前編

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前編

 通夜における主役とは誰だろうか。○○セレモニー会館という葬儀会場の「星霜の間」という一室で、所在なさをごまかすために私はぼんやりそんなことを考えていた。これまでに、告別式には何度か出席した経験はあるのだが、通夜というやつに出席したのは初めてだ。  叔父の死体の前に神妙に正座をした坊主は、先ほどから何やら怪しげな呪文を唱えている。私ははじめのうちは好奇心からその坊主の挙動を観察していたのだが、十五分も経過すると早くも飽きた。坊主が叩くたびにドッジボールくらいの大きさの木魚は畳の上で軽く跳ね、間抜けな音を立てる。私は坊主が叩いた反動で木魚がひっくり返ったりはしないかと、つまらぬ期待を持ってその運動を眺めていた。  坊主のすぐ後ろに正座しているのが喪主の宏一兄さんだ。と言っても私の兄ではなく、故人の長男で私の従兄に当たる。私がほんの子供のころは、彼のことを「コウちゃん」などと呼んでいたが、いつのまにか宏一兄さんと呼ぶようになった。宏一兄さんは私より六つ年上なので、今年でちょうど四十のはずだ。  宏一兄さんの左隣には次郎兄さんが居る。次郎兄さんは足を崩して胡坐をかいている。今どき古風な名前のこの男は、宏一兄さんの弟で、私よりふたつ年上だったはずだ。当然彼も私の従兄になる。喪主の右隣に座っている中年の女性は、おそらく宏一兄さんの配偶者。彼女のすぐ後ろに付き従っている女の子は、宏一兄さんの子供で、故人の孫ということになるのだろう。  次郎兄さんの後ろに座っているのが私の父で、父は故人の弟になる。私は父の横に座っている。私の背後には、ほかにも約十数人ほど人間が座布団の上に尻を乗せているが、実を言うと私は彼ら彼女らのことは、ほとんど知らない。親戚宅で数回顔を合わせたことがあるという程度か、なかにはまったく憶えのない人もいる。そのほとんどが私よりもはるかに年上の人たちだ。  私は故人の甥ということになるので、この通夜という場所に居ることがそれほどおかしなことではないはずなのだが、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。  死んだ叔父に最後に会ったのはいつだろうか。病院で息を引き取る一週間ほど前に、ベッドの上で眉間にしわを寄せて寝込んでいる叔父に一度だけ会ったことは会ったが、その前となると、おそらく十年以上の開きがある。  焼香の香炉が、父のところに回ってきた。坊主は相変わらずへんな呪文を唱え続けている。気のせいか、さっきよりも坊主の木魚を叩く手に力がより込められてきたかのように私には思えた。そろそろ私は、その音が不快になってきた。今生の際にこうやかましくされたのではたまったものではなかろう。おれの死んだときは、意地でも生き返ってみせて、やかましい坊主の頭をしばいて黙らせてやる。などとしょうもないことを考えた。  とりあえず、少なくとも通夜の主役が私ということはあるまい。  ふりかけのような茶色い粉を指先でつまんで父は焼香をした。香炉から蛇のような白い煙が登った。  叔父の死とはすなわち私の父にとっては実兄の死であるから、私と違って内部になにがしかの感情が渦巻いているのであろうと、私は遠慮がちに上目遣いで父の表情を覗き見たら、焼香を終えた父は私よりもはるかに退屈でめんどくさそうな顔をしていた。胡坐をかいて、靴下の生地が禿げてメッシュ状になっている踵の部分を、指先でいじっていた。  私のほうはというと、叔父というそう遠くない親戚の鬼籍入りなのだが、それほど悲しむべき理由はない。十年ろくに会わなかった人間が永遠に会えなくなったからと言って、私は何かを失ったのだろうか。