第一章 最果てにて

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 大和はのろい足取りで正面の棟へ向かった。  春宵寮に着いたら正面の棟へ向かうようにと、説明会で言われている。  玄関先で大和を出迎えたのは、寮監督を務めているという白髪交じりの男だった。白髪が多いせいで老けて見えるが、よく見れば顔つきはまだ若々しい。三十代前半、いや、ひょっとしたら二十代かもしれない。  寮監督は岸田と名乗った。学校では数学を教えているとのことだった。 「五十嵐の部屋は立夏棟の三〇五号室だ。門から向かって左の棟が立夏棟になる。寮宛てに届いた私物は玄関先に積んであるから、名前を確認して持っていくこと。寮についての詳しい説明は寮長がすることになっている。わからないことや気になることがあれば、そのときに訊いてくれ。この先、困ったことや相談事があったら、それも寮長や副寮長が聞いてくれると思う。もちろん俺にしてくれてもかまわないぞ。これから三年間よろしくな」  寮監督は人好きのする笑みを浮かべたが、大和は無言で小さくうなずいただけだった。  立夏棟に入っていくと、前もって送っておいたスーツケースが、他の生徒のものらしきスーツケースや段ボール箱と共に、玄関先に転がっていた。  これを持って三階までのぼるのか。大和はうんざりした思いで青いスーツケースを見下ろした。  中身は衣類と気に入っている本が数冊、あとは細々したものが入っているだけで、たいした重さはない。が、貧弱な大和にはスーツケースの重みだけでもじゅうぶんすぎるほどだ。  大和は溜め息をひとつついてスーツケースを持ち上げると、玄関の正面にある木製の階段をのぼっていった。 「……重い」  こん、こつんと、キャスターが階段にぶつかる音がする。階段に傷がついてしまいそうだが、当たらないように高く持ち上げるのは、この貧弱な腕では不可能だ。  息を切らしながら二階の手前までやってきたときだった。 「だから違うって! 誤解だよ、誤解! 俺は誠実な男なんだって!」 「誤解でもなんでもないでしょ。それが野崎の本性でしょ」  にぎやかな声が聞こえた、と思ったときには、目の前にふたりの少年が現れていた。隣に目を向けていて大和に気づかなかったらしい。少年のひとりとまともにぶつかった。 「うわっ!」  叫んだのは相手の少年だ。  大和は平衡感覚が大きく揺らぐのを感じた。身体が反り返るように傾く。  落ちる、と思った。階段のてっぺんから転がり落ちたら、いくら痛覚が鈍くても痛いだろうな、とも。  怪我を覚悟した次の瞬間、大和は強い力で引き寄せられた。  ダンッ、と物のぶつかる激しい音が連続して聞こえた。うっかり手から離してしまったスーツケースが、階段を転がり落ちる音だ。 「大丈夫!?」  焦ったような声がすぐ上から聞こえた。顔を上げると、夏の光の色が視界に飛びこんできた。
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