【本日の御予約】 紫乃原みちる 様 ②

4/5
前へ
/37ページ
次へ
「いえ、その。泊りに来た訳じゃなくて」  返答を待っている風の女性にそこまで言って、次の言葉に詰まった。  この人が民宿の店員なのは間違いない。  さっきの口振りもそうだし――たぶん仕事着なんだろう――臙脂色(えんじいろ)の大正袴の上で結ばれたエプロンに『うらおもて』とロゴが入っている。  ……でも、何を言えばいい?  凛介は「話を通しておく」なんて言っていたけれど、どうやってそこに話を持っていけばいいのか見当がつかない。『得意』や『苦手』を論ずる以前の問題として、あたしは他人と会話するのがド下手なのだ。  こんな事なら無理を言ってでも凛介と一緒に来れば良かった……。  あたしが『無理』を言えるかどうかは別の話として――なんて思っていると、 「うん? もしかしてキミが凛くんのカノジョさん?」 「あ、はい。そうです」  馬鹿正直に『彼女』として紹介されているのか、とか。  ここじゃ『凛くん』なんて呼ばれているのか、とか。  いくつか思うところはあったけれど、全部後回しにしてとりあえず頷いた。  するとそんなあたしを見て、女性は口元をと歪ませた。  たったそれだけで女性の雰囲気がガラリと変わった……気がした。 「へぇ……、そっかそっか。どんな子が来るのか楽しみにしてたけど、なるほどね」  値踏みするような視線。  そして今の言葉がどういう評価なのかわからなくて、あたしはただただ立ち尽くすしかなかった。『蛇に睨まれた蛙』というのは、もしかしてこういう状態を指すのだろうか。……いや、少し違う気がする。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

108人が本棚に入れています
本棚に追加