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喋りたくない。
どうやら最初、学校で受けた苛めによって痣ができたものだと思われていた。
「……いいえ」
「誰にされたものか言える?」
「……、」
そんなこと、不可能だ。
もしも川田さんのことが行政に知られてしまえば、何らかの騒ぎになる可能性があるのだ。中途半端なお役所仕事をされたら大変なことになってしまう。かろうじて成り立っている今の生活が揺らげば、もっと辛くなるのは自分だと理解っていた。
母は、川田さんに脅されるとすぐに取り乱す。己のことに必死で、私のことを守ろうとなんて考えも及ばない。
母と川田さんの関係がどのようなものかは想像したくもない。けれど、主導権を握っているのは、実のところ相手の方なのだ。
「弱ったなあ……」
そこまで大きくもない病院で。目の前のお人好しな医師はそう云いながら途方に暮れていた。
「あ……のっ」
私はつっかえながらも懸命に話す。
「私……! 頑張って働いて、必ずお金は返済しますから……だから、このことはどうか、秘密にしておいてください……」
「そうは言われましてもねえ」
外科の医師はてこでも事情を明かさぬ私に、何かを思いついたらしい。柔和な太っちょで年配の先生は、私に向かって一枚のカードを渡した。
よくよく見ると、それは名刺だった。
『カウンセリングルーム、オリーブと白鳩』
生成りの背景に明るい水色の文字、どことなくナチュラルな印象の名刺。代表者の名前は書いていないけれど、裏には電話番号と住所が記載されている。
「これは……?」
「私の専門は外科ですし、ここの人と話しをしてもらった方がいいでしょう。実は、オリーブのカウンセラーとは以前お世話になったことがありまして。うちからは公に黙っていますから――、一度ここに行ってみてください」
「どうしても行かなくちゃいけないでしょうか」
「行った方が楽になれるかもしれませんよ」
私は、その言葉に沈黙をした。
部屋の中が静まる。カラカラになった声で、小さく「……はい」と答えるしかなかった。
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