どちらかといえばと私にとっては、ちょくちょく内緒で小遣いをくれた叔父の配偶者のほうが思い入れが強かった。ちなみに叔父の配偶者は、かなり前に事故で他界している。  だが、私の居心地の悪さは、あるひとつの理由によって大きく強化されている。私は無職だ。親戚と顔を合わせるたびに私はまるで犬をしつけるごとく説教された。特に故人たる叔父は、もっとも苛烈に私の怠惰を打擲した。 「国立大学を卒業したにも関わらず、無業者とはいったいどういう了見か。国立大学というのは国費が投入されているから授業料が安いのだろう。つまり直接的ではないしにしても、税金で勉強させてもらってるようなもんだ。なのに、仕事もせんと一円も納税しないというのは罰当たりとは思わんか。学歴が泣いとるぞ」というようなことを繰り返し私に言った。  しかしいかに罵られたところで、羞恥心への耐性のみは人一倍頑強にできている私はにわかの痛痒も得ることなく、変わらず無職に留まるのだった。  香炉がすべての参列者の前を回り、坊主のそばに回帰してきたところで、坊主は経文を書いてある経帳を右手に持つと、まるで特撮ヒーローが変身でもするようにそれを左右に振って何やら言った。私はもはやその変身ポーズにどういう意味があるのか考えるのもおっくうになっていた。坊主は茶色い袈裟を着ていたが、遠目に見るかぎりそれは化学繊維っぽい安いつくりをしている。  坊主は畳の上に両のこぶしをつき、腰を浮かせてこちら側に向き直った。そして袈裟のすそを軽く引っ張り居住まいを正して、大きな咳払いをした。坊主の顔つきは神妙さとめんどくささが同居したビジネスマンのようだ。 「えー、通夜のお経をあげさせていただきました」と言って坊主は一度合掌した。それにあわせて、参列者一同、御座なりに頭を下げた。坊主は引き続きしゃべる。 「仏教では、人間の目標というのは、悟りを開く、仏になるということされています。仏になるということは、すべての煩悩から開放されて、真のしあわせな状態に至るということ、でございます。本来ならば、生きているうちに悟りを開いて仏になるというのが理想ではございますが、なかなかそうは参りません。この世に生きている以上、煩悩から離れるというのは、非常に難しゅうございます。ですので、阿弥陀様のお力をお借りして、浄土に至るというのが私どもの教えでございます。阿弥陀様のお力をお借りすると言いましても、特に厳しい修行などの苦行は必要ございません。ただ、手を合わせて、南無阿弥陀仏と唱えればよいのでございます。ですので皆様、ぜひこんにちより、日々手を合わせて、お亡くなりになられた方のしあわせをお願いになってくださいませ」  そう言い終わると、坊主はまるで後ろめいたことでもあるかのようにいそいそと木魚その他の荷物を風呂敷にまとめて帰っていった。  私は基本的に、死後の世界というのを信じている非科学的な人間なのだが、坊主の言うことには誤りが多数含まれていると感じた。しかし具体的にどこがまちがっているかと言われれば、いちいち指摘するのはかなり難しい。  坊主と入れ違いになるように、葬儀屋の従業員が入ってきた。胸に顔写真入りの大きな名札をしている。名札には大きな文字で「○○セレモニー会館 宮本」と書いてあった。宮本はたたみの上に正座をして、一度深々とお辞儀をした。 「それでは続きまして、お食事のほうを運ばせていただきます。えー、こちらのほうに机をふたつ並べさせていただいたのでよろしいでしょうか?」 「あ、はい。お願いします」と喪主である宏一兄さんが代表してそれに答えた。  宮本と後からもうひとり部屋に入ってきた従業員とふたりでテキパキとテーブルを並べて、手際よくオードブルや寿司などが運ばれてきた。