I Love You

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I Love You

 レストランから車でレンタカーの店舗まで行き、返却してから裕史の家に徒歩で向かった。最寄りの駅から五分圏内という好立地だ。その上新築。マンションのエントランスアプローチはホテルのようだった。柱は大理石が使用されている。通路の脇道には、整えられた観葉植物が並んでいる。  ――なんか、高そうなマンション。裕史くん、まだ二十代なのに。  ガラスの玄関ドアは、近づくと自動で開いた。 「七階だから」  裕史に促されて、エレベーターに乗り込む。箱の中はだいぶ広かった。これならアップライトピアノも余裕で入るだろう。  ――何でピアノ、処分しなかったんだろう。  裕史も弾くようになったのだろうか。それなら嬉しい。  エレベーターを出て右折し、廊下をまっすぐ歩いて突き当りに裕史の部屋はあった。  玄関のドアを開けると、右手に下足入があり、前方は廊下の先には広いリビングルームが見える。床も壁もドアも綺麗だ。新築だから当たり前なのだが、「うわー」と感嘆の声が出た。  スリッパを履いて、裕史のあとをついていく。とりあえず廊下を歩いてすぐ、右手にある洗面所に入り、手洗いうがいを済ませてから、リビングに向かう。と、十二畳ぐらいありそうなフローリングの真ん中には、木調縦格子の間仕切りが設置されていて、二部屋使いもできる仕様になっていた。  なんだか部屋の作りが新しい。自由度が高いデザインだ。  キッチンスペースも広い。二人同時に料理をしても、ストレスにならなさそうだ。  リビングの奥に掃き出し窓があり、その先にはこれまた広いバルコニーがある。 「裕史くん、すごい部屋買ったね」  インテリアも格好良い。ダイニングセットは木製でシンプルなデザインだ。反対側の壁側には大きな窓があって、その近くにはソファー使いができそうなベッドが置かれている。  バルコニーの手前に、壁に沿うようにしてアップライトピアノが置いてある。 「音が変なんだよね?」  大志は椅子に座り、ピアノの蓋を開けて適当に白鍵を押した。音がたわんでいる気がした。音階を弾いていくと、やっぱり音にズレがある。 「調律したほうが良いよ。調律師の友達がいるから、頼もうか?」  知り合い価格でやってくれるかもしれない。  背後を振り向くと、すぐ近くに裕史の姿があった。 「久しぶりに連弾しようよ」  二年ぶりの裕史のピアノだ。音は悪くても弾きたかった。裕史と。 「ああ」  裕史が隣に腰をおろした。やけに素直だ。 「弾きたい曲ある?」 「何でも良いよ。『別れの曲』以外なら」  ――別れの曲。  タイトルを聞いただけで、大志の胸は引き絞られたように苦しくなった。だってあの曲を弾いて、裕史と別れたから。  泣きたくないから、この二年間、耳にしないようにした。それでも有名な曲だから、テレビで、ラジオで流れてくる。  そのたびに、大志は涙した。裕史との思い出が胸に溢れて。  あの曲だけは、だめだ。いつまでたっても。  自然と俯いてしまう。膝をぎゅっと掴む。その手に裕史の手が重なってきた。 「二年前の俺は弱かったし、狡かった。大志をたくさん傷つけた」  ごめん、と裕史が呟いた。声はひっそりとしていたが、本気で謝っていることはわかる。  大志は裕史の顔を見た。彼はまっすぐに大志の目を見つめてくる。 「お前が俺のもとに戻ってきたとき、俺は何が何でも話すべきだった。お前が耳を塞いでいても、八月七日のことを。でも俺は話せなかった。――お前と別れることになったらと思うと、怖くて言えなかった」  裕史は泣きそうな顔をしている。それでも言葉を連ねる。 「月日が経つうちに、お前が思い出さなければ良いのにって思うようになった。一緒にいると幸せで、絶対離したくないって思った」 「――俺も思い出したくなかったよ。裕史くんとずっと一緒にいたかった」  だけど思い出してしまった。思い出したら、もう、一緒にはいられなかった。酒に逃げるほど裕史を悩ませ、苦しめていたのが自分だったと知って、そばにいられるわけがなかった。  「二年離れていても、大志のことを忘れられなかった。そばにいてもいなくても、恋しいんだ」  ――俺だって、ずっと好きだったよ。