Taishi Aoi

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Taishi Aoi

 自分以外乗っていないエレベーターを八階で下りて廊下を右に曲がり、蒼井大志(あおい たいし)は一番近くにあるドアの前に立った。首に掛けているICカードを読み取り機に翳すと、ドアが自動で開いた。ちゃんと認証されたことにホっとする。  まず目に入って来たのは、正面突き当りにあるホワイトボードだった。マインドマップらしき図が描かれている。ボードのすぐ傍にある島の上座には、大志が所属しているWeb企画のグループリーダーが座っている。いつものように苦虫を噛み潰したような表情だ。視線を手前に移していくと、以前自分が座っていた席に辿り着く。  ――良かった。誰も座っていない。  三か月も不在だったのだ。他の新しい誰かが座っていてもおかしくなかった。  職場のフロアに足を踏み入れると、生ぬるい空気が首筋に触れた。人とパソコンが密集しているせいで、部屋が温まっているのだ。  出入り口すぐに設置された勤怠読み取りリーダに、ICカードをかざした。 「お疲れ様です。お久しぶりです」  自然な笑顔を心掛けながら、大志は下座にいる社員に挨拶をする。と、パソコン画面に視線を向けていた先輩同僚たちが、一斉に顔を上げた。 「おお、蒼井じゃん」 「久しぶりー」  砕けた口調で口々に言われ、大志の体からは余計な力が抜けた。 「交通事故に遭ったって聞いたけど、大丈夫?」  Web企画で紅一点の松原に心配そうな顔で問われ、大志は更に口角を上げた。 「車に轢かれちゃいましたよ。でもこの通り、復活しましたんで。大丈夫です」  だが無意識に己の右手に左手を重ねていた。庇うみたいに。仕方ない。ギプスを外して一日しか経っていないのだ。  松原がわざわざ席から立ち上がり、大志の顔を見上げてくる。距離感が近すぎて、大志は一歩後ずさりした。が、彼女は気にした風もなくまだ心配そうな目のまま、大志の頭からつま先までマジマジと眺めた。 「顔は――傷とかないね」  よかったよかった、と彼女が笑うので、大志も「相変わらずイケメンで?」と軽口を叩いた。 「自分で言うなよなあ」  同僚の笑い声を背に、大志は島の上座に向かった。グループリーダーとプロジェクトリーダーに職場復帰の挨拶をすると、人事にも顔を出せと言われ、エレベーターで七階に下りた。足取りは自然と軽くなる。所属部署よりも、人事部に行く方が気が楽だった。  ICカードでドアを開けて、八階と同じ間取りのだだっ広いフロアに入る。向かって右側が営業部、左側が総務部だ。左端の島まで歩いていくと、人の気配を察したのか、人事部係長の藤崎が顔を上げ、こちらを見た。 「蒼井くん」  人懐っこい笑顔を向けながら、藤崎が椅子から腰を上げた。 「待ってたよ。怪我の具合はどう?」  歓迎するように右肩を軽く掴まれ、大志はつい笑ってしまった。相変わらず誰にでもフレンドリーな人だ。 「全体的にだいぶ良くなりました。右手のギプスも取れました」  彼に向かって軽く右手を振って見せた。とたん、痺れるような痛みが手首から指先に走り、大志は顔をしかめてしまった。 「大丈夫か?」  藤崎が笑顔を引っ込めて、心配そうな目を向けてくる。 「――まだちょっと痛いときがあります。でも、日常生活を送る分には問題ないです」  大志が答えると、藤崎は微笑み、「少し話そうか」と言って、天井を指で差し示した。 大志は頷いた。
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