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「いえ、その。泊りに来た訳じゃなくて」
返答を待っている風の女性にそこまで言って、次の言葉に詰まった。
この人が民宿の店員なのは間違いない。
さっきの口振りもそうだし――たぶん仕事着なんだろう――臙脂色の大正袴の上で結ばれたエプロンに『うらおもて』とロゴが入っている。
……でも、何を言えばいい?
凛介は「話を通しておく」なんて言っていたけれど、どうやってそこに話を持っていけばいいのか見当がつかない。『得意』や『苦手』を論ずる以前の問題として、あたしは他人と会話するのがド下手なのだ。
こんな事なら無理を言ってでも凛介と一緒に来れば良かった……。
あたしが『無理』を言えるかどうかは別の話として――なんて思っていると、
「うん? もしかしてキミが凛くんのカノジョさん?」
「あ、はい。そうです」
馬鹿正直に『彼女』として紹介されているのか、とか。
ここじゃ『凛くん』なんて呼ばれているのか、とか。
いくつか思うところはあったけれど、全部後回しにしてとりあえず頷いた。
するとそんなあたしを見て、女性は口元をにやりと歪ませた。
たったそれだけで女性の雰囲気がガラリと変わった……気がした。
「へぇ……、そっかそっか。どんな子が来るのか楽しみにしてたけど、なるほどね」
値踏みするような視線。
そして今の言葉がどういう評価なのかわからなくて、あたしはただただ立ち尽くすしかなかった。『蛇に睨まれた蛙』というのは、もしかしてこういう状態を指すのだろうか。……いや、少し違う気がする。
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