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六
秋が深まるにつれて空気は清冽さを増していく。
このごろは夜に窓を開けていると肌寒さを感じるほどだ。
秋を感じさせる空気とは対照的に、春宵寮は日ごとに熱気を増していっている。春宵祭が明日に迫った今日、寮の熱気は最高潮に達していた。
午後九時、食堂に立夏棟の全寮生が集まっている。これまで春宵祭のミーティングを何度も重ねてきたが、それも今日が最後だ。
「まあ、いまさら特に言うこともないんだけどね」
食堂の前に立った馨は、寮生たちの顔をながめまわしながら口火を切った。
寮生たちの表情は緊張感で張りつめているが、立夏棟寮長の顔に浮かんでいるのはいつもどおりのへらりとした笑顔だった。
「山南慶吾くんと春田路実くんがクイーンの護衛につく。吉中泉くんが立夏の陣頭指揮役、野崎伸くんが玄冬担当、俺が桂秋担当。ポーンは三班にわかれてそれぞれの棟につく。単純だけどわかりやすくていいでしょ」
馨の顔にはいつもと少しも変わらない笑みが浮かんでいる。戦いを前にして少しも緊張がうかがえない。
大和は食堂の前の席に座り、馨の顔をじっと見つめていた。着ているものは数日前にクリーニングからもどってきたセーラー服だ。このセーラー服とも明日でお別れか、と思ってみても少しも名残惜しくない。
「ナイトもルークもポーンも、間違いなく立夏が最強だよ。クイーンもうちの子がいちばん可愛い。このメンバーで勝てないわけはないって思ってるから、明日は楽しんでくれればそれでいいよ。イベントなんて楽しんだもの勝ちなんだから」
馨が笑みを深めると、張りつめていた空気がふっと和らいだ。
「細かい指示はまた明日出します。今日はこれで解散。みんな明日に備えてゆっくり休んで、体調を万全に整えてください」
馨の言葉に応えて、寮生たちは一斉に「はい!」と威勢よく返事をした。人数が人数なのでほとんど怒号だ。
寮生たちは食堂の出入り口へ向かいながら、クイーンを務める大和へ声をかけていく。
「五十嵐、明日はがんばろうぜ。俺たち、絶対におまえを守ってみせるから」
「うん」
「俺の活躍、ちゃんと見てててくれよ。おまえのために全力を出すから」
「わかった」
大和は声をかけてくる生徒たちへ短い言葉を返していく。少々めんどうくさいが、これもクイーンの役目なんだろう。明日ですべてが終わると思えば少しくらいがんばれる。それに馨のためにもみんなにはがんばってもらわなくては困ってしまう。
「五十嵐、手を握ってもらっていいか?」
三年生のひとりが大和へ向って手を差し出してきた。手を握ってどうするのか不思議だったが、断る理由もない。大和は差し出された手をきゅっと握った。それで終わりかと思ったが、三年生は反対側の手を大和の手に添えると、祈りを捧げるかのように眉を寄せて目を閉じた。
「おい、奈良沢、てめえずるいぞ」
他の生徒が奈良沢と呼ばれた生徒を大和から引き剥がした。かと思ったら、空いた大和の手をすかさず握りしめてくる。
「五十嵐、俺が活躍するように祈っていてくれよ。でもって、活躍した暁には俺をMVPに――」
言い終えるより早く、周囲にいた生徒が引き剥がしにかかる。
「五十嵐っ、俺、俺も手ぇ握らせて」
「おまえら、俺が最初に頼んだんだぞ」
「奈良沢は握ってもらったんだからもういいだろ。さっさと部屋に帰れよ」
上級生たちは大和の目の前で揉め出てしまった。どうしたものかと思って馨へ目を向けたが、馨は揉めている寮生たちを冷ややかな微笑でながめているだけで、言葉をはさもうとしなかった。
けっきょく泉が「いつまでやってるんだ。さっさと部屋へもどれ」と一喝するまで騒ぎは続いた。
ポーン以下の寮生が退場すると、食堂を満たしていた熱気がすうっと薄れる。呼吸がしやすくなった気がして、大和はふうと息をついた。
「五十嵐、大丈夫か?」
泉は心配そうな顔で大和の顔をのぞきこんできた。
「大丈夫」
「ったく、男相手にちやほやして馬鹿じゃねえのか、あいつら」
伸は呆れきった声を上げると、小馬鹿にするような目で大和を見下ろしてきた。ムッとしてその顔を睨みかえす。『野崎伸と書いて馬鹿と読む』にだけは馬鹿にされたくない。
「五十嵐を押し倒して真っ赤になってた奴の科白じゃないな」
からかうように言ったのは路実だ。優しげに整った顔にはチェシャ猫を思わせる笑みが浮かんでいる。
「路っ! てめえ、余計なこと――」
「へえ? それは初耳」
馨はおもしろい話を聞いた、という顔で伸へ目を向けた。伸の肩がぎくっと縮こまる。
「いや、その、あれはこいつがクソ生意気なことばっかり言うからで、変な気持ちでやったわけじゃねーぞ」
「変な気持ちでやったわけじゃないけど、変な気持ちになっちゃったんだよな」
「おいっ、余計なことを言うなって言ってんだろ!」
「ま、いいけどね」
馨は少しも怒った風ではないのに、伸は馨と目が合うとびくっと身を竦ませた。
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