時間経ったら、元の時代に戻っちゃう」
「・・・・・・ということは、まだこの時代に桃花ちゃんはいるわけね」
「・・・・・・ねえ、お母さん。もしかして、桃花ちゃんがいなくなったのに心当たりある?」
先ほどからのお母さんの様子から見て、桃花ちゃんがいなくなった理由に何か思い当たることがあるように見えた。それに時折、僕には分からないことも口にしていた。
「それは・・・・・・」
お母さんが僕の訊いたことに答えあぐねていると、インターホンが部屋に鳴り響いた。
「こんな時間に」
お母さんはそう言ってリビングに設置されたモニターを確認した。
「桃花ちゃん!」
お母さんがそう叫んだのを聞いて僕も急いでモニターを確認した。
そこには、俯く桃花ちゃんの姿が映っていた。
僕とお母さんが急いで玄関に向かってドアを開けると、暗闇の中で桃花ちゃんが取り残されたように静かに立っていた。僕とお母さんはすぐに桃花ちゃんの側に駆け寄った。
「桃花ちゃん・・・・・・」
どこにいたの? と訊こうとした瞬間、桃花ちゃんは僕に抱き着いてきた。そのときに初めて、桃花ちゃんが泣いていることに気が付いた。
桃花ちゃんが落ち着くまでの間、僕はずっと桃花ちゃんの背中をさすった。
ずいぶんと時間が経ってから、ようやく桃花ちゃんは口を開き始めてくれた。といっても、お母さんが「水飲む?」とか、「お風呂入る?」とか訊くのに対して、「うん」とか、「ううん」と答える程度で、一体何があったのかを話すことはなかった。
ここまで憔悴した桃花ちゃんを見るのは初めてだったので、僕は内心かなり動揺していた。
たっぷり二時間ほどの時間を使って桃花ちゃんの落ち着きを待ってから、お母さんは優しく桃花ちゃんに訊いた。
「桃花ちゃん、お家に行ったの?」
「・・・・・・うん」
「・・・・・・何か見た?」
「・・・・・・うん」
「そっか。こっちおいで」
お母さんは今の会話だけで全てを悟ったように優しい笑顔を浮かべて両手を広げた。そこに桃花ちゃんが飛び込んだ。
「怖かったね。でも、もう大丈夫」
「うん、うぇ、うわあああん」
桃花ちゃんは堰を切ったようにまたも涙を流した。けれど、さっきとは違って、心細さからくる泣き顔とは違うように見えた。
しばらくして桃花ちゃんは泣き止み、しばらく他愛のない話をして、徐々に桃花ちゃんの様子が戻っていった。その頃合いを伺うように、お母さんは桃花ちゃんに訊いた。
「桃花ちゃん、お母さんには会った?」
「ううん」
「お家にはいた?」
「多分」
「会いたい?」
「・・・・・・うん」
「お母さん、桃花ちゃんが過去から来たって信じてくれそう?」
「・・・・・・うん、多分」
「そっか。じゃあ、今日は自分のお家で寝よっか」
「・・・・・・うん」
桃花ちゃんが頷いてから、お母さんは頭を撫でた。
「悠久利、桃花ちゃんをお家まで送ってあげなさい」
お母さんがいつになく真剣な表情で僕に言った。
「分かった」
「よし。じゃあ、桃花ちゃんは悠久利が守ってくれるから、安心してお家に帰りなさい」
「うん」
桃花ちゃんはかなり元気を取り戻したようで、返事もいつもの声量に近くなっていた。
玄関に向かって靴を履いていると、お母さんは僕に耳打ちをしてきた。
「絶対に桃花ちゃんの家に上がっちゃダメ。いい?」
「え?」
振り向くと、見たことのない表情をしたお母さんの顔があった。あまりの迫力に、僕は思わず無言で頷いた。
「さようなら」
靴を履いて玄関を出た桃花ちゃんは、律儀に僕のお母さんに手を振った。
「うん。またいらっしゃいね」
「うん!」
桃花ちゃんは今日初めての笑顔を見せた。
「悠久利、桃花ちゃんを頼んだよ。あと、ちゃんと真っ直ぐ家に帰ってきなさいよ」
「分かってるよ」
なぜか念入りに確認してくるお母さんを怪訝に思いながら、僕と桃花ちゃんは歩き出した。
完全に暗くなった外で歩くのは久しぶりで、少し緊張した。僕は桃花ちゃんと手を繋ぎながら桃花ちゃんの家を目指した。途中、桃花ちゃんがなぜ公園にいなかったのか、なぜ泣いているのかを無性に訊き出したくなったけど、それを訊き出してはいけないことをなんとなく察知していた。だから、僕は極力明るく振舞った。
「ねえ、桃花ちゃん。本当に未来に来れたね!」
「・・・・・・うん」
僕の言葉に俯いた桃花ちゃんを見て、僕は後悔した。せっかくよくなった雰囲気がまた振り出しに戻ってしまった。話題を早速間違えてしまったか?