その間、部屋の出入り口近くで、「いえ、食事だけでもしていってください」「いえいえ、もう今日は帰らせていただきますわい。また明日、来させてもらいます」「それならせめて、家まで送らせてもらいます」「喪主が留守にしてはいけません。お父さんのおそばにいておあげなさい」などという、謙譲の押し付け合いのような会話が聞こえてきた。  ビールの栓が抜かれ準備が整うと、こういう場にも上座下座というのがあるのかどうか知らないが、喪主の宏一兄さんが叔父の遺体にいちばん近いところに座って、その向かいに私の父が座った。私は父の隣に、次郎兄さんは宏一兄さんの隣に座ったので、私は次郎兄さんと向かい合うことになった。 「豪勢だなあ。なかなか思い切ったもんだ」父が目の前の料理を眺めながら言った。 「仕出し屋のいちばん安いプランだと、めちゃくちゃショボいんですよ。サンドイッチとカラアゲだけみたいな。喪主なんかそう何度もやるモンじゃないし、少し奮発しました」宏一兄さんは立ち上がって、「みなさん、召し上がってください。余らせてもどうにもならんので。ビールのほうは足りなかったら、セレモニー会館の人が追加で用意してくださいますから、遠慮せず注文してくださいね」と一同に言った。  食い物の効用かどうかはわからないが、さっきまでの辛気臭い雰囲気は去り、にわかに部屋はにぎやかになった。父はサーモンの寿司をつかんで、「はよ食わんと線香臭くなって、燻製みたいな寿司になってしまうぞ」としょうゆを付けて口に放り込んだ。  私は正面の次郎兄さんと視線が合った。次郎兄さんはすぐに視線を逸らせた。私と次郎兄さんは、いつの間にやら反りが合わなくなった。心当たりはあるのだが、それがあまりにもしょうもないことなので、私としても対処に困っている。二十年近く前になるのだが、受験生だった私は某大学に合格した。そのあたりから次郎兄さんはたまに親戚中で顔を合わせても私にはいっさい話しかけなくなった。それ以前も、それほど仲が良かったというわけではないのだが、無視されるということはなかった。私はだいぶ後になってから、次郎兄さんが現役の受験生だったころに、私の合格した大学を受験して落ちていたということを知った。  今となっては無業者の私は、社会的な身分はせいぜい「家のある路上生活者」と言ったところで、一方の次郎兄さんはといえば、某上場企業の主任という立派な働きをしており、しかも将来の出世が約束されたような花形部署に所属している。手を伸ばせば届く距離に重役の肩書きもあるらしく、運さえ味方に付けば社長も夢ではならしい。もはや私との差は天と地ほどの開きがあるのだが、依然次郎兄さんは私を避けようとしている。  もうひとつ、これは宏一兄さんが私に耳打ちするように教えてくれたのだが、学歴や職業はともかく、私にはさっぱり理解できない奇怪な理由があるらしい。私が理系の学部で、次郎兄さんが国文学科であることをコンプレックスに感じているというのだ。学問に、実用的か否かの違いは仮にあったとしても、その間に優劣はないはずで、国文学を修めた者が素粒子をいじくりまわしている者に引け目を感じるべきではない。  極論を言えば、人間も素粒子のカタマリであるから、人間が生み出してきた古典文学と素粒子のふるまいについて研究することには共通点の多くあるはずで、両者に私はそれほど大きな差異を認めない。  かようなことを私は宏一兄さんに訴えたのだが、宏一兄さんは、「その『ふるまい』という理系の人間がよく使う言葉も弟は気に障るようだよ」などと私をたしなめた。 「叔父さん、ヤスは?」と次郎兄さんは私の父に問うた。 「仕事で来れんて。急いだら明日の夕方くらいには帰れるって言うてきたけど、それじゃ間に合わんじゃろ」と父が答えた。  ヤスというのは私の兄の通称で、兄は今九州で働いているため、通夜にも告別式にも出られない。