今も好きだ。  だけど、やり直すのは――。 「俺たちは従兄弟で、男同士だよ」  自分たちには絶対に乗り越えられない壁がある。だから裕史を諦めたのだ。二年前。 「そうだ。親に俺たちの関係が知られれば、引き離そうとされるかもしれない。泣かれるかもしれない。お互い辛い状況に陥るかもしれない。それでも、俺はお前が良い」  裕史がはっきりと言い切った。 「じゃあ、なんでこの家を買ったの? 結婚するのかもって母さんが言ってたよ」 「親にこれ以上、結婚しろって言われるのが嫌だったからだ。結婚して子供を作って実家に住めって――ずっと言われてきた。うんざりだった。それでも俺しかいないから、仕方がないって思ってた」  不意に、ぎゅっと手を掴まれた。彼の手は熱かった。 「大志もそうだろ? 一人っ子で、いつかは自分も家庭を持たないとって思ったことはないか?」 「――あるよ」  でも、親や世間体に対する義務感よりも、裕史への気持ちの方がずっとずっと大きかったのだ。彼さえそばにいてくれれば、何もいらないと思っていた。 「この家で一人で生きていくのも、気楽で良い。一緒に住みたい人は一人だけだ」  裕史は大志から一度も目をそらさない。もう二度と逃げないと、その瞳は訴えていた。  ――二年前とは違う。  裕史の強い覚悟が伝わってくる。 「俺を、許してほしい」  心から許しを乞うている声だった。彼の切実な言葉に、大志の胸は震えた。涙の膜で視界がにじむ。喉が詰まる。でも言わないと。ひしゃげた声になっても。 「とっくに許してるよ」  とっくにこの人を許している。  とっくにこの人を信じている。  とっくにこの人を愛している。  瞬きをすると、涙がポロポロと頬を伝った。  大志は、ずっとずっと大好きだった初恋の人を、力いっぱい抱きしめた。すぐに抱き返してくれる裕史の腕は、力強くて頼もしかった。  小学生の頃、大志は裕史のことを完璧な人間だと思っていた。格好良くて、頭が良くて、優しくて、面倒見が良くて、連弾すると楽しくて、彼が奏でるピアノの音も澄んでいて。本当に完璧なひとなのだと、憧れていた。  でも違った。彼は完璧じゃない。間違った行動だってする。浅はかさも狡さも備えていた。  でも、それでも愛おしい。どんな裕史だって愛おしい。  こんなに許容できて、欲しくてたまらない相手なんて、裕史以外にいないのだ。  目を瞑ると、自分と裕史の両親の顔が浮かんだ。彼らを悲しませることになるのかと思うと胸がいたんだ。辛いとも思った。  ――でも、俺が良いって言ってくれたんだ。こんなすごいマンションを買って、俺としか住みたくないって言ってくれるんだ。  裕史の顔を見たくなって、大志は彼から体を離した。泣き笑いになりながら、裕史に告げる。 「ごめん、嬉しい――大好き」 「俺も好きだ。――愛してる」  最後の言葉は、小さい囁きだった。しかししっかりと、大志の耳に届いた。  顔を寄せ合って、ようやく二年ぶりの口づけを交わした。  胸がいっぱいで、一回だけで十分なのに、裕史が何度も唇を重ねてくる。しまいには、舌まで入れてこようとするので、大志は首を振って、キスを中断した。 「一応今日って、一回目のデートだよ」  上目遣いに、裕史を軽く睨んだ。もう少し丁寧に、やり直しを図りたい。裕史はいつも手が早い気がする。 「部屋までついてきた癖に」  裕史がピアノ椅子から立ち上がり、大志の腕を引っ張り上げた。けっこう強い力だ。  強引に、リビングにあるソファっぽいベッドに連れて行かれそうになって、大志は「待って」と小さく叫んだ。 「シャワーぐらいしようよ」  昼食は外のテラスで食べたから汗をかいたし、この部屋でも泣いたから顔がベタついている。 「なんだ、やる気満々だな」  裕史のその言い草に、大志はカチンときた。 「やっぱりしない。今日はしない」  彼の手を振り払い、プイッとピアノがある方向に逃げようとすると、また腕を掴まれた。 「ごめん、シャワーするから」  裕史に抱きすくめられ、あやすように額にキスされて、大志は折れた。 「終わったら、連弾しよう」  縦に抱き上げてくる裕史に提案すると、明日だな、と返事が返ってきた。
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