第1章

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               *  町に到着しても、ノスタルジックな光景に涙する、という訳でもなく、酷くさめざめとした気持ちになった。 少しは懐郷の念に駆られるかと思っていたが、何も思い出せない。時間の流れと共に、記憶はかすれて行く。 本当に、ここに住んでいたのだろうか? 駅には切符入れの箱だけ置いてあり、駅員らしき人は見当たらない。この町のシンボルなのか、天の川に佇む女性の像が、中央に配置されている。 よく見ると下半身から足はなく、魚の尾びれのような形をしていた。どうやら人魚と言っても、百合子の事ではないのかもしれない。  手紙の住所を頼りに、地図を検索していみるが、使い慣れていないせいで向いている方向さえ定まらない。さて、どうしようかと右往左往していると、誰かが声を掛けて来た。 「どうしたのかな、お嬢さん」  まるで英国紳士のような言葉に、思わず顔が赤くなる。金縁の眼鏡がとても印象的で、つい目が行ってしまう。白髪混じりの男性は、柔和で親しみやすい雰囲気をしていたが、警戒して足が後ろに動く。それでも男性は親切に待ってくれたので、地図を見せた。 「あの、この住所の家に行きたいんですけど…」  その場所を見て、男性の顔のしわが増え、怪訝な表情になる。単に目が悪くて焦点を合わせているのかと思ったが、違っていた。 「お嬢さん、影山さんのお知合いかい?」  影山百合子。かつて私も影山珠子だった。 「え、まあ…」  すると、幽霊にでも会ったように、青白い顔をして続ける。 「百合子ちゃんは可哀想に…。人魚の呪いのせいでなあ…」  まさかここでその言葉を聞くとは思わず、耳を疑った。 「え?」 「百合子ちゃんなら、今も入院している筈だ。ここの病院にいるから、お見舞いに行くと良い」  そう言って、駅から東にある病院を指差す。しかし、私の頭は全く追い付いていなかった。 「どういう事ですか?」  男性は首を左右に振るだけで、答えてはくれなかった。詳しく知りたいのなら、病院に行った方が良い、という事なのだろう。 スマホを鞄にしまい、深々とお辞儀をした。体中から血の気が引き、一瞬目の前が真っ暗になる。それこそ、霊に魂を吸い取られたように、手足が動かなかった。それでも放心した体を奮い起こし、急いで病院へと向かった。 「あの、影山百合子さんの面会をお願いしたいんですけど…」  受付の女性は、少し不審げに私を見てから、いくつか質問してきた。それから親族である事と、ここに来た理由を簡単に説明すると、すぐに病室へと案内してくれた。 心臓の音がうるさくて、耳が聞こえない。 何度か深呼吸をして、扉の前に立った。 最後の記憶に映る百合子は、笑顔がまるで花のようだった。声や仕草ぐらいしか思い出せないけれど、快活で私よりも明るい子だったはずだ。 そんな子が急に入院していると聞いても、まったく実感がわかなかった。ようやく百合子に再会出来ると思ったのに、こんな形になるなんて想像していなかった。 未だに信じられない自分がいる。 震える手に力が入り、額には汗が滲んだ。夏の暑さに関係なく、顔が火照って暑い。 高鳴る鼓動と共に、戸を開けた。
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