私は、故人と兄の精神的な距離がどのようなものであったのか計りかねているのだが、おそらく私とほぼ変わらぬか、私よりは少し近いといった程度だろう。きちんと就職しているぶん、私よりも兄のほうがまだ叔父に対するマイナスの感情は少ないかもしれない。  私はあまり腹が減っていなかったから、料理には手を付けなかった。 「呑むのも、供養」と言いながら父はビール瓶を手酌でグラスに注ぎ、ものすごい勢いで空にしていった。 「叔父さん。もしアレだったら、日本酒も注文できますけど、熱燗のほうがいいですか?」と宏一兄さんが気を利かせて父に言った。 「いや、ヒヤでいい」  父は車でこのセレモニー会館までやって来ているのだが、どうやら今夜は帰らずにここに泊まる予定らしい。セレモニー会館には、通夜を過ごすための寝具なども用意してあるようだ。まさに夜通しで故人の逝去を悔やむことになるようだった。私は家に帰って寝たいという願望があったが、こうなっては仕方ない。 「それじゃ、俺もヒヤちょうだい」と次郎兄さんが父の無遠慮に乗っかった。 「マアサ」と宏一兄さんは、大きな声を出した。 「はあい」と出入り口付近に母親に並んで座っていた女の子が返事をする。 「ジュース、いる?」 「いらない」とそのマアサと呼ばれた女の子は答えた。  私はこのとき初めて、宏一兄さんの子供の名前がマアサということを知った。マアサちゃんを見てみると、宏一兄さんにはあまり似ておらず、どちらかというと宏一兄さんの配偶者のほうに似ている。マアサちゃんの母親のほうをちらりと見ると、携帯電話を耳に当てて何やら小声で通話している。  故人にとってマアサちゃんは孫ということになる。私自身、祖父も祖母も早くのうちに他界したので、その葬儀がいかなるものであったか、ほとんど記憶にない。祖父の葬式のときに、祖父宅の狭い和室に人がぎゅうぎゅうに詰まって、息苦しいほどに蒸し暑かったことだけ、かろうじて憶えている。 「なあ、宏一。まあいろいろあるじゃろうが、ようやく片付いたのう。兄貴もようやっと、嫁さんのところに行けて満足じゃろう」と父が、叔父の亡骸のほうをあごでしゃくりながら言った。  父ににわかに酔ったときの調子が出ていた。 「いやあ、本当に。あのまんまゾンビのように生き続けられたら、こっちもたまったもんじゃなかったです。正直言うと、ギリギリと言ったとこでした」  父と宏一兄さんは、叔父と甥という屈託ない関係らしかった。「関係性」という面でいうと、私と故人も同じく叔父と甥なのだが、ずいぶん様相が違うように感じられた。やはりこれが職を得て結婚し子供を持ったものの堂々たる姿なのだろうか。  父と宏一兄さんの会話には少し説明を要する。故人たる叔父は、五年ほど前より闘病生活に入っていた。がんというありきたりな病なのだが、世間一般においてはありきたりであっても負う本人にとっては初体験でおそらく一度きりのものなのだろうから、始末が悪い。 「余命一年」と医者から聞かされて、なお五年も生きたのだから、これは僥倖とするべきなのか、否か。 「がん保険には、入っとらんかったんじゃろ?」と父が言った。 「入ってましたよ」宏一兄さんは即座に答えた。 「それじゃ、金銭的には楽やったんじゃない?」 「いや」宏一兄さんは少し口ごもった。「オヤジはあのとおりの、よく言えば堅実。悪く言えば臆病な正確でしたからね。きちんと保険には入ってたんです。でも、がん保険って、最初の六十日ぶんしか入院保険が出ないものだったんですよ。僕もね、そんな馬鹿な、そんな保険に意味があるのかと思いましたけど、約款を見るとノミが潰れたような小さな文字で、たしかにそう書いてあるんです」 「んんん?」父はビールの残ったグラスを軽く揺すって、泡を立てた。「そんなこと、あるんかいな。