第一章 最果てにて

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第一章 最果てにて

 青梅線とバスを乗り継いで二時間と少し。  たどり着いたのは東京とは名ばかりの片田舎だった。  バスのステップを下りると、ひんやりした空気が頬を撫でる。すっかり暖かくなってきたと思っていたのに、ここにはまだ冬が停滞しているらしい。  バスは大和ひとりを下ろし、排気ガスを撒き散らしながら走り去った。  視界に映るのは朽ちかけた停留所と色褪せた青いベンチ。左手はうっそうと生い茂った雑木林で、右手には田畑らしいものが広がっている。視線を空へ向ければ、すぐそこまで青々とした山稜が迫っていた。  とても東京とは思えない光景だ。  五十嵐大和(いがらし やまと)は手にしていたリュックサックを肩にかけると、田舎道をのろのろと歩き出した。  歩道と車道の境目がないアスファルト。ずいぶん長い間、整備されていないらしく、ところどころ盛り上がりひび割れている。  大和の他に人影はない。遠くに野良作業をしている老人の姿がぽつりと見えている。  バスを下りて十五分ほど歩くと、寒々しいコンクリートの塀が緑の向こうに姿を現した。刑務所を思わせる薄汚れた灰色の壁。緑豊かな光景の中で、そこだけが非現実のように浮いている。  塀に沿って歩いていくと、やがて鉄の門にいきあたった。毛筆体で書かれた物々しい表札がかかっている。  涛川(すみかわ)大学付属高等学校 春宵寮  どうやらここが目的地らしい。大和は表札を一瞥すると、開け放したままになっている鉄の門をくぐった。  門の向こうは雑草がまばらに生えた前庭だった。花の一輪も咲いていないのは、ここが男子校だからだろうか。荒涼とした光景だ。  春宵寮はコの字を反時計回りに九十度動かした形をしていた。よくある校舎のフォルムだ。  寮は三つの棟に別れていて、それぞれが渡り廊下でつながっている。古い建物らしく壁がくすんでいて、前庭と同様に荒涼とした雰囲気を放っていた。  今日からここで三年間過ごすのだ、と改めて思ってみても、これといった感慨は湧いてこなかった。  いまに限ったことじゃない。感情が平坦なのはいつものことだ。 『おまえは人間のできそこないだよ』  中学二年生のころ、つきあっていた相手にそう言われたことがある。酷いことを言われたとは思わなかった。ああ、その通りだな。そう思っただけだった。  相手の名前は忘れてしまったが、まるで酷い言葉を投げつけられたのが自分自身であるかのように、傷ついたまなざしで大和を見つめていたことは、妙にはっきりと覚えている。  あの日が最後だった。あれからというもの校舎ですれ違うことがあっても、彼はさも疎ましそうに顔を背けるだけだった。  初めてつきあった相手と別れてから、大和はふたりの男とつきあった。  誰でもいい。誰かを好きになりたい。誰かを好きになれば、がらくたみたいなこの心も少しは修復されるかもしれない。子供のころみたいに、また笑えるようになるかもしれない。  そう思って乞われるまま身体を重ねたのに、結末は最初とまったく同じだった。
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