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ホームパーティー編1
インターホンが鳴った。
玄関の上がり框に座っていた大志は、勢いよく立ち上がった。彼らが来るのが楽しみすぎて、玄関で待機していたのだ。
マンションのエントランスのオートロックは、裕史が解除してくれる算段になっている。大志はドアを開けて、エレベーターホールまで走った。エレベーターは二基ある。扉の前だと邪魔になるので、少し距離を置いて立って待っていた。
五十二秒数えたところで、左側のドアが開いた。カゴの中から、藤崎ともう一人――彼のパートナーが出てくる。背が高い。裕史と同じぐらいか。顔は、彫りが深い。格好良いかもしれない。
「こんにちは!」
二人の顔を交互に見ながら、元気に挨拶する。もちろん全開の笑顔で。藤崎の恋人なのだから、今後も仲良くしていきたい。
「こんにちは――わざわざここまで迎えに来てくれたの?」
藤崎が苦笑した。隣の男は呆気に取られたような顔をしている。
大志は少し恥ずかしくなった。
「だって早く会いたかったから。さ、早く行きましょう」
大志は先頭に立って、我が家である七〇一号室へと歩きだした。
「俺もまだ二ヶ月しか住んでないんですよ」
後ろを振り返って話しかける。と、藤崎の恋人が片手で大きな籠を持っていることに気がついた。フルーツの盛り合わせだ。つい立ち止まってジッと見てしまった。
マスクメロン、シャインマスカット、梨の三種類。どれも大志の好物だった。
「持ちます、持たせてください!」
「ああ――これ、どうぞ」
まだぎこちない表情で、日比谷が渡してくる。
「ありがとうございます」
両手で籠を受け取って、そのまま大事に両手で運ぶ。落としたら大変だ。
「大志くん、相変わらず元気だねえ。いや、いつもより元気?」
「だって、ホームパーティーなんて初めてだし、日比谷さんとも初めて会うし」
テンションが高くなって当たり前だ。
また後ろを振り向き、顔を上げ、日比谷にニコッと笑いかける。と、彼がふっと口角を緩めた。
「――お前の言う通り、人懐っこい子だな」
隣の藤崎を見ながら、日比谷が感心したように言う。
「俺のこと、どんなふうに話してるんですか――着いた。ここです」
七〇一号室のドアを開け、「どうぞどうぞ」と彼らを招き入れる。おじゃまします、と言いながら二人が入ってくる。
「藤崎さんたち来たよ」
リビングに向かって大きめの声を飛ばす。
先に靴を脱いでスリッパを履き、来客用二組を上がり框においた。彼らがスリッパを履いたところで、一緒に洗面所に行って手洗いうがいを済ませた。お手拭き用ペーパーを渡して、大志はリビングに急ぐ。
「裕史、果物もらったよ。おいしそう」
籠を持ち上げて恋人に見せる。「ああ、うまそうだな」と返ってくる。
「メロンは甘い匂いするか?」
裕史に問われ、大志はメロンに鼻を近づけ、くんくん嗅いだ。ふわっと熟したような果実の匂いがする。
「良い匂いする」
「じゃあ食べごろだな。梨とメロンは冷蔵庫に入れて。ぶどうは少し常温に置いておこう」
裕史がサラダのレタスをちぎりながら話す。
大志が冷蔵庫に果物を入れ終わったちょうどそのとき、客人がカウンター入り口にやってきた。
「蒼井、大志くん、今日は招いてくれてありがとう。こちらは日比谷真司さん」
改めて紹介され、大志と裕史は彼らに近寄り軽く頭を下げた。
「よろしく。弦からよく話は聞いています」
微笑しながら、日比谷も軽くお辞儀してくれた。電話で聞いたことがある美声だ。生で聞いても声優みたいに通りの良い声だ。
「真司、左から蒼井裕史さん、蒼井大志くん」
二人は同時に、よろしくお願いします、と言っていた。
「相変わらず仲が良いようで。よかった」
藤崎がニコっと笑うので、大志も口角が自然と上がった。
「おかげさまで仲良しです。藤崎さんのおかげです」
大志のピアノバーデビューの日に、裕史を連れてきてくれたし、大事な裕史との記憶を取り戻す手助けだってしてくれたのだ。藤崎は恩人だ。
感謝の念を込めて藤崎を見つめる。と、彼が照れたように頭に手をやった。
「ほんと君って――」
藤崎が話す途中で苦笑した。
「調子が狂うな。素直すぎて」
日比谷がボソリと言った。その言葉に、藤崎が同意したように頷いた。
「かわいいだろ」
「まあな」
二人のやりとりを見ていた裕史が、大志の背中に腕を回してくる。不思議になって、ん? と上目遣いで裕史を見上げると、彼は疲れたようにため息を吐いた。
