【本日の御予約】 紫乃原みちる 様 序

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【本日の御予約】 紫乃原みちる 様 序

 目が覚めると掛布団が消えていた。  時期は四月になったばかり。  昼は暖かくなってきたものの夜はまだまだ肌寒い。にもかかわらず、あたしは掛布団を蹴散らしてしまうほど寝相が悪かったのだろうか。  寝惚け(まなこ)で周りを見渡してみるけれど、どこに目を向けても掛布団は見当たらなかった。 (ああ……、いつものやつね)  またか。声の無い言葉を呟いて、右腕で両の眼を覆う。  あたしの周りでは、頻繁に〝物がなくなる〟。  学生の必需品である文房具や百均で買った髪留めなんかは序の口で、時折こうして生活に支障をきたす重要な物までなくなることがある。  つい一昨日にも新品のブラジャーがなくなったばかりだし、そういえば、凛介(かれし)から初めて貰ったプレゼントも、いつの間にかなくなっていた。   (ペンダントだったっけ……)  初めこそ戸惑いもしたが、今ではすっかり慣れてしまった。  と頭で理解していながら『あたしの人生はこういうモノなんだ』と、諦めてしまっている。  だからあたしは考えるのをやめた。  掛布団がなくなっても毛布が残っている。じきに夜も暖かくなってくるだろうし、せいぜい二週間程度我慢すればいいだけの話だ――と。  ここだけを切り取れば前向きな性格に見えるかもしれないけれど、実際は全く違う。  こんなのは起こった事象に対するでしかなくて、そこにあたしの感情は一切合切、冗談でも比喩でもなんでもなく、微塵も介在していない。  別に今回に限った話じゃない。  あたしは常にこんな感じだ。  あたしの人生には『あたし』という要素が存在しない。  『好き』も『嫌い』も。  『得意』も『苦手』も。  『面白い』も『つまらない』も。  『嬉しい』も『悲しい』も。  何一つ感じることなく、流されるままに生きてきた。  きっとあたしは、母親のおなかの中に『あたし』を忘れてきてしまったのだろう。  今日から春学期。大学二年生として新たな一年が始まる。  けれどやっぱり。  当然の如く。  何の感慨も湧いてこない――。
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