肺炎や骨折じゃあるまいし、六十日入院して治るもんならそれでええんじゃろうが、がんでたったの六十日しか出んっていうこと、あるんかいな」 「何のためにこんな保険にカネ払ってきたんじゃろ、って親父も言うてましたよ」次郎兄さんが手を伸ばして父のグラスにビールを注ぎ足した。「手術して、一回仕事に復帰しとったんですけど、通院しながら働いて、検査して入院してを繰り返してたんですけどね。六十日の保障なんか、あっという間に使い切ってしまいました。仕事休んだ日は国の健康保険から、何とか休業手当、というやつが出たんですけど、こっちは一年半ももらえたんですよ。『やっぱり最後に頼りになるんは国じゃ。外国の保険屋なんぞ信用したらいかん』と親父はうなされるように言うてましたね」 「あんだけテレビのワイドショーとかを見ながら、役人の税金の無駄使いがどうのこうの言うてた親父が、病気をきっかけに愛国心に目覚めてネット右翼みたいな言動を始めたときは、そろそろやばいんかなと心配になりました」と宏一兄さんが次郎兄さんの言に付け足した。 「ワシ、兄貴のことがあってから遅まきながらがん保険に入ってみたんじゃが、帰って給付のこと調べとかんといかんの。変な制限が付いとるんやったら、保険止めんといかんか」 「いや、でも」と取り繕うに宏一兄さんが付け足す。「その民間の保険でも、ないよりはマシでしたからね。入ってて損だったってわけじゃないです」 「日本人ががんになる確率は、五十パーセントらしいですよ」と次郎兄さんが宏一兄さんに賛成した。「だからがん保険も、保険給付をより充実したものに乗り換えるならともかく、止める必要はないでしょうね。僕も特約付きのを入ってますから」口調はまるで、昼ドラのコマーシャルのようだ。  五十パーセントと言えば文字通り、塀の上を歩いていて右に落ちるか左に落ちるかのようなものだ。しかし、どちらに落ちたところで結局人間の辿り着くところは同じで、塀を渡りきるなどということもない。  それにしても、がんに罹患するという現象を、確率で捉えるということは可能なのだろうか。単純に、がんに罹患した人を全人口で割れば計算できるのだが、時間発展や、あるいは観測できない部分なども含めると、ずいぶん杜撰な測定の仕方のように思える。  私自身は、がん保険はもちろん、生命保険にも入っていない。理由は単純に保険料を払うカネがないだけなのだが、私は私にどこか人生に冷めたところがあるのを自覚していた。がんになれば、死ねばいい。妻も子供もおらず私に寄りかかって生活している人間はひとりもいないため、死後の私には一円のカネも要しない。まさか地獄の閻魔様も、生前の資産の多寡で人を裁くということもあるまいし、賄賂など贈っても無駄だろう。まあ仮に、実際に効力のある免罪符がどこかに売っていたとしても、あくせく働いてそれを求めるなどということを私はしない。  先ほどの坊主にも一縷の神聖も感じられなかったが、寺や教会などに熱心に奉公する人の気持ちも私には理解しかねた。学生時代私は、四国の某牛丼屋チェーンにてアルバイトをしていたのだが、そこはちょうど、四国お遍路の通り道になっていることもあって、白装束を着てお遍路参りをしている人がよく客として立ち寄った。寺巡りをしている最中に、牛丼という肉食も極まったものを口に入れる彼ら彼女らが、仏様や弘法大師様にいったい何を望んでいるのか一度聞いてみたい気はしたが、店員の立場でそれはできなかった。  ようするに祈りとは、たんなるファッションなのだろう。ということは、今日のこの通夜も、たんなるポーズなのだろうか。 「兄貴は結局、何年くらい病気やっとったんかの」と父が宏一兄さんにたずねた。 「だいたい、五年くらいですかね。五年前に手術して、放射線治療して、再発してもう一回手術して、あとは薬と放射線やって」 「そうか。