「蒼井、警戒するなって。大志くんは年の離れた弟みたいなもんだから」
そう言ったあと、今度は意地悪な笑みを浮かべて、「この二年はお前よりも会ってたし、頻繁にLINEしてたけどね」と付け加える。
「こら、煽るな」
日比谷が藤崎の頭をコツンと叩いてたしなめた。
「お二人も仲良しですね」
大志が言うと、藤崎と日比谷が顔を見合わせ、ぷっと笑った。場が和やかになったところで、大志は二人をダイニングテーブルの窓側の席に促し、裕史と一緒に夕飯の準備をした。
今は十七時半過ぎ。藤崎たちには、お腹を空かせてくるように伝えてあった。
下ごしらえはできているので、あとはその都度、焼くか炒めるかすれば良い。
深さのある皿四枚に、レタス、カリカリに焼いたベーコン、きゅうりを入れて、その上にシーザードレッシングをかけてクルトンをまぶす。
隣では、裕史が鍋で温めたクラムチャウダーをスープ皿にオタマで分け入れている。
やっぱりキッチンが広いのは良い。男二人が並んでもストレスなく調理できる。
オーブントースターの中には、すでに魚介入りのクリームドリアが待機している。しかるべき時に焼く予定だ。
ローストビーフを大皿に盛って、タレをかけたら、一回目の配膳分は完了だ。
二人は皿をお盆に載せて、彼らが待つテーブルに向かった。
すべてをテーブルに載せたあと、藤崎たちにビールを飲むか聞いた。冷蔵庫には、瓶のギネスビールとベルギービールが入っている。せっかくのホームパーティーだから、普段は飲まないお酒をセレクトしたのだ。
飲む、ということなので、大志は冷蔵庫に向かい、ギネスビール二本と、ベルギービールを一本手に持ち、テーブルに戻った。すでにテーブルには、四人分のグラスとミネラウォーターのボトルが置いてあった。
大志のグラスに、裕史がギネスビールを注いでくれた。お返しに、恋人のグラスにミネラルウォーターを注いだ。彼の禁酒の決意は固いようだ。本当に一生飲まないのかもしれない。だからといって、大志が飲むのを嫌がったり、羨ましそうにしていることもない。
向かい側では、藤崎と日比谷が仲良くお酌し合っている。
「じゃあとりあえず乾杯しましょう」
大志が音頭をとった。
グラスを軽くぶつけて、四人は乾杯と言い合った。
「蒼井は本当にお酒やめたんだな」
藤崎の言葉に、裕史は苦笑しながら頷いた。
「お酒には懲りたので――飲みたいとも思わないです、今は」
きっぱりとした口調だった。本当に酒に未練がなさそうだ。
四人は食事をしながら会話を楽しんだ。最初は各々が自己紹介を交えた近況報告をした。
「俺は商社で働いてる。けっこう中国に出張してるよ」
アルコーを摂取したせいか、日比谷の態度が先ほどより柔らかい。
「丸蒼だよ」
藤崎が横から付け加える。
「えっ、すごいですね」
丸蒼は有名な大手商社だ。大志の友人も就職を狙っていたが、撃沈していた。
「中国語話せるんですか?」
「まあ、仕事で使うからね」
「ちょっと話してみて下さいよ」
調子に乗って頼んでみる。と、藤崎の方が、少し困ったように眉を寄せた。
「あ、すみません。図々しいお願い……」
「別に良いよ。へるもんじゃなし」
そう言って、日比谷が全く理解不能な言葉を話し出した。いや、最初だけ辛うじてわかった。你好、だ。あとは無理。
ただ、流暢に話していることはわかる。自信に満ち溢れた声だし、発音も完璧なのだろう。
彼が口を閉じたところで、大志は拍手してお礼を言った。
「珍しいね」
藤崎が意外そうな顔をして日比谷を見た。
「何て言ってたんですか?」
気になって聞いてみる。
「内緒」
日比谷がニヤッと笑って、ベルギービールを飲んだ。
その悪戯っぽい笑みが、ちょっと色っぽく感じた。日比谷はやはり顔の造作も整っている。職業が俳優だと言われても、誰も疑わないだろう。年齢は藤崎より三つ上だと聞いているが、もっと若い感じがする。彼のオーラとでもいうのか、活力があるのだ。
「お二人はどうやって知り合ったんですか」
「もともと同じ大学で、同じサークルに入ってたんだ。十年ぶりに再会してまあ、仲良くなったんだよね。大学時代は仲が悪かったんだよ、俺たち」
ちょっとおどけた感じで、藤崎が話す。
「この人不器用だから、俺に好感を持っていることを認めたくなくて、俺をいじめていたらしい」
ね? と日比谷に向ける藤崎の目は、ちょっと意地悪で、でも優しい。
「あーその通りだよ。あのときの俺は素直じゃなかった」