そう頭を悩ませていると、桃花ちゃんが突然立ち止まった。どうしたのだろうと思って僕も立ち止まると、桃花ちゃんがこちらをじっと見ているのに気が付いた。
「どうしたの? 顔に何かついてる?」
僕が訊くと、桃花ちゃんは少し唇を震わせながら僕に言った。
「もし、私と会えなくなったら、悠久利はどうする?」
桃花ちゃんはいつもよりも低い声で言った。この声音は、冗談を言うときのそれとはかけ離れたものだった。
僕は、桃花ちゃんの問いに対して思考を働かせてみようとしたけど、すぐにやめた。
「それは、嫌だな」
答えになっていないけど、これが僕が思ったことだった。そんなこと、考えたくもない。
「・・・・・・そっか」
桃花ちゃんは僕の答えに少し顔を緩めた。
「どうしてそんなこと訊くの?」
「ちょっとね」
桃花ちゃんはぎこちない笑顔をこちらに向けてまた歩き出した。
桃花ちゃんの家の前まで来たものの、僕はおばさんに顔を出していいものなのかと首をひねった。すでにお母さんという未来の人間と接触してしまっているけど、これ以上何か未来に対して影響を及ぼしてしまうと、より大きなタイムパラドクスを生んでしまうんじゃないかと思った。
そう危惧していると、桃花ちゃんはインターホンを鳴らした。
「はい」
おばさんの声が聞こえた。なんとなく、やつれているように感じた。
「・・・・・・お母さん」
桃花ちゃんがそう言ってから、おばさんからの返答がなくなった。やっぱり信じてもらえなかったのかと思っていると、ガチャっとドアが開いた。
中から、おばさんが口元を手で押さえながら出て来た。
「・・・・・・あなたたち」
「お母さん、あの・・・・・・」
桃花ちゃんは何かを言おうとしたけど、うまく言葉が整理されないのか言い淀んだ。すると、おばさんは恐る恐るといった様子で僕たちの方に近づいて来た。
そして、おばさんは桃花ちゃんの頬をゆっくりと撫ぜた。
「おかあ、さん・・・・・・」
「夢、なのかしら・・・・・・」
おばさんは始終口をぽかんと開けながら、何かを確かめるように桃花ちゃんの頬を撫で続けた。桃花ちゃんは自分の頬を這うおばさんの手に自分の手を重ねながら涙を流した。
「本当に、桃花なの・・・・・・?」
おばさんもついに涙を流しながら言った。
「ただいま、お母さん」
「おかえり、桃花・・・・・・桃花っ!」
おばさんはがばっと桃花ちゃんを抱きしめて大声で泣き始めた。僕はどうしていいのか分からず、ただただ立ち尽くすしかなかった。
「桃花あぁ・・・・・・ああああ」
「お母さん、お母さん!」
幸いにも辺りに人はいない。桃花ちゃんとおばさんは、僕には分からない何かをお互いに確かめ合うように抱きしめ合った。
しばらくして二人は落ち着いて、ようやく声を上げるのをやめた。なんとなく、後は二人で話し合うべきだと思った。
「あの、僕はこれで失礼します」
僕が頭を下げると、おばさんは恥ずかしそうに言った。
「ごめんなさい、桃花をありがとう」
おばさんは深々と僕にお礼を言った。いたたまれなくなった僕は足早にその場を去ろうとした。すると、桃花ちゃんがこちらに駆け寄ってきて、僕に抱き着いてから頬にキスをしてきた。
「ありがと、悠久利。また明日」
桃花ちゃんは涙に濡れた笑顔を浮かべて僕にお礼を言った。
呆然としながらも、「うん」となんとか返事を返して、僕はその場を後にした。
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