一時はずいぶん元気そうになっとったんじゃけど。やっぱり人間には寿命というのがあって、それを使い切ってしもた後も無理に生きようとしたら、辛いばっかりになるんじゃの。ほな、兄貴の遺産なんか、ほとんど残ってないんか?」  私は軽く父を睨んだ。いくらなんでも通夜の席に相続のことなど口にするべきではなかろう。せめて納骨が終わってからにするべきではないか。  しかし宏一兄さんも次郎兄さんも気にしていない様子だ。眉ひとつ動かさない。 「遺産なんか、とんでもない。家は残ってますがほかのものは何にも残ってませんよ」 「へえ。それじゃ、残るんは生命保険くらいか?」 「それも残ってないです。リビングニーズというので、余命半年を宣告されたら保険金が下りる特約で、全部生前に受け取ってますからね」 「え?」父はさらに疑問を深めたという顔をしている。「それ、もう使ってしもうたんか? 百万や二百万じゃなかろう」 「自由診療で、使ってしまったんですよ」 「自由診療?」 「保険が使えない治療法や、未承認薬です」次郎兄さんが父に説明する。「放射線治療や、最先端の薬を試せる代わりに、保険が利かないから治療費がべらぼうに高くなるんですよ」 「じゃ、それで全部使ってしまったんか?」  次郎兄さんは無言でうなずいた。  リビングニーズ特約の保険金が下りたとき、叔父はいかなる心境だったのだろう。  私のような貧乏人にとってはまとまったカネというのは不気味なものだが、自分が死んだ場合に出るはずのカネを死ぬ前に受け取り、それを兵糧として生きるための闘病を継続するというのは、想像するだに何ともおぞましいもののように私は感じた。 「全部使ったどころか、僕たち夫婦の家計からだいぶ持ち出ししてます。ウチもそんなに貯金があるわけじゃないから、本当にギリギリだったんです。もしあと三ヶ月も生きられるようだったら、完全にアウトで、次郎か叔父さんに頼るしかないと嫁と相談してたところだったんですよ」  それを聞いて父はさすがにまぶしそうな、気まずい顔をした。そして、 「楽には死ねんもんじゃ。いろんな意味で。なんぞ困ったことがあったら、ワシにも頼ってくれよ」と言った。  ここで私はこの豪華な葬式の費用がどこから支払われているのか気になった。目の前のオードブルや寿司は、そこそこ豪華なもので、一人前あたり五千円は下らぬであろう。ここの○○セレモニー会館も、市内でもかなり上等のほうの葬儀屋のはずだ。明日の告別式や、あの坊主に取られるお布施なんかも考慮すると、安く見積もっても三百万円は下らぬ出費になる。  私はなお居心地が悪くなった。 「喪主様、少し失礼いたします」いつのまにやら、葬儀屋の従業員の宮本が宏一兄さんのそばにやって来ていた。宮本は宏一兄さんの後ろで膝を折って座った。 「はあ、なんでしょう」宏一兄さんは口のなかに入れていた食べ物を急いで飲み込んだ。 「えーと、あの、明日の告別式では、参列者様のご香典や献花などに関しましては、基本的にお断りするということで承っておりますが、よろしいでしょうか」 「ええ、それでお願いします」  宮本は手に持っているA4のコピー用紙に、胸ポケットから取り出したボールペンで丸を付けた。 「そういうことでしたら、会場の前に、こういう看板を提示させていただきます」  宮本は宏一兄さんに一枚の紙を手渡した。宏一兄さんはそれを凝視する。 「ワシにも、ちょっと見せて」と父が手を出した。  父の手に渡ったその紙を横目で私も覗いてみた。「故人の意向によりご香典、献花、その他の贈答品などはお断りいたしております」という立て看板の、小さな写真が白黒で印刷してある。 「まことに慎み深いことやな。兄貴、こんなに遠慮する人間じゃったか」と父は故人と喪主を茶化すように言った。 