ぶっきらぼうな口調になって、軽く藤崎を睨む。若干だが頬が膨らんでいて、大志は思わず吹き出した。
だって、さっきエレベーターで顔を合わせたときは、クールで取っつきにくい感じだったのに。藤崎を相手にすると子供みたいだ。
――本当に、仲良しなんだなあ。
見ていて微笑ましいカップルだ。
「そっちはどんな馴れ初め? 気になるなあ」
藤崎に話を振られる。
「大志が大学に入るタイミングで、俺たち同居したんです」
大志が話そうとしたが、それより先に裕史が応じた。意外だ。
「一緒に住んでいるうちに、仲良くなって」
そのとおりなので、うんうん、と大志が頷いていると、藤崎が「そういえば」と思い出したように声を上げた。
「ラプソディ・イン・ブルーのトラウマって何だったんだ? 前から気になってたんだけど」
タイミングが良いというか、悪いというか――。この場でこの質問は想定外だ。
「大したことじゃないです」と、裕史が答えたが、藤崎はなにか勘付いたのか、「大したことじゃないなら言えるじゃん」と絡んでくる。
「ラプソディ・イン・ブルーは、昔俺たちが連弾した曲なんです。それを弾いてたときに、喧嘩して会わなくなったから」
話を丸く収めるために、大志は考えながら説明した。よし、これなら嘘は吐いていないし、都合の悪いところは隠せている。
「ふーん、やっぱり大志くん絡みだったんだね。そうだと思ったよ」
空気を読んだのか、藤崎はそれ以上追求してこなかった。心底ほっとする。
「それにしても、良い部屋だね。広くて綺麗で、夜は景色が良さそうだ」
日比谷が珍しく話題を提供してくれる。彼は二杯目のベルギービールを飲んでいる。けっこうイケる口のようだ。
「たしかに夜は景色が良いです。バルコニーでビール飲みながらの夜景は最高ですよ。風呂上がりとか」
たまにしか、そんなことはしないが。裕史の帰りが遅いときだけ。
「たまにお隣さんと話したりして」
そこまで言った途端、裕史の視線が刺さってきた。聞いてないぞ、それ、と言いたげな視線だ。
「まあまあ、そんなにピリピリするなよ蒼井。大志くんは浮気できるタイプじゃないんだから」
お前は安心してどっかり構えてろよ、と藤崎が付け加えた。なんだか酔ってるっぽい。彼の手元を見ると、ギネスビールの瓶が空になっていた。
「そうは言っても――ほんとモテるんです、大志は」
裕史が忌々しげに言う。
「この前も同僚に告白されたって言うし。何人目だ?」
詰問口調になっている。彼は素面のはずなのだが。
「今年入って二人目だって。たいした数じゃ……」
「たいした数だよ。普通、社会人でそんなに告られることなんてない」
藤崎が茶々を入れてくる。
「俺なんか、今の会社に入ってこれまで、ええと……」
勝手に指を折って数えている。
「――三人だ。十年働いてて三人。少ないよねえ」
「いや、十分多いだろ。実際は、告白できずに諦めた人だっているだろうし」
日比谷が冷静な分析をしている。大志もそうだと思った。
藤崎はモテるタイプだ。告白してくる人間が少ないのは、彼が誰にでも優しくて人当たりが良いからだろう。自分だけ特別扱いされているわけじゃない、と告白する前に相手が諦めるパターンが多いのだと思う。
「真司だってモテるよね」
「いや、そんなことはない。俺は恋人がいるって周知徹底してるからな」
得意げに日比谷が言うので、また大志は笑いそうになった。
「お前も周りに言っておけよ」
今度は圧をかけるように言う。相変わらずの美声で。
「穂村には言ってるよ」
藤崎が軽くいなす。
「穂村さんって、あの綺麗な感じの――」
大志がマニウスで働いていたときお世話になった人だ。人事部で、藤崎の部下。藤崎が多忙なときに、代わりに一度面談してくれたことがある。細身で、男にしては繊細な顔の造りをしていた。特別仲が良かったわけじゃないが、大志は彼に好感を持っていた。言葉の端々に漂う誠実さと品の良さに、ちょっと憧れを持っていた。
「やっぱ綺麗だよね、穂村は。前に一度、穂村の裸見たことがあるんだけど、ドキっとしちゃったよ。男なのに儚い感じがして」
藤崎が朗らかに笑った。隣の男の視線に気がつかずに。
「――弦、その話は初耳だな」
ゾッとするほど低くて明瞭な声で、日比谷が言った。
※思っていたより長くなったので、話を分けます。まだ続きます。
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