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七
僕は桃花が亡くなってからお葬式に出席して以来、桃花の家には訪れていなかった。五年ぶりに見る桃花の家を前に、僕はかなり緊張していた。
「ふぅ・・・・・・」
一度息を吐いてから、僕はインターホンを押した。
「はい」
「お久しぶりです、霜月です」
「・・・・・・悠久利くん?」
「はい」
「・・・・・・ちょっと待っててね」
おばさんは驚いた様子の声音でそう言ってからインターホンを切った。
ほんの数舜の後にドアが開いた。中から出て来たおばさんは柔らかい表情をしながら僕に言った。
「よく来てくれたね。さあ、上がって」
正直、あんなにもお世話になったのに桃花が亡くなってから一度も自分の元を訪れなかった僕を軽蔑しているのではないかと思っていたけど、おばさんは昔と変わらない優しい表情で僕を迎え入れてくれた。
「ただい・・・・・・お邪魔します」
「うふふ。どうぞ」
もう五年も足を踏み入れていなかったはずなのに、家の匂いと内装を視界に入れた瞬間、僕は思わず「ただいま」と言いそうになった。昔、僕はそれこそここが本当の家なんじゃないかと錯覚するほどお邪魔していた。そのときの僕は、桃花がおばさんに「ただいま」を言うのにつられて僕も「ただいま」と言っていた。そんな光景が一気に脳内を駆け巡り、僕は何の疑問も持たずに涙が零れそうになった。リビングに向かう前に、僕は昔よく二人ではしゃぎ暴れた広い居間に一瞥をくれて、思わず息をのんだ。
小さかった桃花は、これを見て泣いたのだと、理解した。自分が死ぬことを知ったのだと、理解した。
桃花の遺影と仏壇が置いてあった。生前の桃花の元気な笑顔が鎮座してあるのを見て、僕は桃花とおばさんに罪悪感を抱いた。ずっと、これを見るのがつらくて、怖くてこの家にこれないままでいた。
「すみません、お線香をあげてもいいですか?」
「もちろん。桃花も喜ぶわ」
僕は居間で正座して桃花の遺影と対面した。お鈴を鳴らした後、僕は桃花に決意表明をした。もちろん、必ず最期まで側にいることを約束したのだ。
それからリビングに通してもらった僕に、おばさんはお茶と昔よくおばさんと桃花が共作してくれたクッキーを出してくれた。さっき作ったのか、クッキーを焼いたばかりのいい匂いがリビングを漂っていた。
「いただきます」
長方形のテーブルは昔必ず三人で囲んでいたからか、少し大きく感じた。テーブルを挟んで対面するおばさんは「どうぞ」と微笑んでから僕がクッキーを食べる様子を見つめた。
「・・・・・・美味しいです」
「ありがとう」
懐かしい味と思い出が僕の味覚と涙腺に訴えかけてきた。僕と桃花は、よくおばさんの前でこのクッキーを仲良く食べていた。
「やっぱり、おいし・・・・・・」
僕はクッキーを食べながら涙を流した。おばさんに申し訳ないと思いつつも泣き止むことができず、僕はゆっくりとクッキーを味わった。おばさんも涙を流しながら僕の背中をさすってくれた。
クッキーも食べ終わり、涙もなんとか引っ込んでくれた頃、僕はおばさんに今日ここに来た理由を打ち明けた。
「・・・・・・おばさん、あの」
オルゴールを探すために桃花の部屋に入れさせてほしい。オルゴールのことについては話すべきかどうか分からないけど、とにかく桃花の部屋に入れてほしいと頼もうとした。
「桃花の部屋、見せてくれませんか?」
僕の言葉を聞いて微笑を浮かべたおばさんは、少しの沈黙の後に口を開いた。
「・・・・・・さっき、桃花が家に来たよ」
「・・・・・・え?」
僕はおばさんから「はい」か「いいえ」、あるいは「どうして?」のどれかが返答として返ってくると思っていた。だから、その言葉に僕は一瞬思考がフリーズした。