「死ぬ一ヶ月ほど前に、『葬式はいらん、どうしてもやらんといかんのやったら、できるだけ質素にして身内だけでひっそりやってくれ』と親父が言ってましたから。来てもらうだけでも申し訳ないのに、香典なんか一切もらうな、っていうのが遺言みたいなもんなんですよ」と次郎兄さんが言った。  宮本が作り笑顔で首肯しながら、 「参列者のなかにはお断り申し上げましても、どうしてもご香典を受け取ってくれという方が必ずいらっしゃいまして、そういう方は弊社のスタッフを通して、喪主様のほうにお渡ししてくださいということがございます。そういう場合は、大変失礼ながら弊社では受け取りを拒否いたしました上で喪主様のほうにその旨をご連絡するということで、よろしいでしょうか」と言った。 「ええ。それでお願いします」と宏一兄さんが事務的に言った。  宮本は丁寧に頭を下げると、退出した。  できるだけ質素に、という叔父の遺言にも関わらず、ずいぶん立派な通夜だ。しかも先ほどの宏一兄さんの話では、故人の資産はもはや治療費で食い潰され、宏一兄さんの貯金も底を付く直前だったということだが、ではここの葬儀屋に払うカネはどこから出てきているのだろう。 「今日明日の葬式代も、うちの嫁さんの実家に借りることになってるんですよ。まことにお恥ずかしながら」 私の疑問に気付いたわけではあるまいが、宏一兄さんが小声で父に言った。  父はさすがに少し顔を青くした。私は宏一兄さんの配偶者のほうを見てみたら、携帯電話を耳に当てて、また何やら通話をしているようだった。横でマアサちゃんがあくびをしている。 「そんなこと、いかん。葬式代、ワシにもせめて半分くらい持たせてくれ。いちおうワシだってアニキの弟なんじゃから」父は宏一兄さんに訴えたが、宏一兄さんは、 「いやいや」と手のひらを左右に振ってから、「本家の土地家屋は、僕が相続することになりますからね。家のほうはともかく、土地はまだ、葬式代を払ってもお釣りが来るくらいの価値はありますから。もちろん、売りませんけど。あの家があるおかげで、よけいな住宅ローンは背負わんでもいい身分にしてもらってますから、これ以上叔父さんに何かしてもらうと罰が当たります」と言った。 「そうか? 困ったことがあったら、遠慮せずに言うてくれよ」父はコップに残ったヒヤ酒を一気に呑んだ。「ワシももう長いことはないから、今のうちに自分の葬式代くらいは貯めとかんといかんの。馬でしっかり稼がんといかん」 「競馬止めたほうが貯まるんじゃないですか」と次郎兄さんが苦笑いをしていた。 「しかし嫁さんの実家も、よう貸してくれたな。葬式代なんぞという、罰当たりを承知で言ってみりゃ、何の資本にもならんのようなカネやのに」 「いや、それが」宏一兄さんはめずらしく眉間にしわを寄せて険しい表情をした。そして声をひそめた。「僕はかまわないって言ったんですが、義父のほうが無理に貸してやるって言ってきたんですよ。最初は親父の遺言のとおりに、家で身内だけの質素な葬式しようと次郎と相談してたんですが、義父が、『粗末な葬式を出したら、鼎の軽重が問われる。家の格を疑われる』と口をはさんできたんです。葬式を出すカネがないと言ったら、全部出してやると言ってきましてね」 「は……? そんなことあったの?」次郎兄さんも初耳のようだった。 「うん。それで、仕方なしにこの○○セレモニー会館に見積もりをお願いしたら、分割の支払いでもかまわないということだから、義父からカネ出してもらうのはよして、僕の給料からローンの支払いをすることにしたんですが、無理にでも出すと言ってきかないもので。嫁もちょっと呆れ気味でした。