竜と学者と青い本

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 サプライズのつもりだったという。  ギムレットが今年の休暇は実家に帰らないと、シルビアから聞き思い付いたのだそうだ。もう何年も帰っていないというので、せめて故郷の料理を味わってもらおうとしたのだ。  今日のために、何日もかけて部屋の片付けもやった。消えた本は、ずっと放置していた空き部屋にしまった。売ったわけではなかったらしい。  食材を取り揃え居間を掃除した時には、もう長期休暇が目前に迫っていた。  そこで、まだギムレットに食事の約束を取り付けていないことに気付く。仕事に準備にとバタバタしていたせいで、肝心なことを失念してしまっていた。  いつも訪ねてくるのはギムレットの方なので、シェリーは彼の家を知らなかった。シルビアに教えてもらおうにも、すでにバカンスに出発した後だったので、それも叶わなかった。  唯一、ギムレットが行く場所で思い付くのは商店組合だった。  連日、組合でギムレットを探したが、タイミングが悪くすれ違ってしまい、昨日やっと会えたというわけだ。 「ギムレットには買い物や食事で、いつも世話になっていたから、お返しがしたかったんだ。初めて会った時、原稿を届けてもらったお礼だって結局できていなかったし。だから、故郷の料理を振る舞って喜ばせようとしたんだよぉ」  テーブルに突っ伏してシェリーが呻く。  予定では、竜人族の国名物であるカザンダンゴムシの郷土料理で、ギムレットを驚かせるはずだった。しかし、実はコックテール生まれで、実家はすぐに行ける隣町。カザンダンゴムシは一度も食べたことはなく、懐かしい味でも何でもなかった。  ギムレットはそんな計画を練っていたなんて、夢にも思わなかったので、一通り説明されてもまだポカンと口を開けている。 「せっかく本まで買って調べたのに……」 「本? 」  つい、本という言葉に反応してしまう。  それは、ひょっとして…… 「俺と本屋に行った時に買った獣人の本か? 」  言ってしまってからまずい、と焦るがもう遅い。 「うん、そう……あれ? 何で獣人の本って知ってるんだ? 計画がバレないよう、こっそり買ったんだけど」  どうりで挙動不審だったわけだ。街で会った時も、妙に歯切れが悪かったのは、慣れない隠し事をしていたからだったのだ。 「ふ、袋からチラッと見えたんだよ」  苦しい言い訳だと思ったが、彼女はすんなり納得する。そして、本棚に近寄ると、一冊を抜き取った。 「これこれ。けっこう高かったのに、無駄になっちゃったなあ」  ペラペラめくられるページとは別に、ギムレットは表紙が気になる。 「ちょっと見せてくれねぇか」  ギムレットの申し出に、ん? と首を傾げつつも渡してくれた。  シェリーを避ける原因となったその本。  深い青色の表紙に、獣人が描かれている。その絵の上部に記された題名は「獣人たちの生活」。あの男の本の題名は「獣人たちの生態」だった。 「……はははっ」  気が抜けたギムレットは、知らず笑い声を上げる。何てことはない。「生態」と「生活」を見間違えてしまったのだ。  こんなしょうもないことに、数週間を振り回されていたのかと思うと、ものすごくバカバカしくなり、思わず笑ってしまった。  急に笑い出したギムレットに、今度はシェリーがキョトンとする。え、何? という彼女の視線に、何でもないと手を振って応えた。 「いや、思い込みってのは、自分じゃ気付けねえもんだと思ってよ」  苦笑すると彼女も同意する。彼女の場合は、ギムレットが竜人族だから、竜人族の国出身と思い込んでいたことを指しているのだろう。  シェリーの表情があまりに神妙だったものだから、つい吹き出してしまった。 「笑うことないじゃないか。これでも楽しみにしてたんだよ。サプライズなんてやったことなかったから、準備もゴタゴタして大変だったし。おまけに仕事の締め切りが早まるものだから、てんてこまいで」 「そいつは、ご苦労だったな……ところで、これは食べねぇのか」  すっかり放置されているカザンダンゴムシの皿を目で示す。冷めているかもしれないが、せっかくシェリーが苦労して作ったのだから、このまま残すことなどもちろんできない。 「いや、でも、初めて食べるカザンダンゴムシが、私の料理ってのは……」 「いいじゃねぇか、別に」  渋るシェリーを無視して皿に手を伸ばし、二人分を小皿に取り分ける。そこまで冷めた様子はなかったので安心した。 「ところで、ギムは休暇中どう過ごすんだ? 」  シェリーはフォークを刺しかけたが、まずギムレットに先に食べてもらおうと考え直したのか、手を止める。 「特に予定はねぇけど……あぁ、そうだ。シェリーの本を、まだ読んでなかったな」  彼女を避けていた時は、とても読む気にはならず、そのままにしていたのだ。 「えぇッ!? い、いいよ読まなくて! 」  にわかにシェリーは面白いくらい慌て出す。 「学者の本なんて堅いし、小難しいし、専門用語ばかりだし、退屈だって! 」 「いや、読んでみたい」  ギムレットもそう思っていた。けれどシェリーが学者に対する先入観と全く違っていたように、それもただの思い込みかもしれない。  合っているのか、違うのかは読んでみるまで分からない。  ならば一度くらい、この賭けに乗ってみてもいいだろう。  シェリーを知ることにもなるのだから。
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