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ホームパーティー編2(裕史視点)
時刻は十八時半。
冷蔵庫の野菜室にシャインマスカットを一房収めたあと、ミトンを手に嵌めてオーブントースターから焼き色のついたドリアを取り出す。海老とシジミの、凝縮された魚介エキスの匂いと、溶けたチーズの香ばしさに食欲を刺激される。
裕史の機嫌は上々だった。オリジナルレシピで作ったローストビーフは三人から絶賛を浴びたし、食事中、客人の二人が中座してくれたお陰で、短い時間だったが大志と二人きりになれた。キスもした。
裕史は本来、ホームパーティーだとか、バーベキューといった大勢で和気あいあいと食事をする場面が好きではなかった。正直なところ、今日の集まりは大志の希望に付き合った感が強い。藤崎とは会社で顔を合わせるだけで十分だし、彼のパートナーにも全く興味がなかった。ただ、大志がとても楽しそうなので、今日、ホームパーティーを開いて正解だったと思う。あの、距離感の近さだけは許しがたいのだが――。
カウンターキッチンから見える景色に、裕史はため息を吐いた。
大志が客二人にお酌をして回っている。エビスビールの缶を持って。
藤崎は両手でグラスを持って、ニコニコしながら大志にビールを注いでもらっている。
「大志くんって手はそこまで大きくないのに、ピアノはほんと上手だよね。店で聴いたとき、感動したよ。ジャズって弾くの難しそうなのに」
そう言ってグラスを一旦テーブルに置き、大志の右手を軽く掴んだ。
「俺より手のひらはちょっと小さいじゃん。指が長いね」
二人の手のひらが重なった。藤崎が嬉しそうな顔をしているのは気のせいか。即行で日比谷が二人の手を引き剥がしている。とりあえずホッとする。日比谷がいれば大丈夫だ。
裕史は藤崎のグラスに注がれた小麦色の液体を眺めた。プツプツと湧いている泡も。
全く食指が動かない。禁酒する前は毎日のように飲んでいたというのに。
自分は本当に懲りたのだ。酒を見る度に、後悔の念が押し寄せてくる。あのとき、現実逃避の手段として酒に手を出していた。一時的にでも悩みを忘れられるからだ。なんの解決にもならないと分かっていたのに。
大志に「飲み過ぎだよ」とやんわり指摘されても辞められなかった。皮肉にも、大志への愛情が深くなればなるほど、裕史は追い詰められていった。大志を誰にも渡したくないという執着心が強くなればなるほど、早く手放さなければ、と自責の念に駆られた。
大志が交通事故に遭ったと栄里から知らせを受けたとき、今まで抱えていた自分の悩みがちっぽけなものだったのだと痛感した。大事な人がこの世からいなくなる事に比べたら、従兄弟の男を愛しているぐらい、どうってことなかったのだと――。
病院で大志が目覚めたとき、裕史はまず彼に謝り、自分が今まで隠していた気持ちをすべて、包み隠さずに話そうと決意していた。だが、事態は思わぬ方向に突き進んでいく。
大志は親友の栄里に急速に惹かれていき、退院してから彼女と付き合うようになる。
裕史は指を咥えて、彼らが深い関係になっていくのを見ていることしかできなかった。
――俺の蒔いた種じゃないか。
自業自得だと思った。愛情だけでどうにかなる関係じゃないとわかっていたのに、従弟に手を出した。付き合いだしてからも、後戻りできなくなるのが怖くて、彼を全力で愛すことはしなかった。あの日、栄里と自分がキスをしている現場を大志が目撃し、ショックを受けて部屋を出て行っても追いかけなかった。これで別れられると、どこかで安心していた。裕史の心は長く悩みすぎていたせいで疲弊していた。自暴自棄にもなっていた。
失って初めて、その大事さが分かる――陳腐だが、まさにそれだった。
自分だけを見つめてくる恋人が、どれだけ稀有な存在だったのか。裕史が遅く帰宅したときに、玄関まで駆けてきて「おかえり」と言ってくれるのが、どれだけありがたいことだったのか。好きな人と繋がることが、どれだけ幸せなことだったのか。
裕史は痛感した。そして深く、己の行動を悔いた。嫉妬と、後悔の念に苦しんだ。同時に、それらを享受するしかないとも思っていた。だがもし、大志がまた自分を好きになってくれたらその時は、絶対に、今度こそ大事にしようと決めていた。
だが、またもや自分は行動を誤った。裕史にとって都合の良いことしか思い出していない大志に、真実を伝えられなかった。そんな状態で、また深い関係になり、何事もなかったように恋人としての生活を過ごしていった。
結果、大志は裕史のもとを去っていった。
「裕史、ドリア持ってきてよ」
ほろ酔いになっている大志が、裕史に向かって手を振っている。
裕史は我に返った。自分はミトンを嵌めた状態で立ち竦んでいる。焼きたてのドリアは鍋敷きに置いたままだ。
「ああ、今行く」
鍋敷きと一緒にドリアを持っていき、サービストングを添えてテーブルの中央に置いた。取皿を配って、各々が好きな分だけ取って食べられるようにする。
「美味しそうだね。蒼井が料理上手だとはかなり意外」
我先に、と藤崎がトングを掴んで、取皿にドリアを盛った。
「はい、真司」
「ありがとう」
藤崎が自分の分より先に恋人にドリアを配るのも、日比谷の心のこもった「ありがとう」も、見ていて自然で微笑ましかった。素敵なカップルだと思う。
裕史は藤崎からトングを受け取り、彼に倣った。大志もにっこり笑って「ありがとう」と言ってくれる。
「蒼井はこの二年で相当金貯めてたよな。俺、知ってるぞ。昼も弁当作ってきてたし、自販機で飲み物を買うのもやめてたよな」
藤崎が話題を振ってくる。
「まあ、そうですね。金貯めてました」
「マンションの頭金?」
「そのとおりです。ある程度頭金を出しておかないと後が大変だから。利息がその分増えるし」
「そうだよなあ」
藤崎が頷く。彼も去年、日比谷と共同名義でマンションを購入しているらしい。本人からではなく、大志から話を聞いている。
「あ、車を売ったのも、頭金のため?」
隣で美味しそうにドリアを食していた恋人が、こちらを向いて問うてくる。
「そうだよ。無駄な出費はとことん削ぎ落とした」
「そこまでしてこのマンションが欲しかったんだ?」
――早くお前に会いたかったからだよ。
心の中でつぶやく。
自分の両親に、一生結婚はしないと意思表明するための、マンション購入だった。それぐらいしないと、大志は手に入らないと思った。
たかだか二年程度で、大志への愛情が薄れるわけがなかったし、彼も同じだと信じていた。いや、祈りに近かったかもしれない。
一年前だったか。聞いてもいないのに、藤崎から、大志に恋人ができたと教えられたときは、気が気じゃなかったが。
「まあ、ここなら交通の便も良いし、車は必要ないだろうね」
藤崎が納得したように頷きながら言った。
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