「きっと悠久利がこの家に来て私の部屋を見せてほしいって言ってくると思うから、その時は許可してねって、言われた」
「・・・・・・それって」
おばさんは小さくうなずいてから、「高校生の桃花」と言った。僕の家に来る前に、桃花はここに来ていたんだ。
おばさんはその時に僕の住所を桃花に教えたのだそうだ。僕はおばさんと会うのは久しぶりだけど、年賀状は毎年出しているから、おばさんは今の僕の住所を知っている。
やっぱり、どこの大学に行くのかなんて話はしていないんじゃないか。僕が一度決めたら曲げない男で、そこに惹かれていたってことも。
少し不貞腐れたけれど、今はそれは横に置いておこう。
「昔、桃花が亡くなった年に小学生の桃花と悠久利くんがこの家を訪ねて来たときがあったよね」
「・・・・・・覚えてましたか」
「それはそうよ。傷心しきっていた私は、あの時にここに来てくれた桃花に救われたの」
おばさんはその時のことを思い出したのか、柔らかい表情を浮かべながら目を赤くした。
「ごめんなさい、桃花の部屋よね。いいわよ」
おばさんは涙を拭いながら僕にそう言った。
桃花の部屋に入ると、懐かしい光景と少し冷たく感じる空気に複雑な感情が沸き上がってきた。
配置は変わっていないけど、ほこりっぽくはない。放置されているわけではなく、きっとおばさんが掃除しているのだろう。
かつて桃花が僕にオルゴールを見せてくれた時の記憶を呼び起こして、それがどこから取り出されたのかを思い出した。押し入れだ。
押し入れには段ボールや五つほどの引き出しがあるボックスなどが敷き詰められていて、僕は極力散らかさないようにしながら一つ一つ確認した。結局、オルゴールは一番奥の端っこにあった。オルゴールは箱に収納されていて、少しほこりがかぶっている。きっと、誰かが間違って使用しないように奥に置いたんだろう。
僕は丁寧にそれを押し入れから取り出した。
箱を開けると、オルゴールがあった。当たり前だけれど、昔見たオルゴールと変わっていない。ちゃんと機能してくれるか心配だけど、試しに使ってみることはできない。音を鳴らしてしまうと、最後の一回を無駄にしてしまう。
これは、二月二十九日まで大事に保管しておかなければならない。そう思ってから何か大事なことを見落としていないかと思ったけど、その瞬間におばさんに訊いておかなければならないことを思い出した。
急いでおばさんがいるリビングに戻り、僕は桃花の亡くなった時間を訊いた。
「午前八時十五分よ」
僕はそれをしっかり記憶した。その時間から逆算してタイムリープしなければならない。
「ちょうど午前八時くらいに体調が急変して・・・・・・」
おばさんはその時のことを思い出したのか、口元を手で覆った。僕はそのときに側にいてあげられなかったことをひどく悔やんだ。でも、今回は絶対に桃花の側にいる。
そう決意してからおばさんに帰る旨を伝えると、僕の手を握ってきた。
「最後まで、あの子の側にいてくれて、ありがとう」
「・・・・・・いや、僕は」
おばさんの言葉を否定しかけた僕は、はっとした。
そうか、おばさんは桃花の最期を病室で見届けている。つまり、僕がタイムリープして過去に戻ったのなら、桃花が亡くなったときに病室にいたおばさんと鉢合わせるのだから、今目の前にいるおばさんはこの時代の僕と一度会っていることになる。つまり、おばさんの言葉を咀嚼すると、僕はちゃんと、最後まで桃花の側にいることができたことになる。
よかった・・・・・・
まだ油断してはいけないけど、僕は心底嬉しくなった。
おばさんにお礼を言ってから家を出た。帰り際、もう一度だけ自分が出て来た家を見て、僕は握りこぶしを作った。
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