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八
順調に思えたタイムリープ計画は、すぐに音を立てて崩れ去った。
僕は来るべき日に備えてタイムループするタイミングを計画していた。けれど、考えてみてすぐに気が付いた。ずっと僕につきまとっていた違和感が、しっかりとした形を伴って現れた。
「桃花の命日は、閏年じゃないか・・・・・・」
そんな当たり前のことを、僕はずっと見落としていた。どうして気が付かなかったのだろう。別に二月二十九日が閏年であることを知らなかったわけじゃない。きっと、この奇跡で思考回路が鈍っていたのだろう。
基本的に閏年はユリウス暦に基づいて算出され、四年に一度訪れる。少なくとも、ここ数年はそれが当てはまっている。五年前に二月二十九日が訪れたことから、直近の閏年は去年で、次に閏年になるのは三年後ということになる。
つまり、今年には二月二十九日が存在しない。五年前の二月二十九日にちゃんとタイムリープできる確証がないことになる。オルゴールを使ってタイムリープする際、それを使用した日時からちょうど五年前に遡ることになるからだ。
天文学的知識に造詣が深いわけではない僕は、日付だけでしか判断できない。その僕の狭い思考の範疇内で考えるに、オルゴールの抱える制約がよりこの事態を深刻化していた。
僕が導き出した結論として、確実に二月二十九日を迎えられる方法は一つしかない。それは、前もって五年前の二月二十八日にタイムリープし、そのまま二月二十九日を迎えることだ。
けれど、この方法には大きな欠陥がある。それは、オルゴールを使用する際のルールだ。
未来や過去では、一度のタイムリープにつき、八時間しか滞在できないという制約。これが僕が桃花とした約束を果たすことができない決定的な要因になる。
仮に僕が提案した桃花の命日の前日に、しかももうすぐで日をまたぐ時間帯にタイムリープしたとしても、八時間しか滞在できないために「八時十五分」まで桃花と一緒にいることができなくなってしまう。
僕は悩んだ。他のことなんて手もつかず、二月中に予定に入れていた面接はきっと全滅だろう。それくらい、四六時中そのことしか考えず、上の空だった。
結局、僕は何らいいアイデアをひねり出すことができないまま、二月二十八日を迎えてしまった。
どうあがいても、どんなに頭をひねっても、無意味に書物を読み漁ってみても、僕は打開策を講じることができないままでいた。
「どう、しよう・・・・・・」
確かに、桃花が死ぬ間際、かなりの時間一緒にいることができる。けれど、桃花が息を引き取るその瞬間まで側にいなければ、桃花の最期を見届けなければ、意味がない。
でも、二月二十八日を過ぎて三月一日が来てしまってからでは遅い。
僕は腹をくくった。極力長い時間桃花の側にいるために、僕は夜の病院に忍び込んだ。そこは、昔桃花が入院していた病院だ。桃花が使っていた病室は今でも覚えている。二階に並ぶ病室の一室を目指して、僕は見回りをする警備員の人の目を盗みながら二階に向かった。
二階の長く暗い廊下を足早に歩いていると、向こうの角から懐中電灯を灯す警備員が僕を照らした。
「誰だ、君は!」
警備員の叫び声が廊下でこだました。僕は慌てて自分の腕時計を確認した。その間も警備員は僕に向かって走って来ていた。
時刻は午後十一時五十六分。
警備員と僕のちょうど間にあった桃花の病室は、一方的に距離を縮めてくる警備員によってその距離関係が変化していた。圧倒的に警備員の方が僕よりも桃花の病室付近に移動していた。
僕は桃花の病室に向かって走り出し、鬼の形相をする警備員に突進する勢いでそこまで迫った。桃花の病室辺りで警備員さんとほとんど同時に相対する間際、僕は手に隠し持っていたオルゴールを急いで引き巻いた。その瞬間に音が鳴り、僕の視界はすぐに白くなった。若干の眩暈を覚えながらも、僕はなんとか桃花の病室のドアに手をかけた。
眩暈を感じた後に思わず目を瞑っていた僕は、誰の気配も感じないことに気が付いて目を開けた。暗い廊下はその雰囲気を表現するように静かで、目の前から警備員が消えていることからタイムリープに成功していることを確信した。
ドアに手をかけたままであることに気が付いた僕は、少し長めの息を吐いた。ゆっくりと病室のドアを開けた。ベッドですやすやと眠る桃花がいた。
僕は病室のドアを閉めて中に入ってから、その場に座り込んだ。足から力が抜けて、僕は苦笑した。
桃花が亡くなる前日に、当時の僕はお見舞いに行った。そのときの桃花はまだ元気そうに見えた。だから、まさか翌日に亡くなるなんて思わなかった。今思えば、未来を訪問してきた桃花はすでに辛そうだったのだから、桃花が僕に気を遣っていただけだ。僕はまたも己の不甲斐なさに自嘲した。
僕は腕時計を確認して、午前零時を回っているのを確認して立ち上がった。おばさんが桃花の体調が午前八時付近で急変したと言っていたのを思い出した僕は、一番肝心な場面で側にいてやれなくなってしまうことに怒りと悲しみを抱えながら桃花の眠るベッドに近づいた。僕はあと、八時間ほどしか桃花の側にいられない。残りの十五分、どうにかして側にいてやれないかと、桃花の寝顔を見つめながら考えた。桃花のゆっくりとした呼吸は比較的正常だと思うけど、今日で命を落とすことを知っていることで、どうしても儚く感じてしまう。
僕は桃花の頬を軽く撫でた。温かい。まだ生きている。
お葬式の棺に入っていた桃花の顔は白く、体温を感じられなかった。あと八時間を過ぎれば桃花からこの温かさが消えてしまう。
「神様・・・・・・どうか」
僕は、ベッドに顔を横たえた。普段気にもせず当てにもしていない人物の名前を呼びながら、本気で願った。すでに奇跡は起きているけど、貪欲なこの僕に、もう一度だけ奇跡を。
僕は涙を流しながら桃花の顔を眺めた。ベッド上にある僕の顔と桃花の顔は至近距離にある。僕は、ゆっくりと桃花にキスをした。
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