竜と学者と青い本

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 その日の商店組合は長期休暇の前日ということもあり、そこ、ここに浮かれた空気が漂っていた。  廊下にも休暇の過ごし方について、談笑している者がいる。  鳥人族の若い男が、故郷の家族への土産を買い過ぎてしまったと楽しそうに語るのへ、猫人族の年嵩の男も笑顔で応じていた。  しかし、その和やかさも、一人の男が近付くにつれ尻窄みに消えていく。  男は商店組合に雇われている兵士で、小柄な鼠人族でもギシギシ鳴る廊下を、足を忍ばせることなく静かに歩いて来た。  長年、兵士として生きてきた男が培った技術である。  だが、皆が息を潜めたのは、男が雇われ兵士だからではない。  厚手のコートから覗く肌は赤い鱗で覆われており、先端へいくにつれ細くなる尾にも、鱗が鈍い光を放っている。  ワニやイグアナに似ているが、額から二本の角が生えている点は彼らとは異なっていた。  荒くれ者が多いことで知られている竜人族である。  すっかり沈黙してしまった猫人族と鳥人族の二人は、男と目を合わせないよう俯きながら、そそくさと持ち場へと戻って行く。  その後ろ姿を眺めていた男ーーギムレットは、気重な溜息をついた。  あからさまに自分を避ける彼らと、昔から変わらない周囲の態度に、未だ慣れない自分に対して。           ◇ 「ギム! 」  すっきりとよく通る声に、背後から呼び止められる。ギムレットは聞き慣れたその声に、ドキリと心臓が跳ねた。  振り返った先にいたのは、人間の友人であるシェリーだった。  飾り気のないサッパリとした美人で、長い黒髪を無造作にくくっている。  女性にしては珍しくズボンを着用しており、アクセサリーの類は一切つけていない。着飾ることに興味のない彼女は、いつものよれよれの白衣を着ているのだが、今日は代わりにコートを羽織っている。  振り返ったものの、動揺を隠すのに気を取られていたギムレットは、返事をするのも失念してただ突っ立っていた。  一方、シェリーは気に留めた様子もなく、朗らかに話しかけてくる。 「おはようギム。久しぶりだね」 「あ……あぁ、そうだな」  我に返り、やっと言葉を発したギムレットだが後が続かない。内心、焦って話題をこねくり出す。 「あー、お前が組合にいるなんて珍しいな。何か用事か? 」  彼女はほぼ家に引きこもって仕事をしている。滅多に組合にも足を運ばないので、不思議に思って尋ねてみた。 「うん、今日は原稿の納品にね。明日からの休みの影響で、納期が早まってしまったんだ。ギリギリで仕上げて、こうして持って来たのさ」  バサバサと片手に持っている封筒を振る。苦労して書き上げた原稿にしては、ずいぶん雑な扱いだ。 「あぁ、印刷所も休みになっちまうのか。そいつは大変だったな」 「ギムもね。最近、顔を見なかったけど忙しかった? 」 「いや……うん、そうだな。忙しかったんだ」  雇われ傭兵も大変だねぇ、と笑うシェリーにチクリと罪悪感を覚える。  忙しかったというのは嘘だ。会いに行かなかった理由を追及されると困るので、彼女の話に合わせたにすぎない。  数週間振りに会うシェリーは、特に変わりなく接してくる。  ギムレットが会わなかった理由が、仕事だと信じて疑っていないようだ。ぎこちなさがあるのは、ギムレットの方だけだった。  気に留めていないシェリーにホッとしつつも、どこか物足りないような、残念なような気持ちになる。自分から避けておいて、勝手な話だと我ながら呆れた。 「ところで」  シェリーはこちらを伺うように、少し上目使いになる。 「ギムは実家には帰らないんだよね? 」 「うん? そうだな。その予定はねぇよ」 「じゃあ、もし良かったら明日の夕食なのだけれど」  うちに食べに来ないか、とシェリーは言った。
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