第1章

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 すぐには反応出来ず、「まあ、良いか」と自暴自棄になっていたせいか、無視をする。 けれど声は更に大きくなり、耳に刺さった。 そのまま後方へといきなり腕を引かれる。 「バカな真似はやめてちょうだい!」  顔を上げると神経質そうな女性が、真っ青な顔をして立っていた。私の両腕を掴み、全身をおろおろと診ている。 それから頬を撫で、ほっと安堵の表情を浮かべた。 「ここは立ち入り禁止なのよ。早く離れなさい」  母にもこんなに心配された事が無かったので、どう反応すれば良いか分からず戸惑う。まるで自分の子を叱りつけるような言い方に、何か違和感を覚えた。もしかすると、本当に自分の子を私と重ねているのかもしれない。 「すみません、知らなくて……」  掴まれた手はとても温かくて優しい。弛緩すると、女性は力なく微笑んだ。 「あの、あなたは……」 「あ、あぁ。私は近所に住んでいて、偶然あなたを見かけてね」 「そうなんですか」 「あなた、見ない顔ね。他の町の子?」  そうです、と頭を下げてから、彼女をじっと観察する。  化粧をしておらず、ひざ下まで隠れる薄桃のスカートとカーディガンを上から羽織っており、全体的にはとても地味な服装をしていた。年齢的には私の母と同じぐらいだろう。けれど所作の一つ一つに気品を感じられ、どこか高貴な雰囲気を漂わせる。人を寄せ付けない、少しとがった部分はあるけれども、知性の感じられる顔立ちに、自然と魅力を感じた。  すると彼女は腕時計を見やり、はっとして踵を返す。焦燥感に駆られ、「戻らないと」と独り言を呟いた。誰かに追いかけられているのかと思う程、焦っていたので、「大丈夫ですか」と声を掛けるものの、聞こえていないようだった。 「じゃあ、またね。もう絶対に川には近づかないで」  その時の凛とした瞳が印象的で、声を失ってしまう。 この彼女の瞳こそ、人魚の呪いを解く鍵になるのだけれど、この時はまだ知る由もなかった。  言われた通りに川から離れ、今度は上流に向かってのぼる事にした。鬱蒼と茂る木々の隙間から見えた建物に、目を細める。 よく見ると赤い鳥居があり、社が立っていたのである。けれどそれはあまりにお粗末で、昔の人が建造したとは思えないほど、安いものだった。よく見ると何かがコロンと転がっており、台の上で寝そべっている。 手で持って確認してみると、それは駅前にあった像と類似しており、人魚のような形をしていた。小学生が夏休みの宿題で作ったような、粘土で固められた軽い素材に拍子抜けする。誰かがいたずらで置いたのかと思ったが、像のすぐそばには小銭が置かれていて、線香もたかれている。さっきまで参拝者がいたのか、まだ真新しかった。  この町は人魚にゆかりがあるのだろうが、信仰宗教でも存在しているのだろうか。どこか不気味で、本当に呪いにかかってしまいそうな危うさがあった。像を鷲づかみしただけで、なんだか罰当たりな気がして、すぐに離れた。 もうここから離れようと、後ずさりしたところで、何かに肘が当たった。
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