……まあそういう経緯で、カネを誰が出すか葬式をどうするかで一悶着起こりそうだったんですが、『葬式も満足に出せんところに娘を嫁がせたなんぞと言われたら、ワシがご先祖様に顔向けできんわ』と一喝されて、嫁も『父がああいうふうに言い出したらテコでも動かない』ということだから、仕方なしに、とりあえず葬式代を義父から借りておいて、ボーナスが出たときに返済するということで妥協が成立したんです」  私も今から十数年ほど前の宏一兄さんの結婚式に出席したので、その義父というのを見たことあるはずだが、さっぱり記憶にない。ずいぶんめんどくさいところのお嬢さんをお嫁にもらったものだ。  宏一兄さんからの又聞きでしかないのに、私は記憶にないその義父とやらが、すでに嫌いになってしまった。私も無業者とはいえそれなりに長く生きたので、いかに努力を費やしても理解しあえない人間がこの世にいることを承知している。彼の言う「家の格」とはいったい何なのだろう。どうやら、富の多さではなさそうだ。矩を超える葬式をする家が上等で、つつましく弔う家族は下賤とでもいうのだろうか。そういう物差しは私は持っていない。 「ほしたら、お寺のお布施だけでも、半分ワシに持たせてくれ。少しくらいはなんかしとかんと、兄貴に化けて出られるかもしれん。ワシの寝付きをよくするためにも、そうさせてくれんか。お布施、たしか三十万円じゃったな。十五万だけでも出す」父はさらに宏一兄さんに詰め寄った。 「ええ……」承認とも戸惑いとも受け取れる、うめき声のようなものが宏一兄さんの口から漏れた。そして、宏一兄さんと次郎兄さんは、気まずそうに目を見合わせている。 「それが、三十万のはずだったんですけど……。お寺のほうへの依頼は、僕のほうからしたんですが、インターネットで相場をざっと調べてみたら、それくらいが平均だそうで」切り出したのは次郎兄さんだった。「だから、そういうことでお寺さんにお願いに行ったら、坊さんが『ふざけるな、常識というもの知らんのか』と言い出しまして」 「はあ。それ、どういうこと?」父がぽかんと口を開けた。 「ようするに、お布施が少ない、ということらしいです」 「それ、さっきの坊さんが言うたのか?」 「はい」 「それで、結局いくら払った?」 「向こうから金額を指定してきたんですよ。五十五万円って。坊さんが言うには、『息子がふたり居るんだったら、二で割っても安いだろう』って」  ずいぶんと生臭な坊主もあったものだ。五十五万という金額が妥当かどうかはひとまずおくとして、二人兄弟で割るのならば、せめて二で割り切れる数を要求すれば良いではないか。私が神仏なら、あの坊主をこそ地獄の底に突き落とすだろう。価格交渉をするのは決して否定されるべきものではないだろうが、神仏の威光を着てカネを要求するなど、外道にもほどがある。  父も私に同意見のようで、酔眼で憤慨していた。 「ほかの参列者には、このことは言わないでくださいね」宏一兄さんは小声で言った。 「ほしたら、坊さんが上乗せしてきた二十五万円ぶんだけ、ウチが出す。宏一くんは最初の予定通り三十万だけ負担したんでええ。あの坊さん、そんなにあつかましいやつじゃったんか。一言、言うてやればよかった」  葬儀とはまさに、人間社会そのものの縮図ではないかと私には思えてきた。それは故人を弔ってより大きなものへの帰依に至る聖なる儀式などではないし、生きているものが自分たちの気持ちにけじめをつけるための区切りなどでもなく、カネと人間関係と個人個人の捻じ曲がった思い込みとがむき出しになって腐臭を放つ下卑たふるまいだ。  おおげさに世をはかなむといったほどではないが、これなら人間の死体なぞ何も執着などすることなく生ゴミにでも捨てればよいではないか。そのほうがきっと世界は平和に違いない。
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